第二章  灰色の世界に絶望を

第4話  金色は少しだけ煌めく

「それで、あのあとどうなったの!?」

 ―—次の日の朝。私の目の前で目を輝かせて聞いてくるのは、もちろん美波ちゃん。昨日の昼食は、同じ管弦楽部の女の子たちと食べたらしい。

「別に、なんともなってないよ……。昼食分けろって言われて、仕方なくおにぎりを一個だけあげた感じ?」

 本当に、やっぱりあげなければ良かったって思う。だって、全く感謝のかの字もなかったじゃん。仕返ししようにも、住む世界が違うから何もできないのが悔しい。

「え? 感想はなんて? やっぱ、天音の飯最高ってなるの!?」

「あっ、えっとね。美波ちゃんは勘違いしているけど、まず私とあいつは仲良くないから!」

 それはもう、話すと言い合いがすぐに始まるくらい。はっきりいうと、仲良いよりも仲悪いしね。

「えー、絶対違うよ。御曹司のあっちは、少なくとも好意を持ってると思う」

「いやー、ないない。絶対にありえん! そもそも住む世界が違うし、昼食を分けてもありがとうっていう雰囲気ゼロだから!」

 私が美波ちゃんに愚痴をこぼしていると、急に教室が騒がしくなった。

「よっ、舜! お前登校すんの遅すぎだろ」

「あー、そう? 僕としては早めなんだけど。前の学校では遅刻ぎりぎりだったし?」

「まじか! ってか今日は放課後遊び行こうぜ! 駅前で飯食おう!」

「賛成、俺も行く! ってか舜? くまひどいけど大丈夫か?」

「俺も行くわ。舜はくまひどいなら、無理すんなよ。別にこいつらいつでもヒマだから」

 比較的静かだった教室の平和を壊したのは、不思議と人気者の冬菱。もっと遅く登校しろよ……。

「おっ、天音のパートナー登場!」

「だから、そういうのじゃないって! 昨日彼が私に話しかけてきたのは、たまたまお昼ごはんをもらうカモにしようって思われただけだから。今日からは、ただのクラスメイト!」

 クラスの中心で爽やかに話している彼にとって、私のことなんかもう頭の中にいないと思う。意識してるのが私だけって。

(なんか悔しいーっ)

 あいつに万一にでも会話が聞こえていたら嫌だから、私は話題を変えることにする。——聞かれても彼は何も思わないとは思うけど、私が不愉快だからね。だって、嫌いなあいつの話をわざわざしなくても良いじゃん!

「ねー美波ちゃん。今日は小テストあったりする? 昨日の終礼は、あんま聞いてなくて……」

「あっ、あるよ。何とテストは——」

 美波ちゃんが折角答えようとしてくれたのに、丁度よくクラスの中心メンバーで笑いが起きてしまった。

「なあ舜。そんなにくまひどくて大丈夫か? 今日はテスト二つあるけど」

 え? 二つも!? ってか男子たちうるさい! 美波ちゃんのかわいい声が聞こえなかったじゃん!

「ちょっと昨日は嬉しいことがあって。例えるなら、家族と久しぶりに再会できた感じ?」

 美波ちゃんとの会話が歓声によって中断されたせいで、冬菱の声まで入ってきてしまった。お前が責任持って、このクラスの連中をしずませろよ! ちょっと前までは、こんなにうるさくなかったのに。

「美波ちゃんにはごめんだけど、クラスの男子がうるさくいせいで聞こえなくて。もー一回言ってもらってもいい?」

「全然いいよーん。テストは、英語と体育です! 英語は単語、体育は短距離走だよーって、わあ!」

 またクラスの男子の笑い声が聞こえた。ふつーにうるさすぎて無理。

(でも、短距離走のテストはすっごく嬉しいかも)

 私はこれでも、小学校の頃はいつも選抜リレーに選ばれてたんだ! 去年はたまたまその日休んじゃって、タイムは測れなかったけど……。

(今年こそは、がんばるぞーっ!)

「ねえねえ天音。さっき、冬菱くんが天音のこと見てたよ! やっぱり脈アリだって!」

 そんなことないと思いますよ、美波ちゃん。彼はたまたまこっちを見たか、もしくは美波ちゃんのことを見たんだと思う。

「絶対に違う! 美波ちゃんのことを多分見てたんだと思うし、そもそも片思いの女の子がいるって言ってたじゃん」

 きっと、モデル級にスタイル良くて美人でかわいい人なんだろうなー。……なんてね。

「え? あー、片思いの相手がいるってそういえば言ってたっけ? でも、片思いってことはまだ結ばれてないよ?」

 真剣な顔で言う、美波ちゃん。何が言いたいのか、さっぱり分かりません。

「まったく、天音はにぶいわね。つまり私が言いたいのは、冬菱くんを天音が奪っちゃえ! ってことだよ」

「は、はぁぁ……。私そんな、闘いが好きな訳じゃないんだよなあ」

 わざわざ奪いに行くとか、そんな面倒なことをするのはタイプじゃない。そもそも、勝てない闘いなんてする意味ないでしょ?

「ちょっと、天音は戦闘意識があまりにも低すぎ! あっちは御曹司だよ! 早めに捕まえておかないと、どんどんライバルが増えるからね! 振り向かせるなら、今がチャンス!!」

「いや別に、意識は低くても結構です……」

 まず最初に、嫌われている時点で勝ち目ないし。次に、あの人は感謝もせずに昼食を奪うサイテーな奴だし。第三に、ライバルが幼なじみって相当仲がすでにいいと思うし。

 第四に性格が死ぬほど悪いし――と、意識が低くてもおかしくない理由がたくさんたっぷりあるんですよね。

「今日は放課後、舜を連れてどこ行くー? とりあえず、ゲーセンだよな」

「あとはカラオケ? でも人数足りんくない? 今は五人でカラオケ行く予定だけど、がくせー団体割引って十からじゃん」

「あっ、それならあたし達も行くよ。うちらもカラオケ行こーって話してたとこだし」

「わたし達も行こっか! 十五だと、たしかさらに割引されんじゃん」

(いや、絶対にウソでしょ。どっちのグループも、さっきまでメイク道具とかティックテックの話で盛り上がってたし)

 もちろん、加わったのはこのクラスでトップ2のグループさんたち。ただ皆、冬菱の方をがん見しすぎだよ。

「ちょっと、天音! このままでいいの!?」

 私と彼らの会話を見ていた美波ちゃんが、私の肩をゆさゆさ揺らし始める。

「え? どうして? 私とあいつはただのクラスメイトだよー……」

「ほっんと、天音は意識がびっくりするくらい低いわね。このままだと、あいつは誰かに惚れて終了よ」

 美波ちゃんにそう言われると、たしかにモヤッとはする。あいつが女とカラオケへ行ってるのを想像して、気分が良くなる訳ではない。……だけど。

(別に私の世界が灰色に戻ることは、覚悟していたし?)

 覚悟をしていたから、こそ。彼が私の世界にいないとさみしいだなんて、絶対に思えない。そんなこと、一ミリも思っちゃいけない。

 ……そう、思っていたのに。

「位置について、よーい……。ドンッ! おっ、速いねぇ~」

 今は六時間目で、体育だからテスト。今は先に男子が走っていて、みんな男だからかなかなか速い。

「ねーねー、次は舜くんだよ! 足速そうだよね!」

「分かる! だって身長高いから足も長いもんね。絶対、走ってる姿かっこいいよ」

「それなー! こっそりスマホ使って動画をとっちゃいたいくらい。待ち受けにしたら気分あがる」

(発言がストーカー気味すぎて、普通に無理……)

 ちなみに先ほどの会話は、例のぶりっ子こと綾瀬さんグループの会話だ。片思いの人がいるって宣言してんのに、狙う神経がよく分かんない。

「キャーッッ! 舜くんかっこよ……っ!!」

 耳を思わず押さえたくなる悲鳴が聞こえてきて、私は耳を押さえるのを我慢しながら振り返る。

(えっ……)

 颯爽さっぷうと走る彼の姿に、思わず目が惹かれる。

 彼が走るとさらさらの黒髪が太陽に反射して、まるで光が走ってるみたい。スピードも速いし、藍色の真剣な瞳には思わず吸い込まれそうになる。

 そんな、見る人全員を振り向かせる不思議な魅力がある走り方を。この冬菱 舜という男はしていた。

(ふ、ふーん……。まあまあ足速いんじゃん。さすが御曹司って感じ?)

 心の中のざわめきを消すように、私は前髪を整える。——どうせ、走ったらすぐ崩れちゃうけどね。気持ちってやっぱり大事でしょ?

「えっ、やば! タイム六秒四だって。うちの学校の記録、百パー更新でしょ」

 ろ、六秒四……? えっと、計り間違え? なわけ、ないよね。私でさえ自己ベストが七秒台なのに、速すぎでしょ……。

 あまりにも、差を見せつけられすぎて。勝てる気がしなかった。

「えー、今日の五十メートル走の順位結果を発表する。まず男子の一位は六秒四冬菱だ。この学校の記録を更新したのはすごいことだから、誇りに思っていいんだぞ。先生から見ても、大会に出れるレベルだ」

「あざす」

 わあっ、と校庭が驚きに包まれる。そりゃあそうだ、まだ中学二年生なのに学校の記録を更新して。ついでに、大会に出れるレベルって先生から言われて。

 みんなが転校生はすごいやつなんだーって騒がない、わけがない。

「それと、女子は蕗桐が七秒四で一番。お前も、平均と比べたら十分速いぞ」

「……は、はい。ありがとうございます」

 先生に褒められても、いつもと違って全然嬉しくない。むしろ、傷ついた。だって、化け物みたいな冬菱と比べられたんだもん。

 クラスメイトの反応は、ぱちぱちと拍手をしてくれる人が少しいるくらい。それだけで本当は、感謝するべきなんだけど。

(あいつと比べられるなんて、サイアク)

 気分が落ち込んでしまう私は、心がきっとどす黒い色をしているんだろうな。

 ―—そんな日の終礼の前、私はやらかした。全て私が悪い。だけどその時の私の気分は良いとはいえなくて、言ってはいけないことを言ってしまったんだ。

「私さあ、今回の公開模試の成績良くなかったんだよね」

 公開模試……、私もたしか受けた気がする。美波ちゃんは頭が良いから、成績良くなかったと言っていても毎回私よりは絶対に成績は良いんだけどね。

「それでうちの親が、もうちょっと勉強頑張りなさいよって怒っちゃって。スマホに制限時間をかけられちゃったんだよぉ~」

 そう言って泣きついて来る美波ちゃんは、いつも五時間くらいパクシブというサイトを見ているだけあって悲しそうに見えた、んだけど。

 ——そこまでは、全然私も良かったんだけど。

「天音って、良いよねぇ。もう将来の夢決まってるし、勉強してなくても何も言われないんでしょ? 良いなー」

 美波ちゃんが何気なくはなった、その一言で。

 私の心がみしみし……と音をたてて、きしんでいくような、そんな気がした。心のどす黒い感情が溢れる、嫌な気分がした。

「将来の夢を決められてて、勉強しなくても別にいいだけで良いなーって、何?」

 自分でも驚くほど、低い声が出ていた。本当は分かっている、美波ちゃんは悪くないって。私を傷つけるために、言ったわけじゃないって。

 でも、物心ついた時から家を継ぐことが勝手に決まっていて。

 小学生の頃に全国模試で一位をとっても、作文コンクールで表彰されるくらいすごい賞をとっても、何も褒めてもらえなくて。

 親は自分を見ているわけじゃないんだって。あくまでも両親の作ったお店を継ぐための道具でしかないって分かってしまって。

 ——それが、楽? 愛情をもらったことがない方が、良い? そんなわけないじゃん。美波ちゃんはたっぷり両親から愛情を受け取ってきたから、分からないんだろうね。家族から見られていないって気付いた時、どんなに苦しいかなんて。

 別に、分からなくて良いよ。灰色の世界に住んでいるのは、私だけでいいんだから。この苦しみは誰にも分かってもらえないんだから。

「美波ちゃんって、人の気持ち何にも考えてないんだね。別に将来の夢が決まっているのも、成績悪くても何も言われないのも楽なわけじゃないし」

 だめ、こんなことを美波ちゃんに言っちゃだめ。彼女は何にも悪気がないんだし、彼女は私の友達でしょう?

 そう言っている心のどこかの自分の声を無視して、出てくるどす黒い感情はとどまることを知らない。

 私なんかを理解してくれるって、思った私がバカだった。美波ちゃんから見たら、私なんて楽して生きてきたバカな子なんだよね。そっかそっか、本当の私を見てくれる人はこの世界に一人もいないんだね。

 うん、知ってた。いつかこうやって絶望する日が来ることなんて。ちょっと、予想よりは早かったけど。

「分かってくれる、って思ってた私がバカだったんだね。——今日はもう帰る」

 美波ちゃんの顔を見たくないから、というよりも。これ以上美波ちゃんと一緒にいると美波ちゃんをさらに傷つけてしまいそうだから、そんな理由で私は教室を出た。

「——あのさあ。こんな所で何してんの? はっきり言って邪魔なんだけど。どいてくんない?」

 何時間、一体私は二階の非常口そばで泣いていたんだろう。聞き覚えのある気だるげな声に顔を上げると、そこには冬菱がローファーをはいてかばんを持って立っていた。……きっと、これから家に帰るのだろう。

「やだ、別の出口から帰ってよ」

 はいどうぞって、すぐにどこうとしたのに。何故か私の口から出て来たのは、幼稚園児みたいな言葉だった。

「……なんか、あったの? いつも口悪いお前がそれしかしゃべんないなんて、気味悪すぎなんだけど」

 いつも口悪いって、何だよ。冬菱と会ったのは昨日なのに、決めつけないでよね。——なんていう言葉が、口から出かける。彼の私に向ける視線は、優しかった。

「別に、大丈夫だよ。ちょっと友達にひどいこと言っちゃったから、反省してるだけ」

「——え? あのお前が反省? 今日って、天と地がひっくり返ったりすんの?」

「はあ!? 冬菱はとてつもなく失礼! あんたが、なんかあったの? って聞く方が宇宙が消えそうで心配!」

 彼に嫌味を言われて、思わず言い返してしまう。

「宇宙が消えるって何だよ。俺らも消えんの? お前が最後に話した相手とか最悪だわ」

「こっちこそ! 私はあんたと話している間に、美波ちゃんに謝ればよかった!」

 美波ちゃんへの罪悪感が薄れたとか、そういう訳じゃない。ただ鉛よりも重たくなっていた心が、少しずつ軽くなっていく。

 彼と話しながら金色に染まる景色を見て、美波ちゃんに明日ちゃんと謝ろう。……そう、思えた。

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