第7話 告白(1/1)

「芦名校長、随分しつこく質問してきましたね。」


翌日、僕と大隈先生は朝の打ち合わせの前に校長室へ呼ばれた。

昨日の事情聴取で起きたことをすべて報告しろ、とのことだ。

理由はシンプルそのもので、校長としてすべての情報を網羅する必要があるらしい。

だが、僕たちにも警察との間につながりが出来てしまった以上、勝手にすべてを報告することは出来ない。

だから事情聴取の質問と回答だけを報告し、それ以上は警察の許可があってから報告、という形で校長と話をつけた。


「本当に助かりましたよ。報告できる内容なのか、判断のつかないことが多すぎましたから。」


お向かいの席の大隈先生は、困り顔で頭をぽりぽりとかいている。


「いえいえ、僕も判断が出来なかったので。それにあの刑事さん、怖いじゃないですか。」


「同感です。それにしても、締めの言葉が『余計なことをしないように』ですか。まったく校長は…。」


彼は大きくため息をつく。


「校長は昔からあんな感じなんですか?」


「児玉先生の時もそうでしたが、自分の主張以外は通さない人です。ですが、さすがの校長も警察には負けるようですね。」


「昨日の対応からして、権力には従順って印象を受けましたよ。」


「間違いないです。」



「失礼しまーす。貴重品袋を持ってきましたー。」


朝の打ち合わせが終わった後の職員室の入り口から聞こえる気だるげな声。


「後藤、こっちだ。」


僕が手を挙げると、三年二組の後藤智代がやってきた。

今日も声の調子同様に雰囲気も緩いというより、校則ギリギリで上手く制服にアレンジを効かせ、全体に良い塩梅の緩さを演出している。


「おおっ、昨日のヒーローが二人もいる。」


彼女は早速僕と大隈先生を茶化す。


「特に大隈先生!昨日は学年のヤンチャな連中が、みんな興奮していましたよー。ずっと強い!とヤバイ!しか言っていませんでした!」


「いやぁ、恥ずかしいなあ。」


大隈先生はどんな時でも自分の強さをひけらかさない。

『そんなものは必要ない』と以前言っていたが、その部分も生徒に褒められると案外嬉しいらしい。


「それに比べて、うちの副担任は逃げてばかりで…。」


彼女はわざとらしくため息をついた。


「返す言葉もないよ、僕は臆病なんだ。ところで後藤。」


僕は自分の唇を撫でるふりをする。

そして、彼女にだけ聞こえるように声を絞った。


「どこかのタイミングで落としておいたほうがいい。」


目の前の後藤は、僕が気づいたことを意外だと言わんばかりの表情だ。


「新作買ったんだけど、…バレたか。どう、似合う?」


彼女は僕らに近づき、僕と大隈先生にだけ聞こえるようなボリュームで器用に返事をする。

僕らは無言で頷き、同意を示す。

僕は他の先生に聞かれると厄介な雰囲気を感じたので、より声のボリュームを落とした。


「妹がいるんでな。実家では良く気がつく兄をやっていたつもりだ。」


「目立たないように注意するんだぞ。それにしても、鷹村先生は妹さんがいらっしゃるんですねぇ。」


後藤はどうやら満足したようで、愛嬌のある笑顔を浮かべつつ貴重品袋を僕に手渡す。


「お褒め頂きありがとうございます。では、失礼しまーす。」



「僕らも授業に行きましょうか。今日の昼は昨日出来なかった部活のミーティングもあるので、お互い忙しくなりそうですな。」


「しまった、完全に失念してました。僕、部活動掲示板にメモを残してきます。」


現実味のないこの二日の出来事から、ようやく日常に戻ってきたような気がした。



昼、僕は簡単な食事を手早く済ませ、武道場の二階へ向かった。

武道場は体育館の奥にある体育館や校舎よりも新しい建物だ。

どうやら十年ほど前に改築があったらしく、設備が比較的新しい。

だが、体育館よりも奥という立地なだけあって、校舎から遠い、武道場まで屋根付きの通路がない、体育館と武道場の間にやたら水たまりが出来るなど、不満点が多い。

誰が言ったか『明光台の流刑地』。


「先生、昨日は格好良かったです!」


「タカちゃん先生、お疲れ様です!」


「鷹村先生、かつ丼食べましたか⁉」


二階に上がると、僕は男子部員からいつも以上に手荒い歓迎を受けた。

目を輝かせる男子中学生の囲み取材は中々に圧がある。


「はいはい、先生が困ってるでしょう?早く先生を通してあげて。」


奥から出てきた部長の木塚が一年生を嗜めた。

制服と共地の紺色ベストに指定のネクタイをきっちり締め、彼女は今日も剣道部の大黒柱をしている。


「先生も少しくらい怒って良いんですよ。」


「男子中学生らしくていいじゃないか。礼儀作法は使うべき時に使えば良いよ。」


この剣道部は非常に自由な雰囲気だ。

悪く言えば規律がないと指摘されるのだろうが、僕はこの雰囲気を気に入っている。

部員は基本的にフランクな態度を取っているが、やる時はきちんとやるので顧問就任初日に感心したものだ。


「先生が問題にしないのならいいのですが…。それでも私は心配ですよ。」


「部長が敬意を払ってくれているから、今はそれで十分だよ。そのうち下級生も使うようになるだろう。人の振り見てなんとやらってやつだ。」


部長はそれでも不安げな顔をしている。

だが、これ以上はどうにもならないと思ったのか、彼女は一つため息をついた。


「分かりました。櫻子ちゃんは奥で準備してます。すぐにでも始められますよ。」



剣道場はすべての窓と扉が開放されており、風が良く通っていた。

そのため陽が射し始め、急に蒸し暑くなってきた外に比べると大分涼しい。

なにより剣道場特有の汗が熟成した臭いも換気されていて、快適な空間になっていた。


「先生、お勤めご苦労様です。」


「勤めてない。ただの事情聴取だ。僕は悪いことを何もしてない。」


僕の憮然とした態度に、小日向は笑いを堪えることが出来ないようだ。


「櫻子ちゃん、ミーティング!」


「よし…、やろう!」


呼吸を整える彼女を放っておいて、木塚がミーティングを始めた。


「三年生女子が五名、二年生女子が四名、一年生の男子が三名、女子が四名、明光台第一中学剣道部、全員揃ってますね。」


部長は、昨日も体調不良者がいなかったことを教えてくれた。


「昨日皆さんと話し合った通り、昼休みは素振りと剣道形。技のリクエストがあれば、参考動画の撮影を行います。マネージャー、いいですか?」


「オーケーです。皆さん、短時間で効率良くやりましょう。先生、お昼に笹野先生はいらっしゃいますか?」


笹野先生とは、今年度から決まったボランティアの外部指導者だ。

ご高齢ながら考え方が非常に柔軟で、生徒との信頼関係を既に築いている。


「今日改めて連絡してみるよ。一昨日に部活禁止の連絡をしたばかりだから、驚くだろうな。」


それ以降、木塚と小日向が司会進行を滞りなく務め上げた。

学生主導で本当に自立した剣道部である。



「前回は、継ぎ足とぬすみ足を撮りましたね。それでは今からリクエストがあった、出ばな小手の参考動画を撮りたいと思います。先生、お願いします。」


「えっ、今日やるの?」


意表を突かれて、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。

低学年の部員からくすくすと笑い声が上がっているが、お構いなしに司会進行の二人は準備に動き始めた。

この部は指導者不在の間、小日向が練習計画の作成や技術的な指導をしていたそうだ。

だから彼女は『マネージャー』と呼ばれ、これから行われる動画資料の模範役を請負っている。

顧問就任時に聞いたところ、彼女は選手登録をしておらず、マネージャー専業だそうだ。

結構な腕前なので勿体ない気もするが、本人の意思なら仕方あるまい。



木塚は動画撮影にだけ使われているタブレットを起動させると、撮影位置の調整を始めた。

一方の小日向は、ポニーテールをいつもより高い位置でまとめると、ネクタイを外し、第一ボタンを外した。

完全に臨戦態勢という雰囲気だ。


「はい、先生。防具と竹刀です。動きは分かってますね?」


準備を終えた木塚に僕は渋々頷くと、防具の小手だけを着け中段に構えた。

対面の小日向は僕が構えるのを見て、音も無く中段に構えた。


「先生、思いっきり来ていいですよ。今日は防具つけてないけれど、絶対当たらないので。」


いつも気の抜けた顔をしている小日向から、緩みが消えていた。

毎回実験体となっている身からするとげんなりする状況なのだが、彼女の構えを対面で見ることが出来るのは畑違いの僕でも勉強になる。

どこにも力みが感じられない自然な構えで、大きなご神木のように存在感のある構え。

素人の僕でも分かる異質さ、彼女は他の部員のそれとはまったく違う次元にいる。


「櫻子ちゃん、準備できたから撮るよ。」


撮影用タブレットを構えた木塚の声が剣道場に響いた。



対面の竹刀の先端は僕の喉元に向いており、僕がこれから仕留められることを明示している。

構えている小日向と向き合うと、捕食される直前の動物の気持ちを想像してしまう。

真剣勝負ではないことを頭では理解しているが、これは本能的なものなのかもしれない。

だが、何時までもそうは言ってられないので、僕は丹田に軽く力を入れ、覚悟を決めた。


まず、一足一刀の間合いから、僕が一歩分の間を詰める。

それに応じて、小日向が一歩下がる。

次に、小日向が一歩分の間を詰め、僕を攻める。

それに応じて、僕は一歩下がる。

最後に、僕は彼女の攻めに屈さず、面を打つために振りかぶっ…。


視界の右端に何かが侵入してきたと思った途端、右手首、いや肘の辺りまでの皮膚に走り抜けるような衝撃があった。


「いっっってえええええ!!!!!!!」


僕の目の前には、叫び声に微塵も動揺することもなく、獣のように鋭い眼をした小日向が静かに佇んでいた。

一方の僕は竹刀を落とさなかったものの、突然の衝撃に動揺して右腕と彼女の顔を交互に何度も見る。


「先生、手加減してるんだから痛いわけないでしょーが!」


「そうですよ、先生。櫻子ちゃんのは肌がピリッとするだけ。私たちと違って、とっても上手いんですから!」


普段の眼に戻った小日向と木塚に連続して嗜められたところで、部員たちがどっと笑った。

ところで、なぜ木塚は興奮気味なのだろうか。


「でも、痛いは痛いだろうよ!」


「それよりも先生、動きが速いです。ちゃんと加減してください。」


小日向は僕の泣き言に露も触れず、真剣な表情で言い放った。


「その位置で小手を打つのは、加減が難しいんですから。」


お手本役にそう言われたら、反省する外ない。


「いいのよ、櫻子ちゃん。参考例が増えることは、むしろ良いことなの。先生、あと三方向から撮りたいのでお願いします。」


「先生、私がもっと速く、軽く打つので同じように来てください。」


二人ともどこか嬉々としていて、僕には二人が鬼のように見えた。

特に、小日向は強さを調整できる意味が分からない。

これが元全国ベスト8の実力なのだろうか。


「あのな、二人とも聞いてくれ。僕はペンと箸が右手だから、使えなくなると困ると何度言えば…。」


「先生は左利きでしょーが。」


「子供の時に左手首を骨折したんでしたっけ?でも、今は右手ですから安心してください。ほら、時間無くなっちゃいますよ。」


即座にツッコミを入れる小日向と無慈悲な木塚。

剣道場は笑いに包まれ、残りの時間で僕の右腕は見事に三度輪切りにされた。



部活後に職員室へ戻ると、眉間に皺を寄せた皿屋敷教頭が仁王立ちで待っていた。


「鷹村君、本日の授業が終わり次第、鈴ノ木先生と共に『丙紗耶香ひのえさやか』の様子を見てきなさい。彼女は二日前から休んでいるそうじゃないか。クラス担任と副担任の責任を果たしてきなさい。」


「丙紗耶香ですか?」


「二度言わせるな!校長からの命令だ、いいな!」


ほんの少し聞き返したことに腹を立てた教頭は乱暴な足取りで自席に戻ると、早速頭頂部をボリボリと激しく掻き毟っていた。



「鷹村先生、遅い!」


鈴ノ木先生に急かされて、僕らは丙紗耶香の家に向かった。

丙紗耶香が住んでいるマンションは徒歩で二十分、タクシーで八分程の比較的古いマンションが立ち並ぶエリアにある。

その中でも風雨にさらされ、くすんだ白い壁の六階建てマンションに丙家が住んでいた。

マンション周辺は日暮れの時刻なのに人影はなく、どこか不気味な雰囲気だ。

周囲に影が多く、死角も多いことが原因だろうか。

烏の鳴き声と視線があることも一因に違いない。


「四〇三号室よ。手早く済ませましょう。」


鈴ノ木先生は、すたすたと容赦なくエントランスに入っていく。

このマンションにはオートロックがなく、丙家の玄関前まであっさり行くことが出来た。


「鷹村先生、あなた対応してくれる?私、あの子苦手なのよ。」


そもそも僕に拒否権はないのだが、トートバックの取っ手部分を殊更強く握りしめて言われては断れない。

チャイムを押すと、こもった声だが丙紗耶香本人らしき声がした。


「明光台第一中学の鷹村です。鈴ノ木先生もいます。体調、大丈夫ですか。プリント類も渡したいので、顔見せてもらえるかな?」


数秒の沈黙。

僕の背後で軽い舌打ちが聞こえた。


「…分かりました。でも、鈴ノ木先生は帰ってください。」


「何様よ、あなた!」


鈴ノ木先生の怒りが突如沸点を超えた。


「丙、ちょっと待ってくれるか?」


インターホンからは応答がない。


「鈴ノ木先生、あとは俺がやりますから落ち着いてください。報告書にはお子さんのことで緊急の用件が出来た、とでも理由を書いておきますから。」


怒りが収まらない鈴ノ木先生は鼻息を荒くしている。

今にも罵詈雑言をまき散らしそうな勢いだ。

いくら苦手だからといって、大人が子どもにする態度ではない。

この反応は異常過ぎる。


「これだから『モトサン』は嫌なのよ!」


マンション全体に響き渡りそうな音量で一言吐き捨てると、太くて低いヒールの音を大袈裟に響かせ鈴ノ木先生は帰ってしまった。


(モトサン…?)


僕が考え始めたところで、ガチャリと鍵が開く。


ドアが開くと、無地のTシャツ、黒地に金のラインが入ったジャージを着て、首に大きなヘッドホンをかけた背の高い黒縁眼鏡の少女が僕を出迎えた。



「何もないですけど、どうぞ。」


リビングに通されると、使い込まれた木製の椅子を勧められた。

椅子に座りリビングを見渡すと、そこには人が生活しているという雰囲気を感じられない。

見栄えのために、最低限の物だけが揃えられているという印象だった。


「見ても珍しいものはありませんよ。」


僕は取り繕うように苦笑いした。


「さっきはありがとうございました。私、鈴ノ木先生嫌いなんですよ。自分のことしか考えてないから。」


嫌いと言っておきながら、その言葉には一切感情が籠っていなかった。


「それでいいんじゃないか。鈴ノ木先生みたいなタイプは苦手な人が多いだろうし。」


丙は肩甲骨辺りまで伸ばされた長い黒髪を手で梳きながら、パイプで作られた簡素な椅子に腰かけた。


「それで先生が何の用ですか?警察にはもう話しましたけど。」


「僕は丙を見てこいと言われただけだよ。校長は君が警察に話したことも知っておきたいんだろうね。この件にやたら神経質になっているみたいだから。」


黒縁眼鏡の奥にある両目が警戒の色を強めた。


「先生は聞きたいですか?」


「いいや、全く。校長は『余計なことをするな』と言っていたからね。」


「なんですか、それ。」


思わぬ回答に毒気を抜かれた様子の彼女は警戒を解き、眼鏡の位置を直した。


「僕はどちらかというとね、丙が保健室からそのまま早退したほうが心配だったよ。榎田先生も心配してた。」


「あの日は…保健室の先生には申し訳なかったと思ってます。すごく良くしてもらったのに…。」


もらったお茶すら飲めなかったことが心残りだったらしい。


「学校に来たら、榎田先生に直接言ってあげるといい。きっと喜ぶから。」


丙は小さく頷くと、そのまま俯いてしまった。

さらりとした細い前髪が垂れて、表情は見えない。

少しずつ部屋から暖色の陽光が消えていく。



窓の外は日が隠れてしまい薄暗い。


「本当に何も聞かないんですね。」


「僕の目的は丙の顔を見ることだからね。それなりに元気そうである以上、目的は達成出来た。僕はそろそろ帰るよ。」


僕は鞄を手に取り、立ち上がる。


「私が今回の原因だって言ったら、どうします?」


「どうもしないよ。残念ながら僕は副担任だけど、臨時採用で、何かが出来る権力も権限もないからね。出来ることは、君の話を聞いて一緒に考えることくらいだ。」


僕は即答した。

情けない立場の僕でも出来ることを。

今の僕が出来る精一杯を。


それを聞いた丙は呼吸を整え、ゆっくりと口を開く。


「私、水内先生に脅されました。」


予想外の言葉に僕が言葉を選んでいると、丙はそのまま続けた。


「一週間前の放課後、私は進路指導室に呼ばれて、スマホで二つの写真を見せられました。そして、『自分に協力してくれる子を探している。お前たちは今年受験だから』と。」


彼女から言葉と共に、黒くて重い何かが発され始める。


「『間違ってネットに投稿してしまいそうだ』という言葉を聞いた時、私、あの人のスマホに飛びついてしまったんです。けれども、奪えなかった…。そうしたら普段とはまったく違う声で『分かっているよな?今日の事は誰にも言うんじゃねえぞ?』って…。」


様々な負の感情がごちゃ混ぜになり、それが臨界点を超えたと見えたとき、彼女の頬にを涙が伝った。


「私、怖くて誰にも相談できませんでした。もちろん猛にも。そうしたら…。」


。」


彼女は小さく頷いた。


「猛があの人を嫌っているのは知っていました。学校のことを相談すると、彼は決まって話題に出してましたから。けれども、あんなことを起こすなんて私…。」


彼女は顔を覆って堰を切ったように泣き出した。

『子どもを守るのが大人じゃないのか?』そんな口に出すのも憚られる綺麗事、定型句が、心の奥底から急に音を立てて湧いてきた。


「丙、言いたくなかったら答えなくていい。水内先生が見せた写真って何だ?」


「私が猛といる写真と…、私が別の男の人と一緒にいる写真です。」


現在、丙家は父親が単身赴任で、母親と二人暮らし。

母親は、数年前から現在進行形で不倫中だそうだ。

この状況に嫌気がさした丙は、家を出ることを決意する。

だから彼女は昨年からSNSを介して男性を募集し、近くの繁華街で食事をして金銭をもらい始めた。

そして、南沢猛と一か月程前に出会い、交際を開始する。


「先生、猛は…。」


消え入りそうな声で彼女は言った。


「少なくとも今はやり取り出来ないよ。でも、君の今の思いだけは送ってやったほうがいい。」


彼女は服の袖で涙を拭い、そのまま顏を隠す。


「…それでな、相談したいとか八つ当たりしたいとか、そんな気持ちになったら、授業なんて出なくていいから、保健室に来い。榎田先生も力になってくれる。俺にも連絡来るから力になれる。」


「…先生、八つ当たり…していいですか。」


顔をぐしゃぐしゃにした彼女は目の前に来ると、返事を待たずに僕の胸を一度だけ叩く。

その一撃は、しっかりと勢いがついていたはずだった。

だが、折れそうなほど細い腕から繰り出されたそれは、重さがなく痛みもなかった。


「なんで私だけ。こんなことばっか…。」

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