第11話 旧交(2/2)

破れ鍋:こっちのほうまで来てもらっていいかい?時間は18時、待ち合わせ場所は○○、店は×××。ジンギスカンでなくてごめんね。

T346:…わかった。では明日。



その日、僕は部活がないことをいいことに、夕方近くまで眠っていた。

久しぶりに十二時間以上眠れたかもしれない。

まずは、ゼンマイで動く人形のように、ゆっくりと寝床から這い出る。

次に、ゴミ箱からはみ出しているゼリー飲料の容器、台所のレトルト食品とカット野菜の包装をまとめた袋のゴミ出し。

最後に、この数日のうちに埃っぽくなった部屋の掃除をして、僕は○○駅の繁華街にある高級焼き肉店に向かった。



時刻は待ち合わせ時間の五分前。

店の前で賑わう繁華街をぼんやり眺めていると、目の前に一台のタクシーが止まった。


(まさか…。)


「やあ、ご無沙汰だね。三四朗。」


「やはりか、鍋島。その格好は…。」


「いいだろう?麻で仕立てたスーツだ。蒸し暑い日はこれに限るよ。」


サンドベージュのスーツにライトブルーのシャツ、紺のニットタイ、ライトブラウンのウイングチップという、今や映画の世界でも見かけない服装をした、細長い男が現れた。


「仕立てたということは、卒業式以来ずっとか?」


「もちろん。自分の体に合った物は素晴らしいからね。無駄がない。」


身に着けた衣服たちを褒めるように見回して、鍋島は言う。


「さて、立ち話などしていないで店に入ろう。」


まるで雨の中でタップダンスを踊る、往年の名俳優のような足取りで、彼は店に入っていった。



「君はウーロン茶で変わりがないね?僕はオレンジジュースを。」


僕らが通された個室は店内でも最奥に位置していた。

個室が並んでいるエリアと一般エリアの境目にはご丁寧に立札まであり、これが所謂VIP仕様らしい。


「ここはいいだろう?邪魔が入らなくていい。」


「相変わらずで安心したよ。」


「そっくりそのまま返すよ。一年ぶりくらいかな?」


「そうだな、僕が妹の様子を見にこちらへ来た時だから。そちらのご家族はお元気にしているかい?」


「もちろん。祖父も祖母も元気さ。昨日から東北に湯治に行っている。そして、だ!姉さんはまた活躍しているみたいなんだ、聞いてくれよ!」


鍋島は早口で大好きな姉の現状を話す。

こいつの自慢の姉さんは、現在アメリカの企業で働いており、複数の言語を扱えることから、大西洋を挟んで行ったり来たりしているらしい。


「本当に姉さんは素晴らしい。僕も早く姉さんのところに行きたいよ。」


「君ならあっちの試験もすぐにパス出来るだろうから、あとは丸一日効果がある睡眠薬を処方してもらえれば、だな。」


「そうなんだよ。まったく高所恐怖症と海洋恐怖症を併発しているこの脳が憎らしい。」


彼はしっかりと髪が撫でつけられた頭をコツンと叩く。


「僕は在学中に予備試験をクリアして、難なく司法試験をパスした、お前の脳みそが羨ましいよ。」


この鍋島巧なべしまたくみという男は天才だ。

現在は弁護士で、有名な事務所に勤めている。

姉と同様の多言語話者、無尽蔵の記憶力と探求心を持って、消化不良などどこ吹く風で情報を食べ続けるワーム


「君から褒められるのは光栄の極みだね。うん、飲み物も来た。」


その場で注文済ませると、僕たちは乾杯をした。

ほんの少し口をつけた冷たい飲み物が胃に沁みる。

起きてから固形物を摂っていないと、少量であっても冷たさはよく響くものらしい。

一方、鍋島はグラスを湯呑のように持つと、ストローで一気に飲んでしまった。


「ところで、鍋島。焼き肉にその格好はないだろう。」


彼のことだから、スーツから覗く涼しげなシャツもおそらく仕立てているのだろう。

上から下まで完璧のはずだ。


「これが最も効率的で美しいんだよ。体に合わせて誂えられているから、身に着けていて違和感がない。そして、どんな場所に行っても好待遇で迎えられるから、僕にとって魔法の杖みたいなものさ。」


もっと言えば、本以外に金を使う先が出来て良かったそうだ。

学生時代のこの男は、買い漁った本の山と読み終わった本の山の中で暮らしていた。

あの頃がひたすらに懐かしい。



注文の品が届くと、鍋島は自分の食べる枚数の特上タンをすべて焼き始めた。


「さて、三四朗。相談とはなんだい?学校で女子生徒にでも訴えられたかい?」


鍋島は、けっけっけと癖のある笑い方で笑う。


「馬鹿野郎。こちとら院卒で、試験に三回落ちてでも就こうとしている職業なのに、そんなことするか!」


こういうやり取りも久しぶりで存分に楽しみたいところだが、今日は真面目にいきたい。

僕は意図的に声のトーンを落とす。


「教員が生徒を脅している、おそらく組織的に。」


焼けた特上タンに夢中の男は、目で相槌を打つ。


「校長から関係者まるごと、教育委員会に通報するって難しいか?」


「公益通報か。状況次第だね、具体的に状況を説明してくれるかい?」


僕が説明している間、特上タンを美味そうに食べる男はテンポよく最後の一枚を食べ終えると、追加の特上タンの注文まで終えた。


「中々興味深い。ではコメントさせてもらうね。」


と言いつつも、彼は不器用なトング捌きでホルモンを焼き始めた。


「物証でも証言でも何でもいいから、ひたすら数を集めてくれないか。証拠になりそうなものを徹底的に。」


「何でもって、そんなのでいいのか?」


「判断はこちらでやるから、ひとまず集めてくれ。火のない所に煙は立たぬというけれど、大体は燃えカスすら掃除されてる可能性がある。極端なことを言えば、燃えていた疑惑のある場所の土レベルでもいいよ。」


鍋島は良い具合に焼けたホルモンを僕の皿に載せる。


「しっかり働いてくれ。」


僕が皿の肉に手を付けていると、目の前の男はホルモンもそこそこに、特上カルビを焼き始めた。

本当に我が友人は自由である。



「三四朗、リスクの話をしようか。」


今まで軽妙な調子で話していた男の周りから、重々しい空気が流れ始めた。


「君は正しいことのために行動を起こそうとしている。法律はそれを支持するかもしれない。しかし、それとは別に、君の属する学校や地域といった社会があるね。そこにはそれぞれの秩序があるわけだ。君はその秩序の破壊者になれるかい?」


僕は肯定する。


「村八分になっても?」


同じく肯定する。


「厄介者扱いされて、再び試験に落とされるとしても?」


僕は言葉に詰まった。

目の前の肉から滴った脂で、網から火が上がる。


「君は今まで三度試験に落ちている。どう落ちたか、口に出してみなさい。」


「一度目は、グループ面接でおかしなやつに巻き込まれた。二度目は通常の面接で。これは後で聞いた話だが、当時の主流派閥と僕の世話になっていた学校の属していた派閥が違うから、だそうだ。三度目は…、院卒のくせにと悪態をつかれてだな、その…ブチっとキレた。」


「それだよ、三四朗!」


「こら、トングでこちらを指すな。」


「君は受け答えも受け流しも上手い。我慢強くもある。でも、爆発したら最後だ。逆鱗に触れると、君は何が何でも相手を根元からバッサリ切り倒しに行く。それはまさに自爆戦術。君の悪い癖だ!」


焼けた肉を手早く回収しつつ、鍋島は続けた。


「刈らなくていいところまで刈るな、と昔から僕が注意しているだろう?」


「逆に君は攻撃されたら、初めから徹底的に潰すじゃないか。」


僕は痛いところを突かれたので、苦し紛れに反撃する。


「撒かれた火種を小火になる前に潰すのと、大火事になって建物ごと破壊するじゃ、事が全く違うだろう?」


見事に切り返され、僕は言葉に詰まってしまった。


「三四朗、僕は心配だよ。君は単身こっちに来て、試験を受けようとしている。普通にやれば、君は受かるだろう。お願いだから、敵を見誤らないでくれよ。」


「関わった生徒が酷い境遇に陥ってるんだ。僕は臨時採用の教員で、半端者と笑われている。権力も裁量なんてものも持ち合わせていない。それでも、大人として子どもを助けるのは当然だろう?」


鍋島は大きく深呼吸し、呆れ果てたと言わんばかりの表情で頬杖をついた。


「そんな表情で啖呵を切られたら、否定できないだろう。」


彼は頬杖をついたまま、再び肉を焼き始めた。


「君のそういう姿勢は、間違いなく君の美点だよ。」


「昔からお前は僕を褒めてくれるな。ありがとよ。」


僕は少しばかり焦げた肉を素早く網から回収すると、サンチュに巻いて口に放り込んだ。


「では、まとめようか。一つ、何でもいいから証拠らしき物を集めてくれ。二つ、君は頭に血が上っている可能性がある。だから、冷静になって敵を見極めてくれ。三つ、君の美点は相変わらずだ。それに救われたことがある身として、大変喜ばしい。しかし、、その美点を生かしてほしい。」


「ありがとう。」


僕がそれだけ言い終えると、呆れ顔の鍋島は再び食事モードに切り替わった。

僕らはたらふく肉を食べ、石焼ビビンバに冷麵、締めにデザートまで食べ終えた。

僕が久々の満腹感に浸っていると、終始自由に食事を楽しんでいた男は、ふらりと部屋から出て行った。

数分後戻ってきた彼は支払いを済ませてきたと言う。

『金は余っているので気にするな』だそうだ。

人として、男として生まれたからには、一生に一度くらいは言ってみたい台詞である。



「ところで、三度目の試験の後、君のご家族に何か言われたかい?」


手配したタクシーを待っていると、鍋島が何気なく聞いてきた。


「爺さんが、がっくりと気落ちしてたな。その名前にして済まない、と言われた。命名当時、『そんなもの関係ない』と爺さんは、周囲に怒鳴り散らかしたらしいんだが。」


今まで気落ちしたところを見たことがない爺さんが僕と二人きりになったとき、申し訳ないと顔一杯に書いて頭を下げたことを思い出した。


「おじいさんのためにも、四度目は絶対に避けてくれ。あまりにも不憫だ。僕に祝いの席を用意させてくれよ。」



満腹の腹を抱えて、満足感と共に部屋に戻る。

部屋の明かりをつけると、机の端に積まれた試験対策をまとめたノートの山、部屋の隅に積んである解き終わった問題集の山が僕を出迎えてくれた。

先程思い出した爺さんの顔が脳裏に焼き付いている。


「僕も好きで落ちているわけじゃねぇんだけどな…。」


このあと二言ばかり愚痴をこぼすと、僕は帰り際に購入した新しい試験問題集に手を付け始めた。

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