第12話 三者(1/1)

「分かったわ。証拠になりそうな物をかき集めればいいわけね。」


僕は朝の打ち合わせ前に保健室へ行き、鍋島の指示を榎田先生に伝えた。

先生は朝の一杯の準備しているところだったので、僕も今ご相伴に与っている。


「人間って、意外な伝手を持っているから面白いわね。」


「大学一年の春からの大事な大事な友人です。当時から何かやるとは思っていましたけど、まさか弁護士になるとは思いませんでしたよ。」


「良いわね。十年近くのお付き合いがあるお友達って。」


「持ちつ持たれつの関係で、いつの間にかここまで来ましたね。いや、僕の方がむしろ助けられているかもしれないな。」


「良い関係じゃない。そういうご縁は大事にしなさいよ。深い意味はないけど、ご縁は急に切れたりするものだから。」


「はい、愛想をつかされないように気をつけます。」


朝から紅茶の香りに包まれる優雅な打ち合わせ。

なんて贅沢な時間だろう。


「おはようございます、榎田先生。鷹村先生もおはようございます。」


「おはよう、河津。」


丁寧にドアが開け閉めされ、ぽわぽわと柔らかい表情の河津が登校してきた。


「おはよう。郁久乃ちゃんも飲む?」


河津ゆっくりと頷くと、榎田先生は手際よく紅茶の準備にかかった。


「河津は学校に来るのが早いな。いつもこの時間なのか?」


「いいえ、今日ちょっと寒いから早くに目が覚めちゃったんです。いつもはもっとギリギリですよ。」


彼女は照れ臭そうに笑った。


「先生も早いですね。先週保健室で言ってたことの続きですか?」


「そうだよ。詳しいことは話せないけどな。」


「大人の会話よ、郁久乃ちゃん。十八歳になったら教えてあげる。」


先生は小ぶりなマグカップを河津に手渡す。


「秘密はずるいですよ。まだまだじゃないですか。」


「そんなことないわよ。三年なんてあっという間よ。ねえ、鷹村君。」


「何もしなくても一瞬で経過するぞ。光陰矢の如しってやつだ。」


「それなら頑張って待ちます。早く大人になりたいですから…。」


河津は憮然とした表情で、ぼそりと呟いた。

彼女には彼女なりに悩みがあるんだろう。



職員室に戻ると、程なくして朝の打ち合わせが開始された。

進行はいつもの教頭ではなく、学年主任統括の水内満。

教頭は彼の後ろで苛立ちを一切隠していない。

先週までは教頭の仕事だったが、上役の間で何があったのだろうか。


主だった内容は、本日から外壁の塗装工事と窓ガラスの取り換え作業が始まるそうだ。



「失礼しまーす。貴重品袋持ってきましたー。」


週の初めで慌ただしい朝の職員室に、気だるげな声が響いた。


「こっちだ。当番は先週じゃなかったか?」


後藤智代だった。


「当番の子が今日お休みで、代わりに私が立候補したんです。」


後藤は貴重品袋を胸元に抱えながら、自分の左手にちらちらと視線を動かしている。


(…確かにアクセサリーとしても大事か。僕は着けなくなったが。)


「もしや新しい時計か?良いセンスだ。選んだのは後藤か?」


思った通りの問いが来たらしく、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「正解でーす。可愛いでしょう?メンズのラインだけど、配色が凄く好みで。だけど無骨な感じがまた良ーいの。」


有名ブランドの定番モデルだった。

彼女が頬ずりを始めそうな勢いで語っているところから、本当にお気に召しているようだ。


「朱鷺色と白の春らしいツートンカラーってのがまた良いな。春夏の服の合わせでかなり遊べそうだ。」


「いやー、同年代の女子だと『カワイイ』しか言わないから、見せ甲斐がないんだよねー。この手の話題は、やっぱり服を知っている年上が一番!」


後藤は頬をつやつやさせている。


「とするならば、昨日は買い物ついでに外食でもしたのか?やけに元気じゃないか。」


「分かりますー?昨日は焼き肉に行ったの!しっかり栄養摂ったらさー、肌の調子も良いんだー。もしかして新しい化粧水も使ったからかなー?」


彼女はまだ話したくて仕方がない様子だ。


「相乗効果ってやつじゃないか。成長期はきちんと食べて、寝て、ケアすれば、回復するもんだぞ。」


「では先生は、と。」


後藤が、じっと僕の顔を急に覗き込む。


「今日は調子良さそうね。いつもお腹空いているというか、ささくれているというか、なんか保護されたばかりの元ペットって感じなのに。昨日の焼き肉で茶化せるかと思っていたのに、少しつまらないなぁ。」


「生憎だが、僕も昨日は焼き肉だったんだ。しかも奢りでな。人の金で食べる最高級焼肉は美味かったぞ。」


鍋島には申し訳がないが、滅多にない機会なので自慢してもいいだろう。


「良いんじゃないですか?先生、ずっと顔色良くなかったし。たまには栄養付けなくっちゃね。」


僕は心配されるほど顔色が悪いのだろうか。

いつも通りのはずだが。


「そうだ。今日からうちの人たちが作業するから、そこんとこよろしく。」


(うちの人たち…?)


「ひとまずお気遣いありがとう。ほら、もう授業に行け。」


間延びした緩い返事をして、彼女は職員室を出て行った。


(子どもに心配されちゃ世話ないな。しかし、よく見てるもんだな。)



二時限目終わりに職員室に戻ると、僕は教頭に捕まった。

満面の笑みで声を掛けてくるものだから、これから雪でも降るのかと思ったほどだ。


「それでなんて言われたんですか?」


目の前の一年生の剣道形を見つつ、小日向が言った。


「『校長から余計なことをするなと言われなったか』、だそうだよ。あと、『私は怒りっぽい性格だから、私を怒らせるんじゃないぞ』か。」


「何それ。映画に出てくる三流のチンピラみたい。」


からからと軽快に彼女は笑う。


「こめかみに青筋を浮かばせていたから、あれは随分と怒りが溜まってたな。僕の前で爆発しなくて助かったよ。」


「なんだか大人げないんだね、皿屋敷教頭って。」


彼女は肩をすくめた。


「中道先生が助け舟を出してくれていなければ、僕はここにいないよ。」


小日向の頭からは、はっきり視認出来るほどのクエスチョンマークが浮かんでいる。


「電話がかかってきた振りをしてくれたんだよ。『丙さんの家からです!』ってな。そうしたら教頭含め、職員室が水を打ったように静かになったんだ。」


「やるねぇ、中道先生。あの人の授業は二年生のときに受けたけど、すごく分かりやすかったよ。先生自体も個性的だしね、あの服とか。」


どうやら児玉先生の言った通り、生徒からの評判は良いらしい。


「そのあとの中道先生は、いつの間にか消えていたけどな。あとでお礼を言わないと。」


「ねえ、先生。『余計なことをするな』って、先生が注意されたということは…先週の件かな?」


「ゲンペイのことだろうな。気にしてるのか?」


「少しね。今回は反省を踏まえて、真剣にやります。」


前回は、彼女なりにきちんと反省するところがあったらしい。

ふんす、と鼻息荒くしているので、ここで水を差すのも悪い。


「頼りにしてるよ。でも、容疑者の検討はついているのか?」


「もちろん。元一年三組学級委員で現三年三組学級委員の金井かないあすか。ついでに今は学級委員会の副委員長だったかな。」


「元一年三組の学級委員で、今も学級委員か。良い人選だ。」


「でしょう?でも、午前中は捕まらなかったんだよね。だから午後の早いうちに、もう一度声をかけてみる。」


彼女の目の付け所と即断即決の行動力は、本当に目を見張るものがある。

もはや安心感すら感じるくらいだ。


「呼び出す場所は保健室で頼む。体育館裏では…先週の事もあって色々と不安だ。」


「私も保健委員だし、色々間違いが起きなくて良いね。任せておいて。」


くすくすと小気味よく笑う小日向だが、この点に関してはゲンペイに申し訳ない気持ちで一杯だ。


「任せた。それと、この後…頼む。」


「さっすが、先生。」



予鈴と共に部員が片付けに動き出したところで、小日向は手をメガホンの形に組んだ。


「マネージャーからの連絡です!先生から先週の件でお話があるそうです!」


突然の出来事に、反対側にいる部長が動揺している。


(すまんな、木塚。大人として、きちんとけじめはつけさせてくれ。)


「みんな、先週はごめんなさい。皆さんを驚かせるつもりはありませんでした。大人として、感情を抑えることが出来ず、本当に申し訳ない。」


僕は床に頭をぶつける勢いで頭を下げた。

しんと静まり返る道場。

相手の表情が見えない現状に、不安で心臓の鼓動が速くなった。


「鷹村先生、アイス奢ってくださいね!」


「私、ジュースが良いです!」


「俺は…牛肉コロッケと唐揚げ棒!」


駄目かと思った瞬間、道場中からリクエストが沸き上がった。

僕は頭を上げ、ほっと胸をなでおろしていると、木塚も胸をなでおろしていた。

彼女には別口で謝っておこう。


「みんなありがとう。リクエストは後日受け付けるから、撤収作業を頼む。」


元気の良い返事が道場中に響くと、一斉に部員が動き出した。


「先生、私はパフェがいい。クリーム積み積みに、たっぷりチョコソースかけてあって、さくらんぼがてっぺんについている喫茶店仕様のやつ。」


小日向が隣にひょいと飛び込んでくる。


「寝言は寝てから言うもんだぞ、小日向。」


「じゃあ、今日上手くやったらお願いします!」


「考えておくけど、原則は他の部員と同じな。」


僕が適当に返事をして部員の手伝いに行くと、後ろから「よしっ。」と小さく聞こえた。

近いうちにお財布の中身が寂しくなりそうだ。

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