第一章 灰色の世界に金色を
第1話 金色に光り輝く
「あっまね! おはようっ」
「ひゃぁっ。おはよ……」
学校の靴箱で抱きつかれて変な声を上げてしまった私——
「天音は今日もかわいいねぇ~」
「だから、私は普通だって言ってるじゃん。私の普通じゃない所は、髪と瞳の色だけだし」
「ふーん、こんなに可愛い子が普通ですってぇ~? それじゃあ私たちは何になっちゃうのよ」
そう言って優しく私の肩をポコポコたたいているのは、友達の
「それに天音は、極度の面倒くさがり屋じゃない。よくそんなので、学級委員が務まっているわよね」
うぅ、それは否定できない。でもしょうがないと思うんだ。私は小学生の頃の一部の記憶を失っていて、しかも将来の夢なんて考える必要も——。
「蕗桐さん!」
「は、はいぃ」
気の抜けた返事をしながら振り返ると、そこには私を学級委員に指名した大嫌いな担任がいた。
(また、私に仕事押し付ける気!? もう引っ掛かんないわよ、その手には絶対に!)
——と、思っていたのに。
「蕗桐さんに毎回頼るのはその、ものすごく申し訳ないのだけど、ただあなたがやった方が絶対に成功すると思って。ほら、先生は忘れっぽいでしょ? だから蕗桐さんが大変なのは分かっているのだけど、実はここのところ先生も残業ばかりで忙しくて……」
「別に、少しくらいなら良いですよ」
い、いやあぁ! 言ってしまったぁぁ! またやられたっ。今回こそは絶対に嫌です、って断るつもりだったのにぃ……っ。
「あっ、ありがとう! 蕗桐さんなら、快く引き受けてくれると思っていたわ。それでね——」
まぁ内容を要約すると、今日からやって来る転校生に学校の説明をするだけ、と。しかし相手は御曹司の息子なので気を付けるように、と。すごく簡単ですぐに終わる仕事でした。
(いや、全然簡単じゃなかった! 御曹司の息子って何だよ! どっかで聞いたことあるような設定だけど、怒らせたら私、どうなるの……っ?)
もしも間違えてお茶を制服にこぼしたら退学、とか? それとも気に入らなかっただけでいじめられる、とか?
(私のモットーは人生イージーモードで、なのにぃ……)
「天音、良かったじゃん!」
「な、何が!? どこも良くないんだけど。また仕事をあいつに押し付けられた、最悪!!」
「えーでもさ、御曹司でしょ? ワンチャン天音に惚れて彼女にしてくれるかもよ」
そんなことないと思うし、御曹司なら許嫁くらいいるでしょ。それから私、金持ちだから結婚するとかそういうタイプじゃないし。自分を大切にしてくれる人が良いから。……そんな人がこの世にいるかは知らないけど。
「あのー、蕗桐さん。先生ここにいるんですけど、あいつ呼ばわりは先生泣いちゃう……」
「泣いていいですけど、先生!」
担任が泣こうが泣かまいがどうでもいいけど、私が何かしちゃったら最悪、御曹司に暗殺者をしむけられるっていう可能性もあるじゃん……っ!
「はい? 何でしょう、蕗桐さん?」
「私が今日帰らぬ人となったら、お墓にお花を添えて下さいね……」
「「んん??」」
「え? 天音? とうとう、やる気なくなって自殺……?」
いや、違うし。たしかに人生に生きる意味は見いだせていない派だけど、そこまでじゃないよ。
「そういう訳じゃなくて、暗殺されるかもって思ったら遺言は必要でしょう?」
「は、はぁ? まぁでも天音は、自殺しないんだよね?」
「う、うん」
御曹司さんが優しい人だったら、牢屋に一週間閉じ込められるくらいで済むかもしれない。
「天音の御曹司に対するイメージがどうなっているのかは知らないけど、御曹司の恋心を射止めてきなさいよっ!」
「先生も一応だけど応援しているわ!」
(一応って何だよ……)
「うん、怒らせないように頑張って来るね!」
二人の応援を受けて私は、第一面談室へと歩き始めた。——ものの。
(やっぱ、怒らせたらどうしよう……)
ついつい弱気になってしまう自分が、情けなくなる。小さい頃の記憶は失っているけど、もうちょっと世界の物事とかにやる気があった気がするんだよなぁ。
(でも、この何も感じない世界でひっそりと生きていくしか私には道がないと思うから)
いつからだろう? 皆と違って、私の世界は灰色になったような気がしている。何もないとまではいかないけど、何も感じることを
将来にだって、希望は見いだせていない。こんな普通の私に恋人ができる訳がないし、夢だって家族の跡を継ぐというのが暗黙の了解のなった時からすでに打ち砕けていた。
——ただ、私は知っている。本当は私もどこかで、皆の持っている
だから。
この灰色の世界に住む私をじりじりと絶賛照らし中の太陽は意地悪で、この世もとっても残酷だと私は感じている。
(ふぅ……)
私は自分を落ち着かせるために、ろう下に飾ってある絵を見ていく。『貴婦人の失態』という題名の、貴婦人がバナナの皮で転んでいる絵。『かつら首相』という題名の、首相に似た人物がかつらを外している途中の絵。『それ、美味しいの?』という名前の、おばさんがキッチンでクッキー生地にチョコと間違えてカレールーを入れている絵。
(ちょ、ちょっと!? この絵をセレクトしたの誰? 笑っちゃだめなのに、笑いそうに……っっ)
他の絵も見てしまった私が笑いをしずめること、十分。人通りが少ないのが本当に不幸中の幸いだった。
「し、失礼します……」
第一面談室の中には誰もいない。——そして。
(何でここにも、変な絵が飾ってあんの!?)
今度は『イカ好きのギャル』という題名の、熱を出したギャルが氷と間違えて冷凍イカを頭にのせて寝ている絵。その隣には『今流行りの治療法』という題名の、お腹が痛い人がジェットコースターに乗ろうとしている絵。
(ちょ、ちょっとこれヤバくない? こんな変な絵を置いておいたら、御曹司の逆鱗に触れて暗殺者を送られちゃう……)
「よしっ!」
私は御曹司が来るまでに絵をとることを決意した。だけど絵はがびょうで軽く押さえられているだけなのに、なかなかとれない。
「うぐっ。このがびょうが奥までささってて、とれない……」
最後の『この工場の未来』という絵を外そうとしていた、その時。
——ガチャリ。
「あれ? ―—天音? こんなとこで何してんの?」
聞こえて来たのは、聞いたことがあるような気がするけど知らない人の声。
(あっ、やばいかも)
今の私の格好は、面談室のソファの上に立って絵にしがみついている人。……はっきり言って、私は今どこからどう見ても変人である。
「あっ、えっとね……。私は変な人じゃないんだけど、ちょっとこの絵をはがさなくちゃいけなくって」
「はぁ?」
「私の上にある絵は見ないで欲しくて、それであなたの名前は
目の前で腕をくんで扉に寄りかかっている彼を見てしまったのが、間違いだった。
「か……?」
「……そうだけど」
不機嫌そうな彼は、とてつもなくイケメンだった。それはもう、藍色の瞳に吸い込まれそうになって、身体が動かなくなるくらい。
「えっとそれで、私は不本意ながら担任にあなた様に学校のルールについて説明しなくてはいけなくて……」
「不本意?」
彼が不機嫌そうに、ピアスを揺らしながら聞いてくる。この人ずっと不機嫌だなぁ。ていうか、ピアスが似合ってる人はじめて見たかも。
「あっ、あなた様の相手が嫌だとかそういう訳じゃないです。私なんかで申し訳ないなぁ、と思いまして」
どうしよう、誤解させちゃったかな……?
「あのさぁ、あなた様とか私なんかとかやめてくんない? 敬語とかもいらない。俺とお前って同級生でしょ? こっちが不快になる」
「す、すみませ――ごめんね。ちょっと恐れ多いけど、ため口で学校の説明をしようと思いま――するけど、何か分からないことがあったら聞いて下さい。って、あれ? 私今、文脈が変だったよね?」
学校生活のしおりを彼に渡そうとすると、彼は意地悪そうに目を細めて私の方に近づいてくる。
「うん、すっごく変だった。でもそういうとこ可愛いよ」
「~~~~っっっ!!」
——パタンッ。
きゅ、急に耳元でささやくと、びっくりするからやめて欲しいんだけど! ていうか、初対面の女の子に普通かわいいねって耳元でささやく!? ささやかないよね? こいつ、チャラ男だわ……。
「ちょ、ちょっと! 今日会った女の子にそういうことするのは、良くないと思うよ。一応の学級委員として言っておくけど、手当たり次第に女の子にそういうことしていると変なうわさ広まるし」
そういうと、彼はさっき私が落としたしおりを拾いながら何故か驚いたような顔をした後に、わざと悲しそうな顔をして言って来る。
「俺別に、手当たり次第にそういうことする人じゃないんだけどなー」
はぁ? いや、信じられませんね。気崩した制服も恨めしいくらいに似合っているピアスと指輪も、毛先だけ染めている髪も全部チャラ男であることを示してるもん!
「で、お前は俺のこと本当に覚えていないの?」
その時一瞬、小学生の時の記憶が一部抜け落ちていることが頭をよぎった。
でもよく考えたら、小学生の時のクラスメイトを中学二年生になっても覚えている人って少ないと思う。
それにこの人、人の顔とかすぐに忘れそうな人だし。御曹司が小学生の頃同じ学校にいたら、記憶喪失になっていても覚えていると思うんだよね。
「あのねぇ、見たこともないって言っているでしょ! 何か聞き覚えのある声だけど、綺麗な声だしどっかの声優と似てるからだと思う」
「ふーん?」
今度の彼は私を上からにやにや見下ろしてくる。こいつ、何センチあんだよ! 私の顔一つ分、こいつが高いんだよね。私が百六十で、顔の大きさは友達に測られた時に二十いくつかだったから――。
(百八十ごえ!?)
驚いて私は思わず、顔を大きく上げて彼の方を見てしまった。
「ん? 何? 俺の顔に惚れちゃった?」
うっっざぁぁ! たしかに顔だけは国宝級イケメンだけどさぁ。ちょっと性格が、ねぇ?
「ごめんね、期待してもらって悪いけどそういうのじゃないから。——で、この学校のルールはさっき貴方が拾ってくれたしおりに書いてあるから読んどいて」
「ん、分かった。それとさあ」
「えっ?」
急に彼に制服を引っ張られて、彼の手と私の腕があたる。
(……っっ!)
彼の手はひんやりとしているけど何故か暖かくて、彼からはほんのりとローズの香りがした。
「真っ赤になっているとこ悪いけど、あの絵って君が書いたの?」
——ぴ、ピクッ。
「ま、真っ赤になんかなってないし! ちょっと暑いなあ」
「へえ? 絵の方は否定しないんだ。それとここの部屋、クーラーついてるよ」
「い、意地悪! 冬菱くんって。あの絵は私が飾った訳じゃないからね。ほんっと、うちの校長ってセンスないわ~」
校長が飾ったかどうかは知らないけど、校長ごめんね! ちなみに、ろう下の絵は私が書いたのじゃないよ。
「ここの校長って、俺の父さんと仲いいんだけど」
「ええ!? わ、私なんかの絵を飾って下さり大変光栄ですネー」
「私なんかはやめろって言ってんじゃん。あと棒読みで頑張ってくれてるけど、ウソだよ」
「はぁ!?」
「まぁ一応知り合いだけどね。今の俺とお前くらい?」
「……っっ」
「わ、真っ赤になってる。かわいー」
クスッと笑う彼は、私の灰色の世界の中で。
ただ一人だけ、彼だけは金色に光輝いて見えた気がした。
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