第8話 金色の夢を見たい
それはもう、夢かと思うような時間だった。
「天音チャン、顔にマンゴークリームついているけど。俺がとってあげよっか?」
「え? どこ? いつの間に……」
「なんてね。マンゴークリームなんてついてないよ。お馬鹿さん?」
「は? ちょっ、いた! いたいぃ! クリームをとる振りして顔引っ張るとかマジでやめて! サイテー!」
最近インスタグレムっていうSNSで人気のカフェに二人で入って、期間限定のスペシャルマンゴーソースパフェを美味しく食べたり。
「わっ、すごい! 冬菱って、こんな大きい人形もとれちゃうんだね!」
「ん。これ持ってて」
「はー、私もこういう人形が家に欲しいなぁ。抱き枕にしたら、絶対に気持ちいいのに」
「バーカ。俺はこんなうさぎの人形いらないわ。お前にあげるから渡したんだよ」
「え? 良いの? わぁ、ありがと……」
ゲームセンターで千円ほど散財しても一個もとれなかった私の横で、可愛い人形をとった意地悪なはずの冬菱がそれをくれたり。
「そーいえば、天音チャンはこういうお店好きだろ」
「へ? 何で分かったの? さては私のスマホをのぞき見したーっ?」
「はぁ? 誰がそんなことするんだよ。ずぅっとこの店をチラチラ見てたら俺でも気付くわ」
「えっ、あ、そうなんだ。あのさ、ちょっとだけで良いからこの店見ても良い? その、新商品が出たらしくて……」
「ん、いーよ」
そう言いながら私の大好きな雑貨屋さんに連れて行ってくれて、結局は四十分くらい付き合ってもらったり。
最初で最後の彼との放課後デートは、すっごくすっごく楽しくって。絶対に一生忘れない。忘れることの出来ない最高の、素敵な思い出になった。
彼がデート中、私のことを下の名前で呼んでくれたのはすごく嬉しかったけど。天音チャンって彼が言うたびに、私の名前を覚えてくれているんだって胸がキュンと絞めつけられたけど。
——最後まで、私が彼を下の名前で呼ぶことは出来なかった。
もしも、私が舜くんって彼のことを呼んだら。もうこの関係から、後戻り出来ないような気がしたから。
これ以上彼とのキョリを縮めてしまったら、彼と出会う前の距離感に二度と戻れない気がしたから。
(本当に、人生で一番大切な思い出になった)
明日から、私と彼は別々の人生を歩むことになる。今日までと違って、私たちの歩む道が交わることは決してない。
今日だけが奇跡のような日。運が良かった私に、神様からの気まぐれで与えられたトクベツな日。
……そうやって、自分に何回も何度もデート中に言い聞かせて。悲しい事実を思い出させて。
常に彼と話している間はそうしておかないと、明日から彼と離れるっていう現実を自分が受け入れることが出来なさそうだった。
自分の世界から彼の
「それじゃ、天音チャン。良い夢を」
「うんっ、冬菱こそ。今日はとっても楽しかった。これ、一生大事にするね!」
そう言って、私はゲーセンでとってもらったうさぎの抱き枕をぎゅっと抱きしめる。はぁ、このくりくりの目とふわふわの触り心地にいやされる……。
「一生って。それ言っておいて、一か月後には部屋の隅に放り投げて存在も忘れちゃうパターンじゃん」
「ち、違うもん! 冬菱との今日の思い出を思い出しながら、毎日この子に癒されるんだから!」
別に、ウソじゃない。冬菱との思い出を忘れるなんて、そう簡単に私には出来そうにないから。この抱き枕をだいて、今日のことを思い出して、そして私は灰色の世界で今まで通り生きていく。
それが、私の運命。本当は彼と軽い口をきく資格さえない私が、これからとるべき行動。
「へぇー? そうなんだ。はたして何日持つかなー?」
「いっ、一年くらいは絶対に持つ! 私はこの子を愛しているから! これはきっと、神に誓って!」
「きっと、って何だよ。まー別に良いし。ちゃんと一年後にたしかめてやるから」
何で、君はそういうことを言うんだろう。
一年後なんて、君は私のことなんか忘れているくせにね。知ってる? 明日は、私の誕生日なんだよ。私は来年、十五才の誕生日に今日のデートのことを思い出すの。
それで、思うんだ。
あぁ、そういえば去年は誕生日の前日に夢のような出来事があったなぁって。今ごろ君は、幼なじみとデートでもしているんでしょうねって。
「それじゃあ、ばいばい冬菱! 今日は楽しかった、ありがとう!」
「ん、俺も」
にこやかに微笑む彼の表情を、私は目にやきつける。この笑顔が私に向けられることは、この先一度もないと思うから。
「ちょ、ちょっとだけ待って。……あのさ。スマホで写真、とってもいい? 冬菱の」
「え? 折角だから二人でとろーよ、天音チャン?」
——パシャッ。
満月が綺麗に夜空に浮かぶ、この日は。そして、この日にとった二人の写真も。
冬菱にとっては特に何にもない物でも、私とっては大げさじゃなくて本当に、一生に一度の宝物になる。
この日の、私は。ほろ苦い手遅れな初恋を、そっと胸の奥に沈ませた。
……そう、私はあんなに意地悪なのにどこか優しい冬菱のことを。いつの間にか、好きになってしまっていた。
「天音、頑張ったねー。うん、天音は何にも悪くないよ。むしろ、たっくさん頑張ったもんね。運が悪かっただけだよー」
失恋した私をなぐさめてくれているのは、私の大好きな美波ちゃん。彼が私のことなんて一ミリも見ていないのは知っていたけど、やっぱり悲しかった。
彼が私の些細な変化に気付かなかったってことは、私に勝ち目はゼロってこと。冬菱と幼なじみの間に私が入るすき間なんて、ほぼゼロミリメートルに近いんだって改めて思い知らされたから。
「うぅっ、初恋ってこんなものなのかな……。少女漫画だと、ここで恋が芽生えるのにぃ……っ」
現実はとっても無慈悲。恋している人を振り向かせるって、デートだけじゃ全然ダメなんだね。
「私、このまま一生独身で過ごすのかなぁ」
「そんなことないよ、天音は世界一かわいいんだから! ちょっと、相手が悪かっただけだよ!」
そうなのかなぁ。でも、美波ちゃんは本当に優しい。今朝冷え切っていた心が、美波ちゃんのおかげで温まる。うん、悲しんでばっかりだったら美波ちゃんが心配しちゃうよね。
もう十分悲しんだし、もう泣き止まないと。
「美波ちゃん、ありがと。しばらくは引きずっちゃうと思うけど、私も自分磨き頑張る!」
「うん、いつでもメイク教えてあげるから!」
美波ちゃんが笑顔で笑ってくれる。そう、私は昨日メイクをして冬菱と放課後デートに言った。美波ちゃんいわく、もしも気になっていたら絶対に気付くとのこと。メイクを知らない男子でも良く見れば分かるって言っていた。
(今までは自分磨きとかあんまりしていなかったけど、今回の失恋を機に頑張った方が良いのかな)
可愛い女の子がこの世にはたくさんいるんだから、それくらいは頑張らないと。同学年の女の子たちも、段々メイクとか色々始めているし……。
「私、少しでも可愛くなれるように頑張る!」
「ふふっ。天音は今でも十分可愛いけど、もっと可愛くなるように私も頑張るね!」
こうして、私の失恋は静かに幕を閉じた。——はずだったんだけど。
「み、美波ちゃん。やっぱり移動教室はこっちから行こ!」
「う、うん……」
何が、起きたんだろう。片思いの幼なじみがいるって公言していて、さらに私に好意さえも持っていない人に、一体どんな変化が起きたのだろう。
……最初におかしいなって思ったのは、一時間目の授業のあと。
「あっ、
「わ、私お手洗いに行こうかな。美波ちゃん、一緒行こ!!」
書道室のすみの方にある私の席で、美波ちゃんと話していた時。何故か冬菱が、私の方へ意地悪な笑みを貼り付けてやって来た。
昨日までの私なら、心の中で飛び上がるほど喜んでいただろうけど。
(だからって、嫌いな私の下の名前をクラスメイトの前で呼ぶのはやめてよね!?)
さすがに綾瀬さんとか水谷さんに、冷たい目で見られるのは嫌! 美波ちゃんも巻き込みたくないし!
——ということで、私は意地悪な冬菱から一日中逃げ続けている。今は五時間目が音楽だから、音楽室へ向かっているんだけど。
「あいつ、性格悪すぎ……。絶対に、皆の前で私の名前なんて呼ばせないんだからっ」
「あはは。天音ったら、ちょっと張り切りすぎだよ」
美波ちゃんがちょっと引くくらい、私は冬菱から全力で逃げている。まぁ、あいつは人気者だからね。すぐに誰かから声がかかって逃げ切れるけど。
「いやだって、美波ちゃんにもクラスメイトからの冷たい視線が向けられるかもしれないじゃん!」
「それは別に良いよ」
さらっと言い切ってしまう美波ちゃん。いや、ぜんっぜん良くないから!
「それに天音。ある可能性が浮かんできたよ!」
「何ですか……」
爆走したせいで疲れたし、足が痛い。走ったのは私のせいだけど、何で美波ちゃんは涼しい顔で立っているのだろう。
陸上部って、すごいね。尊敬する! 私は今帰宅部だけど、来年は陸上部に入ろうかなぁ……なんて。
「それは、彼が天音のことを本当は好きかもしれないっていう可能性! だってさぁ。嫌いな女を普通、あそこまで追いかける?」
「あー、そこまでするくらい、嫌いってことなんだよ。だからあいつは性格が悪いの! 昨日なんてさんざん上げられたんだから」
幼なじみに片思い中って知らなかったら、もしかしたら脈ありかもって思っちゃう。それくらい昨日の彼はかっこよかった——って。
(昨日のことはもう、思い出したらだめ!)
考えたら、昨日に戻りたくなっちゃう。あれはただの夢だ、って。そう思わないと。
「え? 上げられた? 天音が失恋したって言うから、てっきりさんざんひどい言葉を投げつけられたのかと」
「そりゃあ、いっぱい言われたよ。お馬鹿さんとかバーカとか、すごい言われた」
あんまり思い出したくないけど、言われたのはちゃんと覚えてる。
「違うよ、天音。私が想像したのは、お前の顔なんて二度と見たくない、とか。お前と今日出かけなきゃ良かった、家でスマホいじる方が百倍マシ、とか。お前なんて大嫌い、友達にもなりたくない、とか」
美波ちゃんは真面目な顔で言っている。だけど、え? 本当にそういうことを言う男子っているの?
「そいういうひどい言葉は言われていないんですね、天音?」
「は、はいぃ」
そう答えると、美波ちゃんは急に黙り込む。何か、裁判にでもかけられている気分だ……。
「天音、多分だけど失恋したっていうのは天音の勘違いだと思う。メイクに気付かなかったのは、意外と彼が鈍感なのかもしれないよ」
「え?」
鈍感? あの冬菱が? いやー、ないない。ありえない。女の子が少しマスカラつけただけですぐ気づきそうですけど。
「まさか……。それにさ、あいつが仮に私のことを好きだとしたら昨日の時点ですぐに言いそうな気がするよ。付き合って下さいって」
あの人は、妙に自信満々なとこあるし。御曹司だからしょうがないのかもしれないけど。
「それじゃあ、天音。そんなに彼が自分のことを好きじゃないと思うのなら、嫌われていると思うのなら告ればいいじゃない!」
「えぇっ!?」
告白するって……。でもそれが、彼の本当の気持ちを確かめる方法、なのかもしれない。だって、好きな人の告白は受けるだろうし。嫌いだったら、普通は断るし。
(たしかに、その方が諦めが一番つくかも)
「もしも天音のことが嫌いなら、告白したら迷惑かもとか考えちゃだめよ! 散々この可愛い天音に期待させた罰だと思いなさい!」
「あはは……」
たしかに、それが良いかも。 ——何度か、彼に告白するっていうのが頭の中をちらついたこともあった。彼に迷惑だからって思ってたけど。
よく考えたら、これはただ私が彼の気持ちからも自分の気持ちからも逃げていただけだと思う。
ちゃんと、初恋にけじめをつけるためにも。心の中のもやもやを、全て消すためにも。
告白するっていうのは、やっぱり必要なことなのかもしれない。
「美波ちゃん! 私、彼に告白するよ! 明日の放課後に!」
「うん、その調子! 当たって砕けろ!」
私はそうして、彼に告白することを決めた。明日の朝は早めに登校して、彼の机の中に手紙を入れておけばいい。
放課後、屋上に来て下さい。抱き枕は大事にしているよ。……みたいな文章を書けば大丈夫。彼にだけ、私が差出人だって分かる。
——そう思っていた私は、少しも予想していなかった。
「はぁ、天音チャン。やっと見つけた」
その日の放課後、図書室に寄った帰りに彼——冬菱と出会うだなんて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます