第8話 対面(1/2)

T346:久しぶり。相談したいことがある。今度の土日に飯でも食べないか?

破れ鍋:久しぶりだね。日曜にしよう。時間と場所はこちらから追って連絡するね。楽しみにしているよ、三四朗。



昨晩は深く眠ることが出来なかった。

そのせいで疲れが全く抜けていない。

だが僕はいつも通り出勤し、昨日の報告書をまとめている。

内容は丙が警察に話したという内容だけ。

校長はそれ以上の情報を求めていたのかもしれないが、今はそれどころではない。

僕には、問い質さなければならないことがある。



「おはようございます。」


低く落ち着いた声が職員室に響いた。

学年主任統括の水内満みずうちみつるだ。

水内は自分の席までの道すがら次々と挨拶を返していくと、反対側にいる僕の視線に気づいた。

彼は一瞬だけ南沢猛に見せた挑発的な口元をしたように見えたが、仏頂面のままパーテーションで区切られた窓際の学年主任席に消えていった。



「何を怖い顔してるのぉ?」


後ろから中道花子なかみちせんせい

心臓が上に五センチばかり動いた気がした。


「爽やかな朝に怖い顔しちゃ台無しじゃない。」


「いや、外は曇っているから爽やかではないでしょう。」


「余裕がないわねぇ。生徒の前でそんな顔しちゃ絶対駄目よ。」


彼女は犬猫を落ち着かせるように、僕の背中をポンと押す。

だが、そんなことをされても僕の苛立ちはまるで治まる様子がない。


「気分転換に顔でも洗っていらっしゃい。」


そう言い残すと、彼女は例のコーヒーの香りと共に自席へ行ってしまった。



朝の打ち合わせの内容には、来週の月曜日から業者が来るという情報が新たに加わっていた。

窓だけでも先にやればいいのにと思ったが、業者のほうも都合がつかなかったらしい。

もしくは、当面の予報で雨の予報がなかったのもあるのだろうか。

ひとまず雨風が吹き込むサバイバルな校内で授業を行うことにならなくて一安心だ。



「何だ?ここじゃ話しづらい内容か?」


打ち合わせが終わると、僕は仕事の準備をする水内を捕まえに動く。

彼は一切表情を崩さず、僕を職員室の目の前にある印刷室に誘導した。


印刷室と言ってもそれなりの大きさのある部屋で、前後に黒板があることから元は教室だったらしい。

今はコピー機に作業台、備品、埃を被った机と椅子のセットが数台置かれている。

部屋は東から射しこむ薄明かりで、照明をつけなくても十分明るかった。


「それで要件は?」


水内は窓際にある作業台に少しだけ腰をかけた。


「水内さん、あなたは丙紗耶香に何をしているんです?」


詰め寄る僕を、彼はすかさず右手で制する。

噛み傷のような、切り取り線が入ったような跡がある掌だった。


「何を言ってるんだ?彼女から何を聞かされたか分からないが、俺が非難されることなのか?」


「白を切るつもりですか?丙はあなたに脅されたって言ったんですよ。あなたから写真を見せられて。」


僕は今にも噴き出さんとする感情を無理やり抑えつける。


「写真?何のことだ。それに脅された?俺は年間行事の委員をやらないかと持ち掛けただけだ。内申書に書けるからな。」


窓を背にした男の表情は逆光で上手く読み取れない。


「それに脅されたっていうのは、受け取る側の問題だろう?きっと針を棒みたいに言ったんだな、彼女は。」


「丙はあなたから口止めされた、と言ったんですよ。」


「俺が学年の先生方と相談して、内々で声を掛けてるからな。生徒同士で喧嘩になっちゃ困る。内申書を良くしたい生徒は多いんだ。」


それくらい理解できるだろ?と言わんばかりに彼は小さくため息をつく。


「では、今の話を生徒に公開しましょうか?」


埒が明かないと分かった僕は、糸口を作るために揺さぶりをかける。


「それこそ『脅し』じゃないか。こっちだって、校長の方針の下でやっているんだ。くだらないことで貴重な時間を取らないでくれるか。」


今までのやり取りに一片の動揺も感じられなかった。

質問に呆れかえった様子の男は、話にならないと首を振ると、作業台から立ち上がり、整然とした様子でこちらに詰め寄ってきた。

そして、すれ違いざま、僕の右肩に手を置いてこう言った。


「いい年齢としして今年も不合格になりたくないだろ?鷹村先生?」


「ちょっ待っ…。」


僕が体を反転させた時には、既に水内は入り口のドアを大きく開けていた。

やれるものならやってみろと言うわけか。

だが、僕はその場に立ち尽くせざるを得なかった。

ずしりと内臓に響く『不合格』の三文字。

ここで手を出せば、不合格どころではなくなるのだ。


「こ…の…っ。」


僕は歯を食いしばって、叫びたくなる衝動を抑える。

物に当たることも出来ず、ただ我慢するしかない。

僕を中心にべったりと纏わりつく、癖のあるミント臭をひたすらに不快に思いながら。



予鈴を合図に印刷室から出ると、なぜか入り口の横に中道花子なかみちせんせい


「スマーイル!」


彼女は両手の人差し指で口角を上げ、歪で大袈裟な笑みを作ると、鼻歌を歌いながら職員室へと消えていった。

先程は気づけなかったカメルーン国旗のような服が、目の覚ませと言っているようだった。



「せんせー、さっきから顔怖いですよ。」


一年生へのアドバイスを終えて戻ってきた小日向がじっとりとした目つきで言う。


どうやら中道先生の言葉で持ち直したつもりではあったのだが、今も持ち直せていなかったらしい。


「すまん。ちょっと待った。」


僕は両手で思い切り頬を叩く。

僕の頬がじんわりと赤くなる様子が面白かったのか、彼女はからからと笑い出した。


「ところでマネージャー、指導はもういいのか?」


「英美里がいるから大丈夫。上手くいっていなかったら声をかけるけど、上級生はみんなよく気付くし、下級生の理解も早いもの。」


『このままだと私、いらない子になっちゃう。』と、彼女は呼吸を整えながら冗談めかす。


僕の目の前では、部員が昼休みの練習に勤しんでいる。

外部指導者の笹野さんが来るまで、指導者不在だった剣道部。

部長の木塚とマネージャーの小日向だけじゃない、部員全員でここまでの雰囲気を作ったことに、感心しないわけにはいかない。



『七学三教』、この部活のモットーだ。

どこかで聞いたことのある『半学半教』という言葉ではないらしい。

上級生が学んだことを下級生に教える、というスタイルなのだが、教えたことでその学びが足されることから、比率が変わって七対三になる、と小日向の弁。


『と言っても、おじいちゃんの受け売りなんだけどね。』


『受けたものをそんなお安く売っていいのか?』


『昔より上手く回っているからいいんじゃない?何よりおじいちゃんが言っていることだしね。』


『お前は本当におじいさんが好きだな。』


『うん!おじいちゃんは日本一どころか世界一好きよ!』


ここまで孫に愛されている小日向のおじいさんは、一体どんな人なのだろう。



「ところで先生、何かあったの?マネージャーがお話聞くよ?」


ぼんやりとしていた僕に、小日向が屈託のない笑顔を向けてくる。

もちろん、今朝のことを相談するわけにはいかない。

少し悩んでいると、以前気になった単語が自然と口をついて出た。


「モトサン…。」


僕は、はっとして口を押さえた。


「…先生、その呼び名知っていたんだ。うちの学年で起こったことを聞いたの?」


「いや、そうではなくて…。」


思わぬ形で話が進んでしまったので、僕はしどろもどろになる。


「それなら先生がムカつくのも当然かも。だって、私たちの学年が一年生のとき、学級崩壊を起こしたクラス出身者の渾名だものね。」


「えっ…?」


「違うの?職員室で使われているんでしょ?私、知ってるよ。」


思考が追いつかない。

なんでそんな軽い態度で言えるんだ。

何でもないようなことではないだろう。


「それで私は『アンタッチャブル』でしょ。センスないよねー、誰がつけたんだか。」


「なんだよ、それ…。ふざけるな!」


発された言葉が武道場全体に広がった。

全く意図しなかった怒声に、僕は我に返る。


「先生、櫻子ちゃん!」


慌てて駆け寄ってくる木塚。

彼女の顔は血の気が引いて真っ青だ。

小日向も予想外のことで、表情が強張っている。


「木塚、小日向、大声出して申し訳ない。頭冷やしてくるわ。」


自己嫌悪に陥ったまま、僕は急いで道場から出ようとする。

しかし、あっさりと小日向に袖を掴まれ、


「皆ごめーん!ちょっと先生をお説教してくるわー!」


「皆がびっくりした分だけ怒ってくるから、心配しないでね!」


目に力を戻したマネージャーの小日向と、気丈にふるまう部長の木塚にフォローされてしまった。



「本当にごめんなさい。」


剣道場の外のベランダ部分に移動した僕は、彼女たちに深々と頭を下げた。


「私は別にいいです。でも、英美里と部員たちにちゃんと謝ってください。貴重な昼休みの練習時間だったんですよ。」


「櫻子ちゃんてば!先生、頭を上げてください!」


あまりにも筋の通った小日向の発言に、僕は更に深く頭を下げた。


「櫻子ちゃん、一体何があったの?」


木塚は微かに震えが残っていて、まだ気持ちが落ち着いていないようだ。


「先生は『モトサン』と私の渾名を知らなかったの。なのに私が勝手に話を進めちゃって…。」


彼女は少し間を作ると、僕の前に向き直った


「先生、私こそごめんなさい。私のせいで嫌な気持ちにさせてしまって。」


小日向は厳かに佇むと、深々と頭を下げた。


生徒にこんなことをさせるつもりは全くなかった。

僕は居た堪まれなくなり声も出ない。

原因は、僕じゃないか。



「ああ、もう!二人とも整列!」


如何ともしがたい状況に、部長木塚の堪忍袋の緒が切れた。


「はいっ!」


僕と小日向は彼女の目の前に整列する。


「先生、きちんと経緯を説明してください!」


木塚の毅然とした態度に圧倒された僕は、先程のやり取りを説明する。


「分かりました。『モトサン』と櫻子ちゃんの件ですね。まず、『モトサン』は元一年三組出身者の略みたいです。」


「一年三組が学級崩壊を起こしたことは、私が説明した。」


(小日向よ、お前はそこまで説明していない。)


「櫻子ちゃんのほうは…、今の剣道部に繋がる話です。」


木塚は俯いて言葉を選んでいる。


「私が当時の暴力外部指導者をぶっ倒して、先生たちに厄介者扱いされた。それで渾名をつけられたってだけの話よ。」


事も無げに言う張本人に対して、木塚は小日向の袖を掴んで首を小さく振る。

彼女の目は既に潤んでいた。


(事情が省略され過ぎているのか。小日向のやつ…。)


今にも涙がこぼれそうな木塚のために、話を変える必要があった。


「小日向、質問してもいいか?」


「はい、鷹村先生。」


「いつその渾名を知ったんだ?」


「私の渾名は、職員室で当時の顧問が使っているのを偶然聞いたの。『モトサン』のほうは、私たちの学年なら知らない人はいないと思うよ。」


小日向は同意を求めるように、未だ涙目の木塚を見た。


「はい、いつの間にか広まっていました。先生、生徒って意外に知ってるんですよ。」


「子どもが聞いていないと思って、油断し過ぎなのよ。」


自分も昔似たような経験があるので、納得の声しか出なかった。

生徒から今の立場になって、特にマイナスのことはいつの間にか広まっていることが分かってきた。

だからこそ、自分の教える生徒には改めて知って欲しいと思う。


「そうだな、悪口や陰口は良くないよな。それに…。」


二人の注目が集まる。


「大人が子どもにすることじゃないよ。大人は子どもを守るもんだ。」


「何それ。」


こっちは大真面目なのに、小日向は噴き出した。

心の底から思っていることなのだが。

温かい大人たちに囲まれて育った実感として。


「先生ごめんなさい!もう、櫻子ちゃんってば!」


笑いのツボに入ったらしい彼女を木塚が咎めている。


「はぁ…お腹痛い…。先生、あのね…。」


未だ笑いかけの小日向が何かを言いかけたところで、昼休み終了の予鈴が鳴った。


「いけない、撤収の指示出さないと!先生、お先に失礼します!」


木塚は道場に戻っていった。

中できびきびと指示を出す部長を確認して、小日向はステップを踏むように僕の正面へ移動する。


「さっき言いかけたことだけどさ、先生は『モトサン』のこと調べたいの?」


彼女の真剣なまなざしに、僕は同意する。


「了解。じゃあ、今日の放課後に体育館裏に来て。関係者連れてくるから。」


そう言い残して、どことなく嬉しそうな顔つきの小日向は、木塚の手伝いに行ってしまった。


(ん?関係者を連れてくる?行動が早すぎないか、小日向。)

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