第9話  金色の夕日が降る

 彼を見た途端、私の頭の中は真っ白になる。

 何でここに彼がいるんだろう、とか。何で彼が私に話しかけているんだろう、とか。何で私を見て彼が微笑んでいるんだろう、とか。

 ——考えだしたら、キリがない。

「あっ、冬菱くん。こんにちは……、あれ? 違うか、こんばんは? 要件は何でしょう?」

 こんな時でも、こんにちはとこんばんはを間違える自分が恥ずかしい。

「へー、昨日はあんなに張り切って可愛かったのに今日は知らんぷり? あんなこともしたのに? 随分とひどいですねー」

「ちょっ、ちょっと。あんなことって……っ。周りに人がいたらどうするの!?」

 別に大げさにあんなこと、とか言わなくても良くない? ただ昨日入ったカフェで冬菱のパフェが美味しそうで。

 その、一口分けてもらったから、間接キス——にはなっちゃったけど。

 べ、別にそれだけだし? 関節キスだけであんなことってやっぱり大げさだよ!

「ん? 別にいても良くね?」

「全然良くない! 明日クラスメイトに、彼女でもないのに仲良くして生意気っていう冷たい目で見られる! 美波ちゃんにも迷惑がかかっちゃうからやめて!」

 やっぱり今日、彼に告白した方が良いのかな。それで彼に、お前って俺のことそういう目で見てたんだって思われちゃうかもしれないけど。

 美波ちゃんに被害が及ぶよりも、百倍マシ——だよね。うん、しょうがない。

「ふーん? それじゃあ彼女になっちゃう? そうすれば天音チャンも平気なんでしょ?」

「……っっ!」

 冗談だって、分かっているのに。彼に妙に甘ったるい声で天音チャンって呼ばれると、嫌でも思ってしまう。

 ——あぁ、私は彼のことが大好きなんだなって。

「じょ、冗談はやめてよ……! それと、皆の前で私を下の名前で呼ぼうとするのも!」

 彼の顔が、直視できない。だって真正面から彼を見たら、私の顔が赤いってバレちゃうから。

「そんなに嫌なんだね。そのお友達を巻き込んじゃうの。そっかそっかぁ、天音チャンの一人しかいない女友達だもんねー」

「はぁ!? 私には美波ちゃん意外にもお友達いますけど!? 隣のクラスにだって、良く教科書を借りにいってるし! そりゃあ、冬菱よりは少ないけど。人並みにはいますんで!」

 仲いいかって聞かれたら微妙だけど。でもちゃんと、お互い名前で呼び合うくらいの関係だし? 仲悪いかって聞かれたら違うもん!

「良かったですねー」

「うわ、絶対思ってない! もう少し感情をこめたらどう? 何て言えばいいのかな。同情を込めて!」

「ん、努力する。——それと、さっきのは冗談じゃないから」

 努力するって言われても、冬菱の表情から努力しようっていう意思を一ミリも感じない。

(さっきのは冗談じゃないって……。まずさっきの、が分からないんだけど)

 私の記憶力が良ければ、さっきの、も分かったのになぁ。

「ふ、冬菱のバカ! ちゃんと言ってよ!」

「あれ? 俺急に怒られてる? いや、理由が分かんないと反省しようがないんですよねー」

「絶対に反省する気ないじゃん。ほんっと、口だけは達者だよね」

(本当は、口だけじゃないけど。顔はかなりのイケメンだし、運動神経も良すぎ)

 美波ちゃんは、私のことをツンデレだって言うけど。こういうとこがツンデレって思われるのかな?

 そういえば、結局さっきの言葉は何だったんだろう。ま、何でもいっか。

「そ、それと。私、冬菱に迷惑だとは思うけど伝えたいことがあって……」

 余計なお世話だとは思うけど、やっぱり伝えたい。……彼にどう思われようと、何を言われようと絶対に。

「ん? あーお金は貸せないよ。俺って優しいからさぁ。お金ってあげると本人のためにならないじゃん」

「ふーん? 顔にもったいないからあげられないって書いてあるよ。ケチ!」

「え? 天音チャンって俺に本当にお金借りようとしてたの? ガチ目に引くわー」

 いやちょっと、勘違い勝手にしないでよ! そんな友達にお金借りるとかしないし! うちの花火屋はそんな経営がピンチっていう訳でもないので安心して下さい。裕福な訳でも決してないけど。

「引かれても困る! 別にお金を御曹司の冬菱から巻き上げようとか、そういうことは考えてないから。そもそも冬菱から御曹司って感じ微塵もしないし」

「え? 言ったね、天音チャン? 明日クラスの誰かに言おっかなぁ。実は昨日、天音チャンから冬菱から御曹司って感じが微塵もしないって言われちゃった……。僕泣きそう、って」

 うわぁ、キャラが違いすぎて違和感しかない。ってか、ひどくない!? たしかに言ったけど、これって脅迫ですよね!?

「脅迫はひどいよ! それから、さっきのは冗談だから……。ね? 心の広い冬菱なら許してくれるよね?」

 もしも明日、冬菱がさっきの言葉を実行したらクラスに私の居場所はない。休み時間には綾瀬さんと水谷さんたちがわざと聞こえるような声で私の悪口を言い、教室から一度離れたら教科書か何かがクラスの女の子の誰かによって盗まれると思う。

 ——もちろん、冬菱と美波ちゃんがいないところで。

(ここはちょっと、土下座でも何でもしとかないとまずい。何ならご機嫌取りは必須かなぁ)

 私は心の中で、言ったら冬菱が喜びそうな言葉を考える。それくらい、うちのクラスの女子はやばいから。

 冬菱って、イケメンだし運動神経も良くてすごいよねぇ。足もすごい速かったっけ!? 六秒台とか普通に尊敬するわ~。——とか。

 冬菱はイケメンすぎて、いっつも見ているこっちが眩しくなってくるよ。——とか。

 やばい。外見を褒めるワードしか出てこない。まぁしょうがないか。性格はサイアクだし? 私がこの人を何で好きになったのか本当に疑問。

「天音チャンは、俺のこと心が広いだなんて思ったこと一度もないだろ」

「いやぁ、ありますよ! 例えば、えっと、うーん……」

「だから、そこで悩む時点でおかしいって。俺をおだてるなら、もうちょっとマシな方法にしなよ」

 そう言われても、冬菱をおだてる、ねぇ。やり方が思いつかない!

 ——もういっそ、思いっきり嫌われるなんてどうかなぁ。私が冬菱に告白したら、冬菱は私のことなんか大っ嫌いになる。

 で、私のことなんか考えたくないから私の悪口も言わない。

(我ながら、完璧なアイデアかも)

「ふ、冬菱に私は言いたいことがあるの!」

「えと……。天音チャンどした? 泣いているけど」

 ナイテイル? あぁ、私が涙を流しているってことか。

 そりゃあそうだよ。この世で一番大好きな人に、今から嫌われに行くんだよ。悲しくない訳がないじゃん。

「冬菱は性格がひん曲がっているのに、意地悪なのにね。何か時々、理由は分からないけどすっごく優しくなるから、私はそれだけで嬉しくなっちゃうの。……私が将来の道とか分からない時、相談にも乗ってくれたでしょ? あの時だって、私はずっと冬菱に感謝してたんだよ。冬菱にとっては適当に言った言葉だったかもしれないけど、私はその言葉で救われたから。それでね、冬菱には絶対に迷惑だって分かっているんだけど。片思いの幼なじみがいるんだから、言っちゃだめだって分かっているんだけど。私は冬菱のことが——」

 好きです。そのたった四文字の言葉が、上手くのどから出てこない。

 あぁ、そっか。きっと私は、自分の手で冬菱とのこの関係を終わらせるのが嫌なんだね。でも、しょうがない。

 私は冬菱に告白して、それで無様に振られないと彼のことを諦められないから。片思いの人がいるのに、冬菱を好きになっちゃった私への、これは罰だ。きっと。

 私は赤く染まった夕焼け空に、柔らかく塗りつぶされていく青空を見上げる。あの青空みたいに私の初恋は今この瞬間、儚く散って消える。

「好き……、です」

 言い切った途端に、私と冬菱の間を窓から入って来た風が金色の葉を伴って通り抜ける。その風は、ひどく冷たかった。それはもう、冬菱に告白した私をあざ笑うかのような。

「す、好きになちゃって、本当にごめんなさい……っ」

 冬菱の顔が、どうしても見たくなくて。うつむいたのが、間違いだった。顔を下に向けた途端に、半透明の涙が両目から溢れるように流れ出す。景色がぼやけて、もう彼が立ち去ったのかどうかも分からない。

(彼に気持ちを伝えられたんだから、きっとこれで良かった——んだよね)

 こんな所で泣いていたら、きっと誰かに変な人って思われちゃう。早く、ここからいなくならないと。

 でも、涙のせいでどっちが階段かも良く見えないなぁ、なんて。涙をふけばいいだけの話なのに、もう何もしたくない。

 本当はもうこの世界から、あのさっきの青空みたいに霧となって消えてしまいたい。そう出来たら、きっと楽なんだろうなぁ。

 こんなことしても美波ちゃんが悲しむから、しないけど。私がいなくなっても、私の親は跡継ぎの人形が消えちゃった、くらいしか思わない。私の世界の中に与えられた居場所って、きっととてつもなく小さいんだろうな。

 とりあえず、私はゆっくりと歩きだす。階段じゃなかったら壁にあたるだろうから、何かにあたったら引き返せばいい。そうすれば、いつか階段を下って外に出て、そして——。

 フッと、自分の身体が傾くような感じがした。おかしいなぁ、足場がない。気のせいかな……。

「おいっ、天音! 目を覚ませ、このバカ! また死に急ぐなんて、百年早いだろ。まずは俺の返事を聞いてからにしろ」

 身体の浮いた感覚がしたのと、その言葉が私の鼓膜を揺らしたのはほぼ同時。

「あれ? 舜くん……?」

 ——ズキッ。

 頭痛がしたあと、私は無意識に彼の名前を呼んでしまう。んん? この光景、どこかで見たことがあるような……。

 ——ズキズキッ。

 あぁ、そうだ。何で今まで忘れていたのか分からないけど、思い出した。

 大雨がザアザア降る、あの寒い冬の日。私は小学四年生で、舜くんとは——幼なじみだった。その頃から舜くんは容姿端麗で、しかも御曹司だから女子にモテていて。

『あんたさぁ、ちょっと可愛くて舜くんの幼なじみだからって調子乗ってるでしょ。舜くんは、皆の舜くんだから。もうこれ以上近づくなよ、思い上がりバカ』

 そんなことを同じクラスの女の子に言われるくらい、舜くんとは何故か毎年同じクラスで仲が良かったんだけど。

 その頃の私は意地っ張りなところがあったから、女子の何を言われても舜くんと仲良くしすぎて。ちょっと、相手を怒らせちゃったんだよね。

 だから、ある日クラスのリーダー的女子に屋上に呼び出されちゃって。ただ当時の私はバカで、返り討ちにでもしてやるとやる気満々で行って当然負けた。……十対一のケンカに。

『いつも舜くんが、あんたの長い髪を褒めてるけどさぁ。それ、長くて目ざわりだっていう意味なの分かってる? 私たちもその長すぎる髪を見ると、暑苦しくて気分悪くなるんだよね』

 小四の女子たちだから、皆の力はまぁまぁ強くて。空手とかを習っている訳でもない私は当然ぼこぼこにされた。だけど、私はバカだったから。

『そ、そんなことないもん! 舜くんは、いつも私のこと可愛いって言ってくれてるし! 舜くんがウソつく訳ないじゃん!』

『うっっさいわね……!』

 女子のうちの一人をキレさせちゃって、ハサミでロングの髪を力まかせに切られた。いっつも舜くんが触って、天音の長い髪ってサラサラで俺すごい好きって目を細めて笑ってくれる髪を、ザックザクに切られた。

『しゅ、舜くんに明日言うからね! 緑川さんに髪を切られたって』

『バッカじゃないの。舜くんがあんたのことなんかかばってくれる訳ないでしょ。その言葉、これを聞いてから言える?』

 私が手を押さえられながら、聞かされた言葉は。

『いつも太陽みたいに明るい笑顔の君が大好きです。俺と、付き合ってくれませんか?』

 舜くんが、誰かに告白している音声だった。——相手側の返事は入ってないけど、舜くんに告白して断る女子なんてこの学校にいない。

『これ、ついさっき私の友達が告白されてさぁ。その時の音声なんだよね。つまり舜くんはあんたなんかに魅力を感じてないってこと。彼女が出来たんだから、あんたは明日から一人で登校だね。笑えるわ、一人ぼっちさん?』

『そーそー、蕗桐さんは舜くんに捨てられたってことだよ。ウケるー』

 私は、舜くんに捨てられた。明日から、舜くんは誰か他の女子のもの。捨てられた私と友達になってくれる女子なんて、どこにもいない。

『ウソ、でしょ……』

 私は目の前が真っ暗になって、どうやって帰ったかは覚えていない。家に帰ったら、親に明日から学校行きたくないって言って。

 引っ越すまで、私はずっと家にこもっていた。舜くんに捨てられたっていう事実を認めたくなくて、ずっと家にいた。泣いた。叫んだ。泣いた。

 ずっと、ずっと、ずっとずっと。

 舜くんとか学校のことを、ベランダから落ちた衝撃で全部忘れるまで——。

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