第10話 温泉

 すったもんだの末、チェスカがケィンの反対を押し切り、謝礼をマスターから受け取った。




「どうせ資産家の娘なんて金余ってんでしょ。それにしても温泉かあ。あたしも久し振りに入りに行きたいなあ。U.N.連れて」


「じゃあこの謝礼金、気分転換の温泉旅行にパーッと使っちゃう?」




 レミィの提案に、チェスカがぱああと顔を輝かせた。




 ケィンはむっつりと黙っていたが、




「せめて、あの女の人のところにお礼を言いに行こうぜ。それとサガンにまだ行く気ならせめて太刀級くらいの冒険者を何人か護衛に雇うよう言っておきたいんだ」




 やがて、そんなことを言った。




 トロルを倒して街道を安全にしきれなかったことに引け目を感じているらしい。




「そんなこと言って~、ホントはあのお姉さんにまた会いたいだけじゃないの?」




 もう温泉に行く気まんまんでウキウキなチェスカがそんな風にケィンをからかう。




 その言葉にレミィの胸にチクリと刺す様な痛みが走った。




「資産家の娘だもんね、恩を売ってお近づきになりたいとか?」


「ちょっと、やめてよチェスカ。ケィン本気で怒るわよ」


「逆だ。謝ってもおきたいんだ。俺たちの力が足りないばかりにトロルを倒しきれなかった。依頼を甘く見ていたんだ」




 ケィンの表情は硬い。




「んじゃ早く謝りに行ってあたしたちは温泉旅行の計画を立てましょ、るんるん♪」




 彼とは裏腹にチェスカは温泉の話が出て以来ずっとご機嫌だった。




 ☆




 ヒラッドの温泉宿に泊まっているかの女性を訪ねた一行は和室に通された。泊まっている宿はマスターに聞けば簡単に分かった。なにせヒラッド温泉で一番豪華な旅館だからだ。




 ちなみに助けた女性はこう言っていた。




「私、船でナパジェイに着いたばかりでして。サガンには用事はなくて、ゼンチクに父がいるから会いに行く予定だったんでーす。あんなモンスターがいると知っていれば護衛を雇ったんですケド」


「申し訳ありません。ああいうモンスターは冒険者が判明次第排除するものなのですが……」


「謝る必要はありませーん。あなた方が来なかったらきっと私あのモンスターにパクパクムシャムシャ食べられてましたもの」


「いえトロルは人は食いませんが」


「とにかくありがとうございました。謝礼金も無事届いたようで何よりです」


「こちらこそありがとうございます。あんな多額の謝礼をもらってしまって」


「いーえイエ、私の知識不足の勉強料だと思っていますー」




 浴衣姿でレミィたちを迎えてくれた金髪の女性は生まれて初めて飲むという緑茶を前に機嫌よく話してくれた。




「いい宿だったわね、あそこにしましょうよ」




 チェスカは女性が泊まっていた宿が気に入ったらしい。たしかに見事な和室だった。




 女性の部屋を後にした3人は孤児院へ向かい、1日U.N.を旅行に連れて行ってあげたい旨を院長先生に説明する。


 ☆


「勿論構いませんよ、ご家族で楽しんできてください」


「オン……セン……ですか?」




 どうやらU.N.は温泉を知らないらしかった。




「そう。あったかいお湯が地面から沸いてるの。水浴びなんて比べ物にならないくらい気持ち良いわよ」


「私は皆さんのように冒険していません。孤児院のお給金もまだです。御一緒してよろしいのでしょうか?」


「もっちろん! あたしたちは家族よ」




 すると、U.N.はかすかに微笑んだように見えた。




「了解です。マスター。私もそのオンセンとやらが幸せに繋がるような気がしてきました」


「温泉上りの冷えたエールなんかこの世でもっとも幸せなものなんだから!」



 ☆



 かくしてあの女性が泊まっていたヒラッドの温泉旅館を予約しようとした4人であったが。




「B級宝石3つに共有財産からかなり出しても一部屋が限界かあ」




 あの女性、やはりそうとういい旅館に宿を取ったようである。




 受付で値段を訊くと思ったより高額な宝石を要求された。




 ちなみに今は夕刻。気の早い旅行客たちはすでに風呂上りの夕食にありついて舌鼓を打っている頃である。




 そこへ宴会場の方から騒がしい声が聞こえてきた。




「高い金を払ったのに人肉料理がないとは何事かあっ!」




 レミィたちが駆けつけると1匹の食人鬼が料理の内容に文句を付けている様だった。




「メスだ! 人間の女の肉を出せ!」


「お客様、食人衝動を抑えるための血なら用意してございます。どうかそれでなにとぞ御勘弁を……」


「俺はキョトーでは少しは名の通った用心棒だぞ! 人肉だ! 女の肉を食わせろ! 血などではもう我慢できん!」




 宴会場はパニックだ。食人鬼が普通に客として来ている事はナパジェイでは驚くに値しないが、普通は人間の血を月1回位のペースで舐めるだけで食人衝動を押さえ込む。




「この金髪の女、若くてウマソウだ。料理してもってこい!」




 食人鬼は近くにいた適当な女性を指差し、無茶を言っている。




「ですから血を用意いたします! どうかお客様を食べるなんて言わないでください」




 宴会場は騒然となり、女性の中には我先にと部屋へ逃げ出そうとしている者もいた。




 これはこの場を収めた方がいいと判断したケィンが、




「チェスカ、武器は持ってきてるか?」


「うん」




 二人が食人鬼を止めるつもりだと理解したレミィは咄嗟に青の宝石を取り出した。




「バインド・ミスト!」




 やかましく「女の肉だ!」と吠えていた食人鬼の動きがおとなしくなる。動きを阻害する水蒸気を放ったのだ。




「一応客だし、殺しちゃまずいよな」




 ケィンが峰打ちで食人鬼の胴を一撃する。




「げぐはっ!」




 そこにチェスカが追い討ちをかけた。彼女の得意技、ジャンプしての脳天撃だ。




 それで食人鬼はぐらんぐらんとふらつき、とうとう別の客の料理の上に倒れ伏した。




 ガシャーン!




「キャー!」




 聞き覚えのある悲鳴が響く。




 なんと、食人鬼が倒れたのはあの、トロルから助けた女性に出された食事だったのだ。なお、さっき「料理しろ」と言われていたのもこの女性らしい。




「つ、つくづく縁がありますねえ……ごめんなさい」




 レミィが話しかけると、女性は口をパクパクさせた。




「お、お客様ーっ!」




 旅館の従業員が気絶した食人鬼に駆け寄る。




「部屋まで運んでおいてやれ。後起きたら人肉料理は出してない、血で我慢しろってしっかり言い含めておいてくれ」




 ケィンがぶっきらぼうにそう告げた。




「お騒がせしました。お客様、すぐに新しい料理を準備いたしますので少しお待ちくださいませ」




 従業員が女性にそう言って二人がかりで食人鬼を宴会場から運んでいく。




「あ、あのモンスターは人、食べるですか……?」




 ようやく口がきけた女性はレミィにそう問いかける。




「あれは食人鬼といって人肉を好んで食うモンスターです。ですが、普通は人間の血を舐めて我慢してます。いくらナパジェイでもあんなに食人欲旺盛なのは冒険者に退治されますよ」


「これはトラブルを解決してくださったお礼です。お納めください」




 女将と思しき女性が袋に入った宝石を差し出してきた。




「ちょっと待て、それ要らねえから部屋をふたつとらせてくれないか? 俺たちこの宿に泊まろうとしてたんだよ」


「たしかに部屋はまだ空いておりますし、あの食人鬼のお客様がまた暴れたときのためにあなたがたが泊まってくださるのは心強いですが」


「じゃあ明日から1泊2日で2部屋押さえられるか?」


「かしこまりました。どちらか喫煙で?」


「いや両方禁煙で。一部屋は小さめでいい」




 かくしてトラブルはあったが、明日から楽しい温泉旅行と相成ったのだった。

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