第14話 爪痕(1/1)

「あら、いらっしゃい。今日は団体様ね。お話したければ奥にどうぞ。」


「すみません。大人数で押し掛けてしまって。」


業務記録を付けている榎田先生に許可を取って、僕たちは保健室の奥に椅子を並べ始めた。

金井あすかは未だ納得がいかない様子で、じろじろとこちらを見ている。

がっちり腕を組んで、見るからに防御姿勢という様子だ。

しかし、こちらの準備が整うと、彼女は観念したのか大人しく椅子に座った。



聞き取りは小日向、僕は補助に回る。

「なんとなく。」と言ってついてきた後藤は、今まで保健室を利用したことがないのか、戸棚の中身を興味深そうに見ていた。


「先生までこの場にいるって何です?これって問題じゃないんですか?」


金井から敵意に満ちた視線が僕に向けられる。


「君たちは校内で盛大な追いかけっこをしていたからね。目撃した教員として、その事情を聞きたい。」


我ながら都合よく立場を利用するものである。

僕の返事が気に入らなかったのか、金井は下唇の端をぎゅっと噛んだ。


「金井さん、保健室にあなたの落とし物があるっていうのは嘘。ごめんなさい、でもどうしても聞きたいことがあったの。密告係…のことなんだけど、金井さんは何か知らない?」


前回の反省を踏まえた小日向の対応に、僕は感心してしまった。

彼女は変な小細工を加えないほうが良いらしい。

この子は、実直にやればできるタイプなのだ。



一方の金井は大きく目を見開くと、すぐさま目を逸らした。

どうやら、何かしらに関わっているのは間違いなさそうだ。

彼女が鼻をぴくぴくさせながら言葉を選んでいるので、場に沈黙が流れる。


「あんた密告係なんてやってたの?相変わらず馬鹿ねぇ。」


呆れ果てたと言わんばかりの後藤が、場の空気を切り裂いた。


「あんたに何が分かるのよ!」


金井の突然の絶叫に、僕も小日向も椅子から少しだけ浮きあがる。

平然としているのは、叫ぶタイミングが分かっていたかのように耳を押さえていた挑発の主だけだ。


「あんたは気に入らないと、すーぐヒステリックになる。そもそも私、あんたに何かした?」


「あんたは頼んでも協力してくれなかったじゃない!私が頑張って、なんとかクラスを落ち着かせようとしたのに。」


金井は歯を食いしばり、攻撃相手を睨みつける。


「あの状況なら放っておいても良くない?それにだよ?というか、そもそも私が協力する理由って何?」


「私が学級委員だから!あんた達がそれに協力するのは当たり前でしょう!」


脊髄反射で発されたような、剝き出しの言葉が吐き出される。


「あんたが勝手に役をやっているだけでしょ。それを周りに強制するな。それに、得をするのはあんた一人なんだから、誰も協力しないわよ。この人望なし。」


「…何よ。何よ、何よ、何よ、何よ、何よ、何よ!!!」


僕は今にも後藤に飛び掛かりそうな金井を制する。


「小日向、お前も動け!」


しかし、小日向この子は腕を組んだまま考え込んでいる。

後藤も一体どうしたって言うんだ。


「先生に迷惑かけんじゃないよ。成績上げたいなら、自分だけでやればいい。」


「お前に何が分かる!私よりいつも試験の結果が良かったお前が!私は一生懸命勉強しているのに、なんでお前の方がいつも上なんだ!」


「学校の試験なんて、授業を聞いてれば点取れるでしょ。あんた、そんなことで私を目の敵にしてたの?」


挑発というよりも、寧ろ憐れむような後藤の眼。


「やめろ、後藤!言い過ぎだ!って、いてててててて。」


金井を制するためのつっかえ棒にしていた左腕に、彼女の爪が力いっぱい食い込む。


「先生、今回は智代が正しい。金井さんのこと、一切フォロー出来ないわ。」


腕組みを解いた小日向じぞうが、しれっと発言する。

珍しく黙っていたと思えばこれだ。


「お前も油を注ぐな!」


「あんたに!あんたなんかに!私の苦労が分かってたまるか!役職やって、少しでも、少しでも内申を上げようとする私のことが!」


もはや悲鳴だった。


「分かるわけがないでしょ。一人でやってなさいな。」


つける薬なしと両手を挙げ、大きくため息をつく後藤。

その瞬間、僕の腕に更なる重みがのしかかる。


「私だってやりたくないわよ!のご機嫌伺って!言うこと聞かないあんた達の世話して!『モトサン』なんて渾名つけられて!私はあんた達と同じじゃない!今だって…今だって、あんたたちに後ろ指を指される理由なんてない!」


少しでも力を抜けば、金井に振り切られてしまいそうだ。

僕が息む様子を見るに見かねたのか、小日向が重い腰を上げた時、部屋に拍手が鳴り響いた。


「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、皆ストップ。金井さん、ちょっと外でお話しよっか?」


視線が榎田先生に集まる。

それを確認した先生は、子猫の首根っこを噛んで運ぶ親猫のように、慣れた手つきで金井を勝手口から外へ連れ出す。

保健室には一気に静寂が戻った。


「ごめんね、先生。やり過ぎちゃった。」


こげ茶色のくせ毛を指に絡ませながら、後藤は乾いた笑いをする。


「智代は全面的に正しかったけど、あれはやり過ぎ。反省して。」


なぜこの子が堂々とそんなことを言えるのか?

この二人の関係性が僕にはよく分からなかった。


「うるさい。単純バカのあんたより絶対上手くやったわ。」


意図的に煽ったのか。

敵に回したくないものだ。


「智代は昔から頭が回るからね。このくらい私より出来て当然でしょ。ところで先生、腕大丈夫?」


「大丈夫だけど、しっかり跡がついてるな。あとで榎田先生から消毒貸してもらうよ。」


爪痕からは、血がほんの少しだけ滲んでいた。

皮膚を突き破るほどの、並々ならぬ思いでつけられた傷。


「後藤、ひとまずありがとう。色々確認したいこともあるけど、少なくとも金井は何か知っているな。あとは協力してくれるといいんだけど。」


僕は外にいる榎田先生と、小さく丸まくなった金井の後ろ姿を見る。


「智代が煽り散らかしたせいで、協力してくれなかったどうしようかなー?」


小日向がわざとらしくチラチラと後藤を見るが、彼女は言い返せないようでバツの悪い顔をしている。


(引っ掛かることがあるけど、まずは目の前のことだ。)



十分かそこら経過した辺りで、榎田先生が金井を連れて戻ってきた。

僕はそのまま待っていたが、女子二人は待ちくたびれて、例の裏地の服に興味を示している。


「ごめんね、鷹村君。金井さん、まずは、ね?」


目元の腫れた金井が、榎田先生の後ろからおずおずと出てくる。

溜めていたものが全部吐き出されたのか、今まで見たことがないほどに険が取れた様子だ。


「先生、ごめんなさい。腕の傷…大丈夫ですか?」


彼女は不安そうに榎田先生の白衣の袖を掴んでいる。


「これくらい大丈夫だよ。こっちこそごめんな。君にも事情があった。だけど、それに気づいてやれなかった。」


僕は金井に頭を下げ、彼女に見えないように左腕を後ろにまわす。


「ほら、二人とも。立ち話は疲れるから、こっちにどうぞ。」


榎田先生は僕たちを椅子に誘導すると、お茶の準備を始めた。

その様子を見た小日向と後藤も、先生を手伝い始める。


「金井、君は先生たちにクラスであったことを報告していた、ってことでいいのかな?」


「はい、みんなの言い方だと密告係です。」


僕と向き合って座っている金井はずっと俯いている。


「誰に誘われたか、聞いていいか?」


「水内先生です。」


「どんなことを伝えていたんだ?」


「私が見たこと、噂も含めて聞いたことを週に一度。でも、大人が関わったほうがいいと思う事態であったら、すぐに報告しろと言われました。」


これが密告係の動きかと思った途端、僕の内側が沸々と煮えたぎってきた。


「いつからこの係をやっている?」


「私は二年生の春です。私、一年の学期末で成績が思うように伸びなかった。だから、少しでも成績を落としたくなくて、二年生でも学級委員に立候補したんです。それだけでも先生たちの印象が違うから…。」


膝の上に載っている手が小刻みに震えている。


「クラスの役職決めが終わった頃、水内先生から声を掛けられました。『成績、気にしているだろ?』って。」


誘い文句が余りにも露骨過ぎるが、内申や成績を気にしている生徒にとってこれほど有効な文句はないだろう。


「『急に一人、欠員が出て困っている』とも言っていました。だから私、この機会を逃すわけにはいかないと思って…。」


震えた拳が強く握りしめられた。


「分かった、その後は言わなくていい。辛いことを思い出させてすまなかった。」



「先生、あっさり帰らせたけどいいの?」


後藤は榎田先生特製のチャイを飲み、満足げな吐息を出している。


「いいよ。せっかく落ち着いていたのに、また気分を沈めるのもかわいそうだしな。」


あの後、金井はお茶も飲まずに帰った。

塾に遅刻してしまうから、だそうだ。

理由はどうあれ、憑き物が落ちた表情をしていたのが唯一の救いである。


「それより後藤、後日でいいから言い過ぎの件は頼む。」


「分かってます。あいつの性格だから絶対に許されないだろうけど、けじめはしっかり付ける。」


この子はその辺の大人よりも大人かもしれない。

僕以上に捌けてそうだ。


「智代ちゃんもダメよ。煽り方は上手だったけど、加減がまだまだね。」


「はーい、純子先生。精進しまーす。」


ほんの数十分前まで初対面だった榎田先生と後藤の距離は、一気に縮まった。

後藤曰く、榎田先生の今日のブーツが大変格好良かったそうだ。

それは僕の目から見ても格好良く、絵画の落穂拾いような美しい茶の濃淡をしたイタリア製のブーツだった。

しっかりとメンテナンスされた二十年物になると、流石に格が違うらしい。

気を良くした榎田先生が後藤の時計を褒めると、そのままおしゃれ談議に花が咲き、今に至る。



一方、和やかな二人と対照的に、小日向は窓辺で何か考え込んでいた。


「小日向、パフェとはいかないけれど、俺の分のビスケット食べるか?」


僕は安直だが、物で釣ってみる。


「今はいいです。それより純子ちゃん、郁久乃って今日どうしました?」


「郁久乃ちゃんなら、すぐに帰ったわよ。今日はお家で用事があったんだって。」


小日向は『ありがとうございます』と珍しく無感情に返事すると、日が傾き始めた窓の外を見つめ、再び深く考え込んでしまった。

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