第17話 独白(1/1)

「先生、独り言いいですか?」


僕の目の前では、部員たちが構えと素振りのチェックのため、動画撮影の準備をしている。

部長の木塚はテキパキと指示を出し、部員もそれに従ってキビキビと動き回っている。



僕の右隣では、気の抜けた声の主、マネージャーの小日向が壁に背を預け、胡坐をかいている。

部長曰く『部活中は必要な時以外、正座しなくてよい』と小日向が決めたそうだ。

だから今の彼女は一見すると態度が悪く見えるが、咎められることではない。

しかし、普段から小日向は制服がきっちりと整えられている分だけ、他所から見ると今の姿が余計にだらしなく見えそうであった。


「いいぞ。僕も適当なときに独り言を言ってやる。」


僕は監督の立場上怠けられないので、立ったまま視線は前方に、背は壁に預けたまま返事をする。


三秒間の空白。


「私さ、自分が守らなきゃって思ったものを守ると、全部駄目になるみたい。一年の時、暴力指導者を止めたときもそうだった。郁久乃のこともそうみたい。一年生の私は、理不尽なことで怒鳴られてた先輩たちを守らなきゃって思った。理不尽な暴力を振るわれそうになった英美里を…絶対に守らなきゃって思った。だけど結果は、部が丸ごと壊れちゃった。先輩たちはみーんな、化け物でも見るみたいに私を見た。最後の大会どうしてくれるんだーって、私に怒鳴った先輩もいた。指導者がいないからって、退部者が大勢出た。おまけに当時の顧問と担任からは、好き勝手言われて問題児扱い。関係のない先生にまで、白い眼で見られる始末。」


滔々と彼女は語る。


「郁久乃のこともそう。あの子は五年生のときに転校してきたの。今よりもっと小さくて繊細で、ずっと不安そうにおどおどしていて。それだから、毎日男子がちょっかい出していたの。だから私がからかうのを止めさせたらね、あの子は目をキラキラさせて、『お友達になってくれませんか?』って言ってさ。私、舞い上がっちゃった。それで、その時思ったの。この子は絶対に守らなきゃって。私、馬鹿みたいだよね。」


彼女は自嘲気味に笑った。


「私、考えるより先に体が動くからさ。助けた人がどう思うのかなんて、考えたことないの。小さな頃からそうだった。だから、剣道部の件も後悔しないことにしてた。でも、郁久乃に言われるとね…、正直辛い。昨日から胸に穴が空いたみたいなの。私ってさ、本当に…何なんだろう。」


絞り出され、震える言葉。


部員たちは撮影に集中して、こちらを向いていない。

ここだけ空間が切り離されているようだった。

僕は静かに呼吸を整え、覚悟を決めた。


「お前が守った人たちは、全員お前を恨んだのか?『ありがとう』って言った人はいなかったか?助けた人の表情かおは覚えてるか?助けられた人たちは、全員お前を非難してたか?」


思ったままに言葉を紡ぐ。


「お前が守りたいと思った先輩たちはどうだ?目の前にいる木塚はどうだ?気づいてたか、小日向。お前が二年前の話をしたとき、木塚は必死に否定してたんだ。そんなあの子の、二年前のお前が守った彼女の、ずっとお前の隣にいる木塚の、お前を大事に思う気持ちに気づいていないなんて、俺は絶対に言わせないよ。」


目の前の剣道部部長の木塚は、相変わらず部員に指示を飛ばしている。

時に真面目に、ある時は冗談を飛ばしつつ、本当に楽しそうな笑顔で。


「あれがお前の守ったものだろ?壊れてなんかいないじゃないか。あの笑顔を誇りに思えないなんて、とんだひねくれ者だよ。」


僕は一呼吸置く。

心のままを打ち明けた君に向かって、僕の思いを伝えなければ。

いつも眩しく輝いている君に向かって。


「次に河津はどうだ?小学校の頃に見た表情かおって、本当に嘘だったのか?よく思い出してみろ。お前が中学校になって、付き合ってきたあの子の表情かおは?もちろん、昨日の言葉が全部嘘とは思わないよ。でもさ、全部本当ってわけじゃないと思うんだ。人間の感情って、1か0じゃない。物凄く繊細で色んなものを含んだ、複雑なものだと僕は思う。だから、まだ駄目になんてなってない。壊れてなんかいないよ。あの子の真意を知らないで、壊れたなんて簡単に言うんじゃねえよ!自分を否定するな、小日向櫻子!」


隣から一度だけ、鼻をすする音が聞こえた気がした。


「お前は人を助けるとき、何も考えないって言ったな。でも大人の世界って、知ってて助けないとか、助けても裏があるとか、そんなことばかりみたいなんだ。嫌なもんだろ?だからさ、お前のそれは得難い美点なんだ。小日向櫻子の長所は、誰にとっても眩しい、羨ましいものなんだ。」


途中から誰に向かって独白はなしているのか、分からなくなった。

だが、それでもいい。

ほんの一欠片でもいい。

一人ぼっちの寂しい世界で立ち尽くしてる、大事な僕の教え子に届け。


「僕は君を、小日向櫻子を心から尊敬するよ。」


沈黙の四秒間。


「…先生、こっち向かなくていいから、手をグーにして私の方に出して。こっち向かないでいいから。」


鼻が詰まっているのか、やや曇った声だった。

『こっち向くな』と、追い打ちがかかる。

僕は言われるがまま、拳を差し出す。


瞬間、拳と拳がほんの少しだけ触れた。


「ありがとう。」

「どういたしまして。」


一息ついて道場の窓の向こうを見てみると、雲間から光が一筋差していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る