幕間その二 太陽のしずく・前編
「ねぇ、天音! 明日の朝、夜明けを見に行こうよ!」
そう美波ちゃんに言われたのは、冬菱が家から帰ったあとの昨夜。急に電話がかかってきて何事かと思えば、午前五時に集合で明日の朝遊ぼう、という内容だった。
(夜明け、か……)
早起きが超苦手な私にとって、太陽が顔を出す時間など無縁。だから太陽が沈む日暮れは見たことが何百回あったとしても、夜明けは一度も見たことがなかった。
……少し言い過ぎたかもしれない。何百回じゃなくて、百何回って言った方が正しいと思う。
「お母さん、美波ちゃんと今から遊びに行ってくるね! 朝食までには帰るから」
「——え?」
朝、家を出る時に驚いた顔をしていたお母さんを思い出す。夕食までに帰ってくるっていうのは何回も言ったことがあったけど、朝食までに帰ってくるって言うのはちょっぴり新鮮な気分だった。
(待ち合わせ場所の横浜海浜公園……? だっけ。そこってどこだろう)
家から自転車で、マップのアプリによると二十分くらいだそう。ただ面倒事が大嫌いな私はあんまりお出かけしないせいで、こういう時にマップの見方が分からないから困る。
(よし、何度も同じ場所を通らないように目印の家を探しておこうっと。どっかに目立つ家ないかな……?)
最初から道に迷う前提の私は、きょろきょろ辺りを見回す。
——結論から言うと、私の家の周りは目印になりそうな建物がたっくさんあった。それはもう、どれを目印の家にするか迷うくらい。
たとえば、シルバ〇アファミリーで持っていないけど有名な、赤い屋根の大きなお家が現実にあったらこんな感じだなぁっていう大きい家とか。
たとえば、庭師が十人いたらこんな感じの庭になるんだろうなぁっていうびっくりするくらいお庭が綺麗で雑草が一本も生えていなさそうなお家とか。
たとえば、有名なコンビニであるロー〇ンとセブンイレ〇ンとファミリーマー〇が三つ並んでいる場所とか。
目印になりそうな場所を探していたら、キリがなくなってしまった。
——ピコンッ。
スマホに映る文字は十文字。『私が迎えに行こっか?』って……。美波ちゃん、天使すぎだよ! いや、天使を通りこして神様だぁ!
『ありがとう、でも大丈夫だよ。待ち合わせには三時間くらい遅れるかもだけど』
『いや、全然良くない。今すぐ起きて支度すれば余裕で間に合うでしょ』
『すいません、もう自転車に乗ってます』
『???? 何で集合時刻の一時間前に出発しているの? ってか、それで遅れるわけないでしょ』
美波ちゃんとメッセージのやりとりをしていると、何だか楽しくなってくる。
『それが、あるんです』
『そんな自慢気に言われても……。それじゃ、私の家に来たら? さすがに道は分かるよね?』
『多分! それじゃあ美波ちゃんはのんびり私が着くまで準備していてね。二時間くらいかかるかもだけど』
『そう言われたら、のんびり出来ないんだけど。天音は本来の目的、忘れてないよね? 私たちは夜明けの空と海を見に行くんだよ!』
『はーい、分かりました。頑張って自転車こぎまーす!』
私は『けいれいッ』って書かれたハリネズミのスタンプを送る。スマホをバッグにしまう直前に見えた、『いや、絶対に分かってないでしょ!』っていう文はきっと私の幻覚だ。——うん。
「わぁ、美波ちゃん! 波がこっちに来るよ! なんか波の音ってずっと聞いてられるね! 海もなんで青色なんだろ。きれい……っ!」
「——良かったね、天音。ただ私、なんか中学生じゃなくて幼稚園児を連れてきたような気がする」
「はい!? 何で私の周りの人たちは
いま、私は天音ちゃんと一緒に無事に横浜海なんとか公園みたいな名前の場所にいる。あっ、名前なんてどうでも良いんだよ! 大事なのは、楽しむことなんだから! きっと!
「ん? 皆? ということは、冬菱くんとまた進展あったの?」
家を出てすぐ右に曲がるか左に曲がるか迷ったけど、右にして良かったーなんて考えていた私は。
美波ちゃんの言葉を聞いた途端に全身が固まる。そういえば、冬菱と進展があったら話す、なんて約束をしていたようなしていなかったような……!?
「あっ、えと、あははー」
「天音、この私から言い逃れできるとでも思っているのかしら……?」
美波ちゃんに追い詰められた私は、してはいけなかった選択をしてしまう。
「えっ、えっと。お手洗いに行ってくるねー!」
海から離れて、草むらを私は必死に走る。
——この時の私は知らない。五分後に、私は見たくなかった景色を見てしまうということを。
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