第3話 金色は何かを示す
春特有の、暖かいけど少しひんやりとした冷たさのある風が私たちの間を通り抜けて行く。
(俺に何をされたいかをお前に強制的に妄想してもらうって……。何だよそれ!?)
——ドクンドクンッドクン。
屋上でイケメンに手をつかまれて、二人きり。このシチュエーションに心臓が暴れ出さない乙女はいないと思うし、私も例外じゃなかった。
「えっ、えっと……。空が綺麗だね」
「ありきたりな会話で話そらすな、昼食よこせ」
うん、バッサリと切られてしまった。
というか、この純白の雲が浮かぶ透き通った青空を見て『空が綺麗だね』は私の語彙力がなさすぎなのかもしれない。国語の点数が毎回悪いのも納得だね。
……納得できちゃうのが悲しいよぉ。
「あのさあ、冬菱。昼食を求める相手がまず間違っていると思うよ?」
「全く間違ってないな。現にお前は今、無防備に弁当袋を手にぶらさげている」
——ヒョイッ。
やばい、と思った瞬間にはもう、時すでに遅し。私のお気に入りの雑貨屋さんで買ったフィランフィランのお弁当袋は、彼の手元へ瞬間移動。
「美味しそうな弁当だな、三分の二を俺によこせ」
「はあ? ごめんとも思ってないけど断固拒否でーす」
この人に私が早起きして作ったお弁当を渡すとか、普通に無理。お弁当を持ってき忘れたお前は、一人さみしくお腹をすかせながら昼休みを過ごせ!
「というか冬菱は、お願いすればお弁当を丸ごとあげるような女子が山ほどいるじゃん。あんたの隣の女子とか、頼めば毎日喜んで作ってくれると思うよ」
「え? 何? 俺にやきもち焼いてくれてる感じ?」
あの、どういう風に考えればそういう結論になるのでしょう?
「冬菱って、自意識過剰だったんだね。知らなかった……」
そう言って目の前の彼を見ると、お弁当のふたを開けて、はしもちゃっかり持っていた。
「いただきまーす」
「いやそれ、私のお弁当だし! 返せ!」
私は取り返そうとするが、こいつは背が高いのを生かしてお弁当をかかげて見せてくる。
「人のお弁当を勝手に食べて、冬菱は罪悪感とかないの!?」
「結構ひどい質問ですねぇ。残念ながら俺も人だから罪悪感とかあるし」
はい? この人は罪悪感があるのに、人のお弁当を奪っているの?
(いくらなんでもひどすぎでしょ……)
「罪悪感を持ってるなら、喜んで冬菱にお弁当あげるクラスの女子から貰いなよ」
「いや、他の女子にお願いしたらそいつが他の奴の自慢してクラスが荒れるだろ。で、クラスの女子全員分のお弁当を食べられるほど俺の腹はブラックホールじゃない」
へー、冬菱のくせに色々と考えているんだー。って、感心している場合じゃない!
「工夫すればいいじゃん! 毎日一人ずつ、とか」
「え? 何でクラスの連中が作ったまずい弁当を毎日食べなきゃいけないのか俺は分からない」
あっ、そっか。この人は適任かどうかは別として、御曹司なんだっけ。
「もしかして御曹司だから、毎日一流シェフにお弁当作ってもらう予定だったの?」
「あぁ、今日はたまたま車に置いてきた。──ん? お前って、俺のこと知ったの今日って言ってたよな?」
何か急に、彼の声のトーンが下がった気がする。それにしては、当たり前の質問だけど。
「え? たしかに私と冬菱が会ったのは今日だ──」
──バンッッ!!!
気付いた時には、頭と肩と背中に強い衝撃を感じていた。目の前には、さっきまでと比べものにならないほど冷たい金色の光を宿した瞳を浮かべる、彼の怒った顔。
「俺、お前に御曹司だって伝えてなかったよな?」
彼の冷たい声に、身体が震える。ただ捕まれた左腕に強い痛みを感じて、私はワンテンポ遅れて自分が彼にベンチに押し倒されていることに気付いた。
「お前、どこのスパイだ? 何の目的だ? 何で俺の幼馴染とそっくりの容姿をしている?」
「……ぇ?」
スパイ? 目的? 幼馴染と同じ容姿? 何、それ。私はただの貴方のクラスメイトで、スパイとかそんなもの知らないよ。
ねえ? 何で信じてくれないの? 灰色の世界に住んでいる私に貴方が光を与えてくれたのは、私が幼馴染と容姿が似ていたから?
──そっか、そうだよね。
こんな何もない私に君が接してくれる方が、おとぎ話だよね。
本来は私なんて、貴方の視界に入ることすら許されない存在だよね。
図々しいことして、ごめんなさい。……ただ、一つだけ言わせて。
「ま、まず一つだけ言わせて」
彼の氷より冷たい瞳を、私は逸らさずにしっかりと見つめる。
「私は、スパイとかじゃないよ」
「……スパイは皆、そうやって言う」
彼の瞳はまだ、冷たいまま。
「ほら、そうやって俊はいつも人の話を聞かない──って、え?」
──ズキンッ!
頭が急に、ひどく痛んだ。あれ? さっき私は何て言ったの? ていうか、頭痛い……。
「ごめん、何か今私変なこと言ったよね。忘れて」
「やだ、忘れない」
そう言った彼の声は、暖かくなっていた。そして、私を骨が折れそうになるくらい腕をつかんでいた手を優しくそっと離してくれる。
「ごめん、ちょっと色々勘違いしてた」
何とあの冬菱が、超意地悪なこいつが、私に謝ってきましたーっっ!!
(いやたしかに、すごいびっくりしたけど)
「んー、まあ驚いたけど大丈夫だよ。それよりも、冬菱は私と容姿が似た幼馴染がいるの?」
「あー……」
聞いた途端に、目を泳がせる冬菱。
「教えてくれないなら、おにぎり一個しかあげないから」
「ん、サンキュ」
私、こいつに甘すぎだよね。でも昼食なしとか可哀想だし。
かといってこの雰囲気、私に幼馴染について教える気はなさそう。
(まあ、普通はそうだよね)
逆に出会ってまだ一日もたっていないのに、片想いとか言っている幼馴染について教えろ、という方がおかしい。
「そーいえばさ、冬菱は私が皆に『冬菱くんに、私の作ったお昼ご飯を食べてもらっちゃったぁ』って言ったらどうしよう、とか考えなかったの?」
作った三つのおにぎりの中で一番大きいおにぎりを彼にあげてしまった私は、残りの鮭味のおにぎりを取り出す。
「俺はお前がそんなバカなことをしないことくらい知ってる。そんなこと言ったらお前は嫉妬されて、次の日にはシカト要員だろ」
ぐぬぬ、たしかに彼が言っていることはあってる。
私は別にシカトされても良いけど、美波ちゃんとか他の仲良しの子の被害が飛んだら嫌だからね……。
「しかも冬菱って、私がシカトされてても見てみぬふりするでしょ。原因は主に、私を脅してきたあんたなのに」
きっとバカだなぁ、とでも思って遠くから見ているに違いない。
あっ、違うか。彼が私に接触してきたのは私が彼に対する執着とかがないだけで、本来は関わることもなかったはず。
よって、彼は私のことなんか見ないから何もしないし何も思わない。
(なんか自分で言っておきながら、悲しいなあ)
そして今の状況を喜んでしまっている自分がいるのが、すごく嫌。
彼は私のことなんてチョロいとでも思っているに違いないし、彼が片想いするほどなのだからきっと彼の近くにいる片想い相手は絶世の美女に違いない。
私は彼からしたら、多分ブスではないな、くらいだろう。
(今私がいるのは、偶然が重なっただけの奇跡がおこた夢)
この状況は、二度と起きない。
──そう自分に言い聞かせておかないと。
この夢のような時間が終わって彼が離れていった時にさみしいな、なんて思ってしまいそうだから。
彼に迷惑な感情をいだいてしまいそうだから──。
「んっ、美味しかった」
彼の声に視線をお弁当箱から上へあげる、と。
「冬菱、ゴミを捨てるくらいは自分でして」
「これを学校持ってきたのはお前じゃん」
はあぁ〜!? さてはこの人、私に昼食をもらったこと全く感謝してないよね!? いや、何となく分かっていたはいたけどさ。こういう風に言われると、この人に私の魂こめて作った――作ってはいないけど、おにぎりをあげなきゃ良かったって後悔しちゃう。
「ていうかさ、購買で買えば良かったじゃん! 気付かなかった……」
「いや、朝礼で担任が購買が今日ないって言ってたけど」
え? 冬菱って朝礼を真面目にちゃんと聞くタイプだったんだ。
「冬菱って、意外と真面目なんだね! 驚いたからこれあげる!」
「まじ? ありがと」
ふっふっふ。食べたあとに、後悔するがよい! それは辛い物好きの私でも辛い痺れ感じる、超激辛フライドポテトなのである……!
おにぎりを一つ恵んであげた私に、感謝しなかった罰だ!!
「んー、旨かった。俺が辛いもの好きだってことも、担任から聞いたの?」
彼がどんな表情をしてこれを食べるか、楽しみに彼を密かに眺めていた私。しかし彼は顔色一つ変えずに、ぺろりとフライドポテトを一口で食べてしまった。
(辛いものが食べれるなんて、聞いてないし……)
超激辛フライドポテトで復讐作戦、大失敗じゃん。逆に、彼の大好物を一つあげちゃった感じだし。
(……~~っ)
悔しいけど、私はここで諦めてしまうほど残念ながら諦めがよくない。
今日帰ったら、彼に報復する作戦を考えて――って。
(明日から私と彼はただのクラスメイト、っていうのを忘れてた……)
さらに残念ながら、私は悪知恵が働く方ではない。
(んー、今回は特別大大大サービスで私の中での彼への好感度マイナス百万で許してあげよーっと)
「あっ、冬菱が辛い物好きなのは知らなかったよ。ただ好きそうだなーって思ってサ。喜んでくれてとっても良かったヨ」
あはは……。
「お前、感情こもってなさすぎ。最後の方は棒読みだったぞ」
「ウソ!? 冬菱って、棒読みを見分けるプロだったんだね。ふふっ」
真面目な顔で指摘されると、何か面白くなって笑ってしまう。
「……っ。そんな才能あっても何の役にもたたないわ」
そう言った彼の顔は赤い。そんなに、棒読みを見分けるプロって言われたら恥ずかしいのかなぁ?
「え、そうー? 会話が盛り上がっていいじゃん」
彼との会話は会ったばかりのはずなのに不思議と盛り上がって、いつでも楽しいけど。——あれ? それとも、彼のコミュ力が化け物レベルだから? まあ何でもいいや。
「ていうか、お前本当は俺にやり返そうとしただろ」
——ギクリッッ。
「それから、また今度やり返そうとかも一瞬考えてただろ」
——ギクギクリッ。
「も、もしかして冬菱くんはエスパーなの!? それとも悪魔と契約して、心を読む能力を引き換えに手に入れたとか!?」
「そんないことねえよ。逆にお前こそ反応が大げさすぎ」
折角大げさに反応してあげたのに、何だその返事は。
「こっちは会話を盛り上げようとして、あえてこういう反応をしただけでーす。こういう時は普通、そうだったらどうするー? って乗るでしょ」
「……お前は、相手に色々求めすぎ。ていうか、そうだったらどうするー? って俺のキャラじゃない」
彼は、私のさっきの言葉を真似したつもりだったのかもしれないけど。
「冬菱は、モノマネの才能もあるんだね! モノマネのプロになれちゃうかも」
「なんないから」
私にとっては、ちょっとだけ笑いのツボだった。彼には口が裂けても言えないから、内緒だけど。
(ふう、今日は私にとって色々盛りだくさんの日だったかも)
まだ昼休みだけど、今日の私の世界はいつもとかなり違った。
普段は灰色の世界だけど、今日だけは特別。
すっごく意地悪だし、性格も悪いけどちょっとだけ優しいかもしれない彼のおかげで、私の世界の端は金色に染められていた。
頭では世界が彩に染まるのは今日だけだって、分かっているのに。それは九十九%変わることのない、ほぼ決定された事実なのに。
(神さま、昼休みが終わるまではどうか、この幸せな
心の奥底で、決して起こることなんてないはずの一パーセントを静かに祈りながら。
私は屋上で彼と二人きり、どこまでも上空の世界をソーダ色に染める、とどまることを知らない青空を夢にひたりながら眺めていた。
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