第16話 固着(1/1)

元一年三組の生徒、源和平、丙紗耶香、金井あすか、河津郁久乃。

そして、確認は取れていないが後藤智代。

氏子先生から直接聞き出せない以上、やはり生徒たちから当時の状況を話してもらわなければならないのか。

若しくは、職員室の中で当時を知る人物に話を聞くのか。

どちらかの選択肢を取らなければならないが、僕にはどちらも先が続かないように思えた。



「氏子先生ねぇ…。」


翌日の早朝、人が疎らの職員室で僕はぽつりと名前を呟く。

背もたれに思い切り体重をかけて体を伸ばしていると、癖のある香りが仄かに鼻腔をくすぐった。


「中道先生、そうはいきませんよ!」


身体を少しだけ捻って背後を見ると、真顔の中道花子なかみちせんせいがそこにいた。

いつもの茶目っ気ある表情ではない。

まるで仮面でも被っているように表情が固まっていた。


「先生…?驚かさなくて…いいんですか?」


自分でも声が震えているのが分かった。

戯れが始まるつもりだったのだが、完全に冷や水を浴びせかけられた感覚だ。

彼女は瞳も動かさず立っていたが、


「バレちゃぁ仕方がないわ。よく分かったわね。」


と止まっていた機械が再び通電したかのように笑うと、いつもの彼女へと戻った。


「コーヒーの香りですよ。それ、癖がありますから。」


「確かに何度も同じことをすれば、簡単にバレるわね。ちょっと別のパターンを考えるとするわ。」


中道先生は僕に仕事の労いをすると、いつも通りの様子で自席に戻っていった。

純色の黄色と、純色の紫。

遠ざかる彼女のアーガイル柄のサマーセーターが、色彩の効果以上に頭に焼き付いた。



「おはようございます、鷹村先生。いつも早いですね。」


始業時間二十分前に大隈先生は出勤してきた。

見れば緑色のジャージが濡れており、彼はまるで水場から上がったホッキョクグマのようだった。


「外、降り出しましたか?」


「学校に着くほんの十分くらい前からですか、一気に降りましたねぇ。予報では一日持つはずだったのに、見事あてが外れました。」


大隈先生は机の引き出しから本校柔道部の文字が入った手拭いを取り出し、顔を拭っている。


「大隈先生。」


僕は彼にだけ聞こえるように、向かいの席へ身を乗り出す。


「氏子先生ってご存じですか?」


「先生、ちょっと出ましょう。」


彼は服の水気を取る手を止め、素早く僕の席に回り込むと、僕の肩に手を回し、無理やり職員室の外へ連れ出した。


「おっおお、大隈先生!何を!どうして!」


彼は一切返事をせず、一階の校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下まで、文字通り僕を小脇に抱えて移動した。



「一体どうしたって言うんです⁉」


僕は簀巻きに近い状況を体験し、恐怖で声が上ずっていた。

まだ心臓が激しくドクドクと声をあげている。


「本当に申し訳ないです。でも、あれはまずかったんです。」


「…氏子先生のことですか?」


彼は重々しく頷いた。


「氏子先生の名前は、職員室でデリケートな扱いになっているんです。」


「デリケートって…。氏子先生が退職されたからですか?」


「それだけじゃないんです。彼が学級崩壊を起こして、職員室は俄かに忙しくなりました。先生方がそれぞれをカバーし合うため、強制的に残業時間が増えたんです。それで、水内さんの体制を支持した先生たちは、効率的な勤め方を好む人たちでした…。」


また水内とその体制の支持者が関わってきたか。


「氏子先生に今でも不満を持っている、と。」


「はい。一方で、氏子先生に同情する先生も少なくありませんでした。毎日教頭から嫌味を言われ、授業の合間に指導担当や監督の先生と打ち合わせをして、授業後は残業です。生徒の前では努めて顔に出していませんでしたが、職員室ではどんどん暗くなり、やつれていきました。学年外の僕らも出来る限りのフォローはしたんですが…、ここでも職員室に対立が生まれてしまったんです。」


彼は無念そうに言葉を紡いでいった。


「つまり、助け合おうという派閥と…自分の力だけで乗り越えろ的な派閥が出来たってことですか?」


「そうです。実際には表立って何かがあったわけではないんです。しかし、組織である以上、上から割り振られた仕事を無下に出来ません。割り振られたことで増えた仕事に対して、不満は溜まり、陰口が増え、職員室の雰囲気が悪くなりました。」


「…それが今でも残っているわけですね。ええっと…。」


僕は今にも口に出そうな言葉を押さえつけ、別の言葉を必死に探す。


「馬鹿な話だと思います。おまけに氏子先生の退職理由は、精神的なものから症状が出た体調不良と聞いています。その結果、対立した教員同士、明日は我が身とお互い歩み寄ることもせず、今に至るというわけです。」


申し訳なさそうに大隈先生は俯いた。


「すいません。大隈先生にそんな顔をさせる意図はなかったんです。」


「分かってます。だけど、この学校にいる以上は、いつかは知らなければならないことですから。」


彼は今の空模様のように寂しく笑う。


「さあ、そろそろ朝の打ち合わせです。無理やり連れてきてしまって申し訳ありません。戻りましょう。」


(それならば、中道先生のあの表情は何を意味していたんだ?)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る