小説の中に降る雨

ゆう

小説の中に降る雨

私達が校舎を出る頃には、「空が泣き始めていた」。


これは雨が降り出したことを表す、私が考えた比喩だ。

そして、数時間前の作品発表会で酷評された、私の小説の中で使った表現だった。


先生には、「遠藤さんの表現には魅力がない」とバッサリ切られてしまった。


自分でも才能がないとは薄々気づいてはいたけど、なにもみんなの前で、あんなにはっきり言わなくてもいいじゃない。


「雨降ってきたね」


「まいったな。傘持って来るの忘れた」


さっきまで年度末の文芸部の冊子づくりを一緒にしていた高橋くんが、生徒玄関まで引き返してきた。


「空が泣いてるな」


高橋くんはこうやっていつも私をからかってくる。

本人曰く、私の反応が面白いんだとか。


「もー、うるさいなあ」


「自分が書いた文にうるさいは失礼だろ」


高橋くんは、コートについた雨を払いながらそう言った。


「上手く書けたと思ったんだけどなあ」


「俺は好きだけどな、遠藤の小説」


そうやって褒められても、いつも冗談ばっかりの高橋くんの言葉には全く重みがない。


でも、高橋くんの小説は別だ。

高橋くんの書く文章は、すごく重たくて、リアルで、怖い。

それはおどろおどろしい、という意味ではなくて、真に迫る恐ろしさ。


高橋くんにかかれば、登場人物が本当に存在する人のように表現される。


私は高橋くんとの才能の差が恥ずかしくなって、せっかく製本した冊子をクルクルと丸めてしまった。


「高橋くんの小説はすごかった。どうしてあんなにリアルに書けるの?」


高橋くんはいじめの小説を発表した。

いじめの加害者となってしまった中学生が、後悔をし続けるという話だった。


集団いじめの過程。その心理。

遺書の内容。

いじめの被害者が自殺未遂をした後の母親の心理描写。


そして加害者たちの懺悔の日々。


ノンフィクションだと感じるほどの現実味があった。


「そりゃあ、そういう風に書いているから、としか答えられないなあ」


「ノンフィクションみたい」


私は思ったことをそのまま言葉として高橋くんにぶつけてみた。


「そりゃそうだよ。だってノンフィクションなんだから」


え。と私の口が開いたまま時間が固まった。


「・・・って言ったら遠藤はびっくりする?」


なんだ、いつもの高橋くんの冗談だった。


「登場人物たちの世界に入り込む。時には登場人物になる。そして、見たこと、色、嗅いだ匂い、温度。それをただそのまま書けばいい」


やっぱり高橋くんには特別な想像力があるんだって思った。

それに比べて私はやっぱりだめだ。


私の書いた動物たちの世界は、どうしても作り物だ。

犬が、鳥が、うさぎが、くまが一緒に折り紙を作る。

その折り紙が意思を持って、その動物たちと遊びだす。


児童文学とは体良く飾った言葉であって、私が書いているのは子どもだましの夢物語だ。


「ほら、ソラが降ってきた」


雨を指差して高橋くんが言った。

『ソラ』とは私の小説の主人公の犬の名前だった。


「あれは、ピピで、それがグーで、ほら、かわいい動物たちがたくさん降ってる」


全部私の小説に出てくる動物の名前だった。

また高橋くんのいじわるタイムが始まった。


私がふくれていると、それを察したのかそうでないのか、高橋くんは窓の外を見ながら言った。


「日本の小説の中には雨が降ってるんだって」


何それ、意味わかんない。

けど、表現としては素敵だと感じた。


「外国の小説家が言ってたんだ。ほら、日本の小説は縦書きだろ。上から下に。それが雨が降ってるようだって表現したんだ」


なるほど、と思った。

そんなこと考えたこともなかった。


「ほら、ソラだけじゃなくて、森も、山も、動物たちの家も、降ってくる。雨のように。読者の心に」


「それってなんだか素敵」


先生の言う通り、私の「空が泣いている」なんて表現が、すごく陳腐で浅いものだったって改めて思い知らされた。


「でも『ソラが降ってきた』ってなんかいいな」


「うん、私もそう思った」 


たまたまできた面白い文章に、私たちは顔を見合わせて笑い合った。


そんな表現が私にもできたらいいのに。

言葉がもっと上手に使えたらいいのに。


そしたら、私のこの淡い恋心も、上手く伝えられるのに。


「でもそんな言葉の雨をかいくぐって、遠藤の動物たちは青い折り鶴に乗って空の上まで行くんだ」


私の書いた小説は、動物たちが青い折紙で折った大きな折り鶴に乗って、大雨の中、青空を探しに行くというラストで締められる。


「拓也が受けた死を選ぶほどの苦しみや、恨みの言葉の雨を。涼太が感じた大きな罪の意識や、許しを乞う言葉の雨を。

遠藤が書いた動物たちは青い折り鶴に乗って、その頭に、顔に、肩に受けながら笑顔で青空に昇って行ってくれたんだよ」


涼太とは高橋くんの書いた小説の主人公だ。


*    *    *    *


ぼくは罰を受けている。


ぼくたちは夜中まで一人手で働いて稼いだ拓也のお母さんのお金を奪い続けた。


柿沢拓也で『カキンくん』。

それがぼくたちが拓也に付けたあだ名だった。


「えへへっ。やめてくださいよお。無理っすよお」

って拓也は笑っていたんだ。

同級生なのに敬語を喋ってはいたけど。


それはただ拓也がおどけて言っていただけで。

ぼくたちはお互いに笑い合っていたんだ。

本当なんだ。


誰からも相手にされなかった拓也は、ぼくたちと一緒にいられて楽しそうにしていたんだ。


拓也とぼくは友達だった。

それが証拠に、拓也はぼくのことを「涼太くん」って呼んでくれていた。


でも今思えば、ぼくのことを「くん」付けで呼ぶのは、女子以外だと拓也だけだったけど。


初めはコンビニのガムだった。

それがいつしか、中学生のお小遣いでは足りないくらいの金額になっていった。


でも拓也は「絶対無理っすよお」って言いながら、次の日にはスマホゲームに課金ができるギフトカードを何枚も持ってきた。


そんな日常の、ある日の放課後。

拓也は突然遺書を残して首を吊った。

ロープをかけたカーテンレールはすぐに外れ、拓也の首にはロープの跡も残らなかった。


2階から聞こえた大きな音に驚いて、本当にたまたま夜勤に出かける前のお母さんが発見したのは、首元に彫刻刀を突き立てようとしている拓也だった。


『お母さんの血がにじむような努力を、ぼくは踏みにじりました。』

と始まる遺書の中で拓也は、こんな一文を書いた。


『ぼくは、◾️◾️◾️に殺されました。』


拓也が書いた遺書のコピーはクラスメイトに公表された。

具体的な3文字の名前は黒く塗りつぶされてはいたが。


ぼくは苗字も名前も2文字ずつ。

だからそこに書かれた名前は自分じゃない。


ぼくは確かに拓也が買わされていたスマホのギフトカードをもらったこともあった。

でも、ぼくが直接何かをしたわけじゃない。


だからぼくじゃない。

ぼくの名前が書かれているわけがない。


でもぼくは。


ごめんなさい。

謝って許されるのならいくらでも謝ります。

お金を払えばいいのならいくらでも働ききます。

だからごめんなさい。


でも卒業まで拓也は登校することはなく、教室には拓也の空の机だけが残されていた。


今ぼくは、罪を背負いながら生き続けるという罰を受けている。


*    *    *    *


高橋くんの小説の、遺書の黒塗りの3文字が、具体的な重みをもって私の心にしかかっていた。


「拓也が書いた遺書の黒塗りの3文字の言葉が、遠藤には分かるか?」


ふいに聞かれた。

私はハッとして高橋くんの顔を見た。


そうか、あの黒塗りには、名前が書かれていたわけじゃないんだ。

例えば…『おかね』とか『かきん』とか、『ことば』とかはどうだろう。


いや、わざわひらがなでは書かないだろう。

なら、『カード』。もしくは『スマホ』?

うーん、しっくりこない。


やっぱり私の想像力には限界がある。


私が首を捻っていたら、高橋くんがゆっくり言った。


「そこにはね、『みんな』って書かれていたらしいんだ」


さっきまで意地悪な笑みを浮かべていた高橋くんの顔が歪んだ。

涙が高橋くんの頬を伝っていった。

高橋くんはそれをぬぐおうとはしなかった。


私は高橋くんの目から自分の目を離せなくなった。


「涼太は今でも罰を受けているんだ。

拓也の言葉の雨に打たれ続けているんだ。

そして涼太自身も、自分の黒塗りの心に雨を降らせ続けるために書いてるんだ、小説を。

それが、涼太が受け続けている罰なんだ」


私は高橋くんの遠くを見つめる目を見続けた。


いつも意地悪な高橋くんが、時々こんなすごく哀しい顔をするのを私は知っていた。

私はそんな高橋くんに惹かれていた。


その理由が分かった。


「でも、そんな涼太を、遠藤の動物たちは救ってくれたんだ。青い折り鶴に乗ってね」


高橋くんは涙を流しながら、私を見つめ返してきた。


「罰は受け続ける。だけど、前には進もうって思った」


高橋くんは涙を拭った。


私は高橋くんにハンカチを渡した。

まだ使ってないよ、って笑いながら。


私の書いた、小説とも呼べない夢物語に降る雨が、誰かの黒塗りになった心を少しでも洗い流せるのなら。


これからも私は、酷評されながらも、つたない言葉を書き続けていこうと思った。


罪を償うために小説を書くなんて寂しすぎるから。

それを高橋くんに分かってもらいたいから。

私も一緒に前に進みたいと思ったから。


今度の作品は、一番に高橋くんにも読んでもらおう。

高橋くんはきっと、私の下手な文章を読んでも、「俺は好きだよ」って言ってくれるから。


捨てようと思って握っていた文芸部の冊子のしわを伸ばした。

表紙に書かれた共同制作者一覧の高橋くんの名前が、私の指に触れた。


いつの間にか「空が泣き止んでいた」。

雲の切れ間から覗く青空は、青い折り鶴が見せた空だった。

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