第23話 外野(1/1)

「先生!ちょっと待って!待ってってば、鷹村先生!」


振り向くと、息を切らした後藤智代がちょうど三階に足をかけていた。

水内が彼女を睨みつける。

先程までの無表情が打って変わって、眉間に皺が寄っている。

どうやら完全にご機嫌斜めのようだ。


「鷹村先生!が!が武道場で怪我してる!」


「はぁ?」


(この子は何言っているんだ?)


だが、彼女の表情は真剣そのものだ。

ふざけている様子など微塵も感じられない。


「だからが!足が痛い、動けないって言って、倒れてるの!早く武道場まで来て!」


「君は…二組の後藤智代だったか。鷹村先生はここで話があるんだ。職員室から誰か呼びなさい。」


目の前の男から見事に余裕が吹き飛んでいた。

表面は普段通りの平静を装っているが、発する言葉に怒気が含まれている。


「鷹村先生はでしょ!!さあ、早く!」


(そういうことか!)


後藤は僕の右手を掴むと、ぐいっと強く三年二組の方へ引っ張った。


「水内先生、申し訳ありません。、生徒の様子を見てきますので、お話は後日でお願いしまっ…!」


言い終わる前に右へと引っ張られたので、僕は最後まで水内の表情の変化を見ることが出来なかった。しかし、腸が煮えくり返って、自慢の仏頂面を崩さずにはいられなかったはずだ。



後藤は僕を力強く牽引する。

体勢の整っていない大人一人をものともせず、骨や筋肉だけでない、血の一滴、細胞の一つ一つに至るまで、全身からエネルギーを産み出し突き進む。


彼女は一切振り返らない。

視界が大きく揺れるに任せている、情けない姿の僕が持ち直すのを信じているかのようだ。


僕は引っ張られる力を利用して、なんとか加速しようと両足に力を込める。

始めは彼女に引っ張られるだけで、無様な恰好だったに違いない。

だが、一歩、また一歩、と廊下を踏みしめていくにつれて、自分から足の裏で廊下を捉えていくにつれて、牽引される力が感じられなくなる。

そして、フォームを整え彼女と並走する頃には、いつの間にか北側階段が目の前という所まで来ていた。



「先生、振り返らないで。」


後藤が小声で注意した。

僕は一つ頷いて、廊下を曲がり階段に足をかける。

たたたたたたたんっと、小気味良い音を立て、一つ目の階段を下る。

輪唱のように彼女の足音が、階段に木霊する。

踊り場を過ぎて、『さぁもう一つ』というところで、僕は少しだけ後ろを振り返った。

後藤は全力疾走したはずなのに、ほとんど息が切れていないように見えた。

寧ろまだ余裕があるのだろうか?


「こっち見てないで早く!」


僕の視線に気づいた彼女は、弟を叱る姉のような口調だった。

どことなくお怒りモードの我が妹を思い出すが、僕は頭を一振りして嫌な想像を払い飛ばす。

そして、僕は今しかないと思い、彼女に向って拳を突き出した。


「後藤、助かった。ありがとう。」


彼女は歩調を緩め、コツンと僕に応じる。


「どういたしまして。お役に立てて何よりです!」


本当に人受けする愛嬌のある笑顔だった。

彼女の会社の人たちは、この笑顔に癒されているのかもしれない。

看板娘っぽく…はないな、社長令嬢だから。

そうするとお姫様か?

でもこの子は姫というより、もっとワイルドな何かだ。

強いて言うなら、族長オサの娘?


「何ぼさっとしてるんですか!早く!」


背中をパシンと叩かれ、僕らは一階まで一気に駆け下りた。



一階はすでに人気がなく、外壁工事のための足場と防音シートによって遮光された廊下は非常に薄暗かった。

北側階段から反対側を見ると、南側昇降口から差し込む微かな光しか見えない。


「後藤、早く保健室に。」


「大丈夫。櫻子は純子先生と一緒だから。こっちは武道場まで行こう。」


「アリバイ作りってことか。」


彼女は一つ頷くと、渡り廊下へすぐさま飛び出した。

僕もそれに続き、体育館横を通り抜ける。

僕らはあっという間に武道場の裏手にたどり着いた。



「はい、お疲れさまでした。先生。」


「ありがとう、…本当に、助かった。…それにしても…後藤は、息を…切らしてないな…。」


グラウンド整備用のロッカーの横にあった切り株に、僕はどっかりと腰かける。

運動不足が体に堪えており、呼吸よりも膝から下の倦怠感がひどい。


「小学校までミニバスケやってたしね。一応、関東大会経験者。」


小さくピースサインをする彼女に、僕は思わず納得の声をあげてしまった。


「けど、すぐに負けちゃったんだけどね。」


肩をすくめると、彼女は腕を組んでロッカーに寄りかかる。


「それでも大したものだよ。でも、後藤が部活の用具を持ってるところ、見たいことないぞ?」


「そりゃそうだよ。私、女子バスケ部の幽霊部員だから。」


さも当然と言わんばかりの彼女だが、その言葉には少しだけ影があった。


「聞いてもいい話か?」


「もちろん。それでも大した話じゃないよ。やる気のない雰囲気の部活に嫌気がさしたってだけ。」


「バスケ部は熱心な部活じゃないのか?昼休みに部活を提案したのも…。」


「それは今の顧問でしょ。あの人は去年この学校に来たの。」


僕の言葉を否定すると、彼女は僕を切り株からどかし、少し乱暴にその場所へ座った。


「顧問が変わっただけでここまで変わる?ってくらい雰囲気が変わってさ。みーんな練習大好きに早変わり。おまけに大会に出れば、それなりに結果出すんだよ。君たち、やる気があった私を馬鹿にしていたじゃないって思った。」


「クラスが荒れていたから、余計に辛かったろ?…一年三組が。」


「そう、クラスじゃ男子と金井を中心としたグループが毎日喧嘩してて、面倒くせー、関わりたくねーって感じだった。でも部活でストレス解消しようにも、みんなやる気ないでしょ?参っちゃうよね。」


彼女が左手で少し癖のかかったこげ茶色の髪をかき上げると、先日の時計がキラリと光った気がした。


「だから、家で好きなことしようって決めたんだ。」


「相変わらずその時計、恰好良いな。色が後藤っぽくて恰好良い。」


「お褒めの言葉を頂き光栄です。やっぱり褒められるのって嬉しいね。」


仰々しい言葉を使えるくらいには元気が出たようだが、まだ少し寂しげな笑顔だった。


「好きなことしようって決めてから、ネットや雑誌、図書館で服飾史やそれに関する文化まで調べたりして、毎日楽しいの。」


彼女は参考にした雑誌やモデルの名前をすらすらと挙げ始めた。

チープシックにグレタ・ガルボ、その他昔のハリウッド女優の名前まで挙げたときは、校則ギリギリの制服アレンジにまで挑む姿勢に納得がいった。


「ところで先生ってさ、部活やっている子が偉いって考えじゃなさそうだよね。」


「僕は中高と文芸部の日陰者だったからな。所属しているから、部活に打ち込んでいるから偉いって考えはないよ。本人がどんな行動して、どう思ったかってことを評価するのが良いと思ってる。」


「私みたいなはぐれ者には、そういう考え方の方が嬉しいかも。」


彼女は愛想よく笑いながら、両足を交互にぶらぶらと揺らした。


「そりゃあ良かった。それでは今の事をしっかりと内申書に書いて進ぜよう。」


「ははー、ありがたき幸せ。でも、先生は今のままが合っているよ。これはマジ。」


僕のふざけた態度に乗ってくれたが、彼女は悟ったような表情で言った。

これではどっちが大人だか分かったもんじゃない。


「ありがとう。後藤は僕の友達みたいなことを言うんだな。」


「単純に規則にうるさい先生を想像できないだけよ。しっかりしてそうに見えて、いっつもどこか抜けてるんだから。」


「ぐぬっ。」


肝臓を的確に揺らすボディブローのような言葉に、上手い返しが思いつかない。


(これでもきっちりしようといつも心がけているんだがな…。)



後藤は完全にリラックスした様子で、ぶらりぶらりと足を揺らしている。


「ところで、そろそろ戻ったほうが良いんじゃないか?小日向は保健室にいるんだろ?」


「そうだね、そろそろ行こうか。でもその前に、先生は真面目な話と心が温かくなる話、どっちを先に話して欲しい?」


彼女は両方の人差し指を立て、僕に選択肢を示す。

正直言って、自分の好きな方から話してほしい。

だが適当なことを言うならば、踊り場のときみたく容赦のない我が妹を思い出すような叱られ方をしかねない。


「では、心が温かくなる話から頼む。」


「了解。ちょっと待ってね…。」


彼女は背筋を伸ばし、脚を揃えて僕に向き直る。


「先生、氏子先生のことを調べてくれてありがとうございました。」


彼女は運動部らしい、背筋がピンと伸びた礼をする。

僕は意外な話題に少しだけ面食らってしまった。


「クラスに無関心だった私でも、あんな結末ことになったから気にしてたんだよね。」


「偶然だよ。色々な条件が重なりあって、その結果僕が関わっただけだ。」


「それでもいいんです。私はスッキリできたから。」


「分かった。謹んでお礼の言葉をいただくよ。」


彼女は満足そうに返事をすると、にかりと愛嬌のある笑顔を作る。

どことなく笑顔の使いどころに慣れているのは、家の仕事を手伝っているからだろうか。



「それで、真面目な話は?」


「分かった。ちょっと待ってください。」


彼女は何か意味ありげな表情をすると、自分の頬をぴしゃりと両手で叩く。

気合を入れたのだろうか。


「昨日、河津ちゃんが一年三組でいじめがあったって話をしたこと、覚えてますか?」


「氏子先生のきっかけになった件だな。」


「そう。あのいじめは…起きてないと思う。」


彼女の瞳は真剣だ。


「どういうことだ?思うって煮え切らないな。」


「私たち、学校から何の調査もされていないの。」


「ヒアリングにアンケートも?」


「そう。起こったことは、代わりの先生が授業をやったってだけ。それにね…。」


彼女は言葉を慎重に選び始めた。

そして、顏の前で手を合わせ口元に寄せた。


「ゲンペイは馬鹿だけど、いじめをするようなクズじゃない。あいつのグループが、一年三組でいじめをするとは思えないの。」


「それじゃあ根拠にならないだろ?河津が見たものは何なんだって話になる。」


「例えばだけど、あいつらがふざけて遊んでいたとしか言えない。三組は特に監視と生徒指導が厳しかったから。」


氏子先生の話からも十分理解できる話だった。

事件後は想像するまでもなく、厳しくなっただろう。


「それならゲンペイは一体何なんだ?確かにあいつは体育館裏で見た時、それほど悪いやつに思えなかった。でも、騒動の中心人物で、いじめの疑惑があって…。」


「あいつは氏子先生が怖くて、クラスメイトを守ろうと先頭に立ってた。その取り巻きも同じ。だから、あいつ等は先生にずっと抵抗してた。」


「怖かったから抵抗って、なんだそりゃ?」


彼女は険しい表情のまま僕をじっと見つめている。


「先生は、性格が変わったように怒り出す人を怖いと思わないの?自分より体の大きい人が、急にすごい剣幕で怒鳴ってくるんだよ?高圧的に詰め寄ってくるんだよ?そんな人に一年間教えてほしいと思う?」


「すまん、無理だ。」


「先生は自分が悪いと思ったら、ちゃんと謝ってくれるよね。でも、氏子先生は間違っても謝ることをしなかった。」


「僕なら印象は最悪だ。」


「あの先生は見ていてずっとちぐはぐだった。本音は違うんだろうって雰囲気はあった。でも、あんな状態を続けてる先生を怖いと思わないのは、正直無理な話だよ。何より私たち、小学校を上がったばかりの中学一年だよ?大人の鷹村先生が無理って思ったしたことを、子どもの私たちが我慢できると思う?」


僕は反論できなかった。

先日聞いた氏子先生の意図を、僕は彼女に伝えることができる。

しかし、それを知ったからといって、彼女たちが氏子先生を怖いと思った事実に変わりない。


「ゲンペイ達はいじめの件で、呼び出しを受けてなかったのか?」


「多分だけど受けていない。もしあいつ等の誰かが呼び出されていたら、クラスの誰かしらが気づいていたはずだし、そのことを漏らしてるよ。当事者はゲンペイ一人じゃなくて、あいつのグループだからね。」


「まとめると、…白に近いグレーって感じだな。」


「うん。もちろん本人たちに聞けば分かる事だけど、真面な答えなんて返ってこないんじゃないかな。あの一年間が良い思い出ではないことは、誰にとっても確実だから。それにね、当事者のグループや当時のクラスメイトの中に転校した子もいるから、二年前に誰がどう思っていたなんて、もはや真相は闇の中?って感じ。」


そう言い終えると、彼女は上半身と足をピンと伸ばす。

縮こまった体を伸ばしているようだった。


「これがクラスに無関心だった、外野わたしから見た限界。だから、格好つけて偉そうなこと言ってみても、河津ちゃんがいじめを見たってことを否定しきれない。…ただ確実に言えるのは、あの子が意固地になってたってことくらい。」


「やっぱりそうなのか。昨日の雰囲気から、なんとなく予想してたよ。」


「当時、かなり入れ込んでたからねー。だから、昨日のやつを聞いて納得しちゃった。でもさ、あの子の思いって悪いことではないよね?」


彼女は僕の反応を見るように顔を覗き込んだ。

どう応えるか見逃すまいとする眼差しだ。


「もちろん。小日向に憧れて氏子先生を助けようとしたことを、僕は責められない。河津の思いは尊重されるべきものだと思うよ。」


「だよね。でも、今の会話は河津ちゃんに内緒ね。今更、知らなくていいことだってあるはずだから。」


「同意見だよ。ひょっとして、後藤は僕より大人なんじゃないか?」


「こう見えて、私も色々苦労してますから。んじゃ、戻ろうか。」



どこかスッキリとした顔つきをしている彼女は、軽く反発をつけ、切り株から軽やかに立ち上がる。

手早くスカートについた埃を払い、屈伸する様子は、再び走るための予備動作に思えた。


「なあ、後藤。なぜあのタイミングで僕の所に来れたんだ?」


埃を払う手を止め、彼女はじっとりとした目線をこちらに向ける。


「大隈先生に抱えられている所を見かけたら、誰だって非常事態だって思いますよ。」


「それは間違いない。運ばれている僕も身の危険を感じていたからな。」


実際に体は二度目とはいえ、危険信号をあげていた。


「一人で職員室に戻ったと思ったら、次に出てくるのは水内と一緒とか。正直、先生は馬鹿なのかと。」


「失礼な。あれには事情があってだな。」


「昨日の河津ちゃんの話を聞いたなら、二人きりが危ないって気付きませんか?」


「いや、男には引けない場面ってやつが…。」


「水内が使うのは、どう考えても進路指導室でしょう?どーして敵の本拠地にホイホイ入り込もうとするかなー。」


「…返す言葉もございません。」


本当に我が妹のような詰め方で、胃が痛くなってきた。


「先生が叫んだのは良い判断でしたけど、あそこで私が駆けつけなければどうなってたか。」


(申し訳ない。叫んだのは偶然なんです。)


僕は心の中で手を合わせ謝罪した。


「一人で戦っているって訳じゃないんですから。純子先生や大隈先生、二人とも心配してるでしょ?櫻子や河津ちゃんだって、先生に何かあったら悲しみますよ。」


彼女は深くため息をつく。


「あの、後藤さんは悲しんでくれないのでしょうか?」


「先生?一言多いところは直した方が良いですよ。」


彼女の張り付けたような笑顔に、僕は平謝りするしかなかった。

大学の友人たち、特に鍋島は面白がっていたんだがな。


「私に変なトラウマを作らないで貰えます?せっかくスッキリしたばかりなんですから。」


「分かった。これからは良い思い出だけが残るよう頑張るよ。」


「よろしい。じゃあ、保健室に戻りましょ。」

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