第9話 対面(2/2)
放課後、職員室で緊急の用事がないことを確認して、僕は体育館裏へ向かった。
この学校の体育館裏は北側に当たるため、ひたすら陽が当たらない。
そのため地面も常に湿気ていて、所々に緑色の苔が繁殖している。
正直に言って、一般的にロマンチックと呼ばれるイベントが最も適していない場所と断言しても良い。
だが、ぽつりぽつりとたばこの吸い殻が落ちているので、そっちの方向では定番のイベントが未だ残っている場所のようだった。
(今の子どももきっついの吸うんだなあ。親の影響か?)
落ちていたのは、地元の商店街でおっちゃん達が吸っていた銘柄だった。
子どもながら絶対にタバコは吸いたくないと思わせた、あの鼻を刺すような臭いが残っているので間違いない。
僕はポケットティッシュを取り出し、吸い殻の回収をしていく。
なに、ただのゴミ拾いだ。
ある意味で青春を過ごしている生徒が、ここで不自由になるのも不憫だ。
「何でセンコーがいんだよ!」
やや遠くから、如何にも元気が有り余っているような声がした。
担当していないクラスの生徒だったので顔と名前はわからないが、制服をだらしなく着崩しているところから見るに、ヤンチャそうな少年だった。
「なんだ、なんだぁ。」
彼は威嚇しつつこちらに近づいてくる。
「げげっ、臨時のやつ。」
しかし、自分に向けられた僕の顔を見るなり、彼は明らかに動揺した。
どうやら南沢猛との一件は無駄ではなかったらしい。
「ええっと、君は…小日向櫻子に呼ばれた…でいいのかな?」
「そ、そうだよ。小日向はどこだよ!」
何としてでも虚勢を張りたいという様子が見て取れて、中々に面白い子だ。
「小日向には…何と言って呼ばれた?話してもいいと思ったなら、教えてくれるかな?」
「あいつに話があるって言われたんだよ!それより、何でセンコーがここにいるんだって言っているだろうが!」
(小日向のやつ…。)
「おっ、来てる来てる。待ったー?」
少年の奥から、あっけらかんとした様子で手を振る小日向が姿を現した。
少年は一瞬で総身を固くし、期待と不安の入り混じった表情をしている。
「先生、お疲れ様!」
「おい、小日向。こっちへ来い。」
如何にも何も考えていないといった様子の小日向に、僕は問いたださねばならない。
彼女は頭にクエスチョンマークを浮かべつつ、僕の隣にやって来た。
向かいの少年は一縷の望みにかけているような表情をして、その場でぐっと耐えている。
しかし、目一杯握られた手の様子からして、我慢も限界を超えたようだ。
「あ、あっ、あのさ、小日向…。お前…俺にこ、告白す…。」
「違うよ。何それ?」
(駄目だこりゃ。)
「お前なぁ…。」
思っていた通りの展開だ。
食い気味に少年の心を打ち砕いた彼女に、僕は呆れずにはいられなかった。
「定番だろうが、学校イベントの。学校どころか人生の大事なイベントだぞ!」
「いや、そんなドラマじゃあるまいし。先生、夢見すぎ。今の子、そんなこと期待しないよ。」
(これがジェネレーションギャップってやつか…。)
鋭い言葉の矢がグサリと胸に突き刺さる。
いや、こいつの場合は刃か。
だが、僕は屈するわけにはいかない。
目の前の少年の心を守るためにも、徹底的に戦わなくてはならない。
「中学生が夢見なくてどうするんだよ。というか、食い気味に否定するな。こういうのはな、心に一生ものの傷を残すんだぞ!」
「知らないってば!私は体育館裏に来てとしか言ってないでしょーが!」
こいつは自分自身に頓着がなさ過ぎる。
小日向櫻子は、はっきり言って美人だ。
濡羽色の長い髪、揺れるポニーテール、背も同年代では高い部類で、手足も長い。
おまけにスポーツ万能で、何より良く笑う。
おそらく同年代の男子が同じ状況になれば、誰もが宝くじに当たったような気分になるのは確実なレベルだ。
「だからなぁ…。」
ざりりっと砂の転がる音がした。
「先生…、もういい…もうほっといて…。」
傷心の少年は体育館の壁にもたれかかると、そのまま硬直してしまった。
「大丈夫か。こいつが悪い、こいつが悪いんだ。男のロマンを理解しようとしないこいつが悪い!」
僕は少年に駆け寄り、必死にフォローする。
「何なのよ!もう!」
僕が少年の介抱をしていると、
「この子は
小日向は、空中に『源』と『平』の字を書く。
「源氏に平家でゲンペイか。なるほどね。」
小さくゲンペイは頷いた。
(さて、傷心中のゲンペイからどう話を切り出すか。)
「ゲンペイ、あんた水内と繋がっているの?」
彼はビクリと体を動かした。
僕は思わず小日向の顏を見た。
だが、彼女は僕を不思議そうに見返す。
「あとさ、
「知らねえよ!」
ぼろぼろに弱り切っていた少年が、突然吠えた。
だが、彼女はずけずけとそのまま続ける。
「水内はさ、ここ最近何か言っていた?例えば、鷹村先生のこととか。」
「知らねえって言っているだろうが!」
急に立ち上がったゲンペイは小日向を一睨みすると、その勢いのまま走り去ってしまった。
彼の眼は明らかに怯えており、どこか手負いの動物を思わせる様子だった。
「小日向、密告係って何だ?僕に説明してないだろ。」
「あっ…。みんな知っているから、先生も知っているもんだと…。」
「情報共有…。」
小日向によると、
噂によれば見返りは、内申書と成績の心象による部分を肯定的に評価してもらえる、だそうだ。
「ずるいよね。おべっか使ってまで成績取りたいかな。」
「耳が痛いね。」
意味が分かっていない小日向を、僕は無視する。
「密告係が誰かってところまで分かってたのか?」
「ううん、誰かまでは分からない。でも、成績にこだわっている子は大体そうじゃないかって言われてる。」
「それなら…ゲンペイは違うんじゃないのか?申し訳ないが、成績にこだわっているようには見えなかったぞ?」
それにゲンペイは確実に指導対象になる服装だった。
お目こぼしでもされているのか、と疑問符が付くくらいには。
「それ以外にもね、問題を起こしたことがある子って噂があるの。ゲンペイは、一年三組学級崩壊の中心人物よ。」
「なるほどね。それなら『内申書』の一言で脅せるな。使う方にとって都合が良い。」
「やっぱりそうなんだ。だけどさ、どうして正々堂々そんなことはやりませんって断れないんだろうね?」
彼女は心底不思議と言った様子で頭を捻る。
一点の曇りもない目でこっちを見ないで欲しい。
「…耳が痛いね。」
(皆がお前のように強くはないんだよ。強くあれたら…と皆が思うんだ。)
「先生、何か言った?」
「交渉が下手糞過ぎると言ったんだ。なんだあのやり方は。」
まさか駆け引きなしの直球勝負でいくとは僕も想定外だ。
大抵の物事において、この子は相手の気持ちを考慮に入れてないのではなかろうか。
「はい…、反省してます。まさかあんな風になるとは…。」
「よろしい。では、一緒にこの辺りのゴミを拾ってから校舎に戻るぞ。アリバイ作りだ。」
僕は地面にぼつぼつと落ちている吸い殻を指さす。
「うげぇ、よくこんな臭いもの吸えるよね。私のペナルティ厳しくありませんか?」
見える範囲の掃除を終えたところで、僕らは校舎に戻った。
北側昇降口から日直の仕事を終えた生徒や生徒会の雑務を終えた生徒が、ぽつぽつと下校している。
「先生、それじゃまた来週!」
教室の荷物を取りに戻るという小日向の脚に力が入った。
「やあ、一昨日のヒーローさん!ちょっとそこでお茶してかない?」
「純子ちゃん!」
小日向はくるりと方向転換し、榎田先生に駆け寄る。
先生は駆け寄ってきた愛犬にするように、わしゃわしゃと彼女を撫でた。
「榎田先生、お疲れ様です。証人が欲しかったのでちょうど良かった。」
「あっ、先生。おかえりなさい。鷹村先生に櫻子ちゃんも!」
「郁久乃ぉー!」
ノーネクタイで第一ボタンを開け、リラックスした様子の河津が出迎えてくれた。
本来なら服装指導の対象なのだが、保健室では榎田先生のルールが適用されているらしい。
『保健室がリラックスできる環境でなくてどうする』だそうだ。
小日向と河津がじゃれ始めたので、僕は先生に一昨日のことから説明を始めた。
「丙さんのことはありがとう。そして、確かに任されました。時間をかけてゆっくり話をしていくから、安心して頂戴。」
「助かります。」
「それにしてもこの学校、思っていた以上に闇が深いわね。」
榎田先生はマグカップのチャイを口にする。
「子どもたちの様子から、何となく察することは出来たんだけどね。私、意図的に情報を遮断されているっぽいからなぁ。」
「何ですか、それ?」
余りにも意外な回答に、僕は口につけかけたカップを元に戻す。
「原因は水内先生だと思うの。彼、私のことを露骨に避けてるし。だから、打ち合わせ以上の具体的な話って、私のところにほとんど来ないのよ。」
「榎田先生も水内に睨まれているんですね。」
「私は何かした覚えがないんだけどね。この四年間で全くないの。」
彼女は顎に手を当て、記憶を探っている。
僕も初顔合わせで何かをした覚えがないから、あの男なりに何か思うところがあるのだろう。
「ところで、子どもたちの様子からって何ですか?」
「私、こうして相談を受け付けてるでしょ?迷える子羊さんいらっしゃいって感じで。一応、先生たちも相談に来るくらいには繁盛しているんだけど、この学校はどの学年も精神的に疲れている子が多いの。」
内容は人間関係や受験の悩みに大別されるらしい。
「どこか追い詰められている子が多くてね。だけど、その『密告係』って話を聞くと納得だわ。あと『モトサン』や櫻子ちゃんの渾名ね。教員側が生徒を追い詰めるようなことしたら、そりゃ当然だわ。」
先生は呆れて物も言えないと言った様子だ。
そして、彼女は大きくため息をつくと、一拍だけの綺麗な間を置いた。
「ぶっ壊したくなるわね。」
「はぁ?」
僕は素っ頓狂な声を上げる。
直前の間が決め台詞としての効果を一層上げていたので、衝撃度が段違いだ。
「組織的に卑怯って、ムカつかない?」
「いや、ムカつきますけども…。」
(榎田先生は沸点低いんだな…。)
「先生は純子ちゃんと何話してるの?」
河津とじゃれているはずの小日向が割って入ってきた。
「卑怯なのは駄目だよねって話だ。もう少し大人は話があるから、お前は河津と…。」
「純子ちゃんもなの?そうだよね!」
小日向の義侠心のようなものに火がついてしまった。
卑怯者はズルいだ、正々堂々と動けないのか、などと物騒な話で二人が盛り上がり始めてしまったので、僕は窓の外へ目線を飛ばす。
「鷹村先生、榎田先生なら大丈夫ですよ。強くて格好良いですから。」
ほら、と隣にやって来た河津が指差した先には、榎田先生のものと思われる細身だがメンズサイズのボンバージャケットが吊るしてあった。
どう見ても生地に張りがあり、光沢もある。
どこか著名なメゾンのものに違いない。
僕がそれをしげしげと観ていると、河津がとてとてと近づいて、ボンバージャケットを裏返す。
そこには立派な虎が刺繍されていた。
(王頭の虎か。まさにって感じだ。)
「カッコいい!!!」
小日向が真新しい標的に飛びついた。
「それ良いでしょ?うちの兄貴が着なくなった服を、刺繍職人に頼んで裏地にやってもらったの。海外で大ウケよ。」
自己紹介が楽に済むらしい。
「ネコ科の肉食動物が野生にいる国だと、特にね。」
「先生は色んな国に行っているし、銃も撃てるので強いんですよ。お家も榎田病院ですし。」
歓声をあげ、少年のように目を輝かせる小日向を他所に、河津が自慢げに説明する。
余りにも、余りにも情報量が多かった。
「学生の頃から、何度も海外のボランティアに行ってたってだけよ。銃は、アフリカで身を守るために渡されたライフルを使っただけ。それと、確かに私の実家はここから山を超えた先の総合病院だけど…。」
「すみません、榎田先生。情報量が多すぎるので、話を戻していいですか?」
「もちろん。」
肩をすくめる彼女にはまだ何かネタがありそうだった。
聞きたいような聞きたくないような。
「鷹村君、櫻子ちゃんからも事情を聞きました。私も協力させてくれないかしら?」
彼女は僕にきちんと正対する。
バイタリティーに満ち溢れた力強い眼だった。
「よろしくお願いします、と言っても、まだ取っ掛かりを掴んだくらいですが。」
「何だっていいのよ。それこそ職員室や外で話しづらいことは、保健室でやっちゃいなさい。」
そう言い終えた榎田先生は、すっと手を差し出した。
僕は何の躊躇いもなく、差し出された手を握る。
すると、驚くほど力強く握り返され、榎田純子という傑物から何かしらのエネルギーを貰った気がした。
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