第4話 騒動(2/2)
体育館は出入口のドアをすべて開けられ、風通しが随分と良くなっていた。
騒がなければ何をしても良い、とでも指示があったのだろうか、思い思いにリラックスできる態勢でおしゃべりを楽しむ生徒もいれば、宿題を書き写している生徒もいる。
緊急事態とはいえ赴任して以来、体育館でこんな生徒たちの様子を見たのは初めてだった。
だが、大半の生徒はいつも通りの体育座りを崩さず、石のように固まっているのが歪な光景だった。
一方、教員は壁際に待機し、一様に表情を硬くして生徒を見守っている。
まるで看守のようだ。
そこまでする必要はないと毎回思うのだが、この学校の特色だから仕方がないのだろう。
こんな様子の中で、僕は
彼は長身且つスタイルがいいので、遠目からでも目立つ。
それに毎日濃い色のスーツをきっちりと着こなしているので、明らかに他の教員と一線を画しているのだ。
どうやら彼は打ち合わせ中らしい。
「水内先生、失礼します。」
彼は僕を見て、一瞬眉間に皺を寄せたように見えた。
(しまった。話の途中に邪魔が入ると、機嫌が悪くなるタイプだったか?)
教頭と同じように、彼も文句を言うのだろうか。
「おはよう。何か?」
淡々としたいつも通りの様子で、彼は僕に対応する。
教頭がああだったので、この機械的な冷やかさが有難い。
僕は教頭からの指示内容を伝え、榎田先生が書いたメモも渡す。
「状況は理解した。君は校内の清掃に回ってくれ。生徒を早く校舎に入れたい。」
「臨採の鷹村君だったか?水内さんはここの管理で忙しいんだ。用が済んだらさっさと持ち場につきなさい。」
水内先生と打ち合わせ相手の先生からお言葉をもらう。
後者に関しては、『こちらも仕事です』と返しても良さそうなものだが、誰もが気が立っているから仕方がない。
余計な波風を立てることもないだろう。
「失礼します。」
僕は折り目正しく一礼して、足早にその場から離れた。
校舎に戻ると、一階の廊下は警察の引き揚げが終わっていた。
今は学校側で緊急の大掃除が始まっているようだ。
軍手をはめた先生方が、せかせかと動き回っている。
僕は長い廊下の中程に、緑色の山がもそもそと動いている姿を見つけた。
「大隈先生!」
僕が名前を呼ぶと、緑色の山が徐々にせり上がり、てっぺんには黒い苔。
天井にぶつかるのではないかと思うほどに胴体が伸びきると、振り返った顔には人懐っこい笑顔があった。
「鷹村先生、こっちです!」
身の丈190センチを超す巨躯、上下揃いの緑色のジャージ、元柔道100キロ超級選手で柔道部顧問、『明光台中の緑の巨人』と生徒から呼ばれる大隈先生が大気を掻きまわすように大きく手を振った。
「それはお疲れ様でした。教頭の件は…特に災難でしたね。」
事情を聞いた先生は、苦笑いを浮かべつつ僕を労う。
「教頭は、いつもあんな風なんですか?」
「教頭は、感情のままに怒るタイプなんです。彼はここに赴任してから、ずっとあんな感じですね。ハラスメントに関する研修を受けているはずなんですが…。」
僕らの話を聞いていた周囲の先生が、顔を見合わせて罰の悪い表情を浮かべる。
「正直言って朝から心臓に悪いので、ちょっと勘弁して欲しいですね。それに…教頭の血管が心配です。」
「まったくです。でも一応はこの学校の教頭ですから、大っぴらに文句は言えません。組織で働く辛い所ですな。」
彼は大きくて幅の広い肩をすくめた。
「さて、掃除を続けましょうか。」
大隈先生が音頭を取ったので、僕は景気よくシャツの袖をまくったのだが、作業は思いのほか早く終わってしまった。
聞けば、警察が引き上げの際に大まかに対応していたおかげらしい。
「掃除は終わったようね。結構、結構。確認に来ましたよ。」
掃除用具をまとめている僕の背後から、メモ帳を片手の中道先生がやってきた。
サイケデリック柄が風景の中で浮いていて、まるでその部分だけ別空間に通じているようだ。
「ちょうど終わりました。大隈先生もゴミ捨てからもうすぐ戻ってくると思います。」
「了解。それにしても、子どもたちには申し訳ない環境になったわね。」
ひび割れただけの窓に行ったガムテープの補強跡を見て、彼女は呟く。
「まさか私が若い頃に赴任していた学校みたいに、
その表情には、様々な感情が混ざっていた。
「私はね、思春期の子どものために働けるこの仕事が楽しいし、本当に大好きなの。だから、可能な限り子供たちにより良い環境を作ってあげたいと思ってる。たとえ一時的なものであったとしても、これでは申し訳ないわ、本当に。」
彼女は無念そうに補強跡を指でなぞる。
「ところで、君はこの仕事楽しんでる?好きでやってるのかしら?」
「はい⁉ええと…。」
彼女の急な質問に言葉を詰まらせていると、大隈先生がゴミ捨てから戻ってきた。
「中道先生、お疲れ様です。」
「はい、大隈君もお疲れ様。上に掃除が完了したって、報告していいかしら?」
二人が確認と情報交換を済ませている間、僕は中道先生の質問を頭の中で繰り返す。
(楽しんでいるし…、好きでやってる…。どちらもイエスと答えられるはずだ。でも、こんな立場で偉そうなことなんて言えない。)
校長の判断により、授業は午後から行われることになった。
それまで生徒は自習、僕たち教員は情報共有だ。
全体の情報共有が終わると、結びの言葉に校長は、『SNS上で本件に関する投稿を行わないこと』、『教師生徒問わず、マスコミ関係者等に接触しないこと』、『当面の部活動の禁止』を生徒に徹底するよう指示すると、大きなため息をついて校長室に消えていった。
「本日の正式な日程を校内放送で流します。各クラスの担任は教室に行き、ホームルームで情報共有してください。」
水内先生が指示を出すと、職員室が一斉に動き始めた。
誰もが緊張の面持ちだったが、直近の忙しさが想像できるのか、どこかため息交じりの様相だ。
ただ一人張り切る中道先生を除いて。
「鷹村先生、鈴ノ木さんから何か頼まれましたか?」
僕の向かい側から、大隈先生がどこか申し訳なさそうな顔で問いかけた。
「鈴ノ木先生からは保健室に行ってくれと。うちのクラス、体育館で点呼を取った時に欠席者が多かったみたいで、きちんと現状確認したいそうです。」
それを聞いた彼は耳を貸してくれとジェスチャーをするので、僕はそれに従う。
「鈴ノ木さん、お子さんが三歳か四歳の元気な時期で、近頃は精神的に参ってるみたいです。根は良い人ですから、上手くフォローしてあげてください。」
(やたら毎日機嫌が悪い人だと思ったら、そういうことか。)
「分かりました。情報ありがとうございます。何かと困っていたので助かります。」
「気張らない程度に頑張ってくださいね。何かあったらいつでも相談してください。」
大隈先生に見送られ、僕は再び保健室に向かった。
『なんでも相談。ドンと来い!』のドアを開けると、部屋の中でただ一人、僕のクラス、三年二組の
「こんにちは、河津。榎田先生はどこに?」
「外のベンチで休んでいる子の様子を見に行ってます。ほら、そこ。」
勝手口の横にある窓から、問診している榎田先生が見えた。
「少ししたら戻ってきますよ。だからパイプ椅子ですけど、どうぞ。」
勝手知ったる我が家のように手際よく準備されたパイプ椅子に案内され、僕は腰を落ち着ける。
「河津は大丈夫だったか?今朝のあれを見て。」
「平気でした。私、ホラー映画とか大丈夫なタイプなので。」
彼女は少し考えて控えめに答えた。
脳内の映像と照らし合わせていたのだろうか。
だとすると、悪いことをしてしまった。
「そうか、良かった。でもホラー映画でどうにかなるものかな?」
「耐性って、付くと思います。でも私…暴力的なやつだけは駄目ですね。それより先生もホラー見ますか?おススメありますよ。」
ふんす、と少し彼女の鼻息が荒くなる。
「僕はホラーNGなので、断固拒否させてもらいます。」
僕が手のひらを前に突き出し壁を作ると、河津はころころと優しく笑った。
ボブカットで背が小さく、目がくりくりとした、リスを思い起こさせる所謂小動物系の女子生徒。
一見どこにでもいそうな中学三年生は、保健室登校をしている生徒である。
彼女は二年生の春からずっと
『今年だけの副担任が、余計なことに首を突っ込むな』だそうだ。
「鷹村君、今度はどうした?」
外から戻ってきた榎田先生の溌溂とした声に、思考がかき消された。
僕は先生の方に向き直る。
「三年二組の生徒で、まだ保健室にいる子はいますか?」
「三年二組ならみんな教室に戻ったはずだけど…ちょっと待ってね。」
彼女はデスクの上にある利用者名簿に目を通す。
「戻っているね、一人を除いて。名前はヒノエさん…
(ヒノエサヤカ…。すぐに顔と名前が結びつかないな。人見知りというか、こちらと線を引いて接しているような印象だけは覚えてるが。)
「この子はさっき家に帰ったの。保健室に入ってきたとき、顔が真っ青だったんだけどね。」
「先生のお茶もほとんど手につけてませんでした。丙さん、辛かったんだろうな。」
会話に加わってきた河津が、まるで自分の痛みであるかのように顔を曇らせた。
「物理的に折れちゃいそうな細い子だったから、かなり心配だったんだけど、しばらく横になったら顔色は戻ったの。だから彼女も希望もあったし、家に帰したわ。学校、こんな状態だしね。」
先生は不服そうに保健室の入り口を見る。
「榎田先生は悪くないですよ。こんな風になっている学校が悪いんですから。先生、元気出してください!」
やや保健室の雰囲気が暗くなったのを感じ取ったらしく、ふんす、ふんすと河津は鼻息を荒くする。
「もう、郁久乃ちゃんは可愛いなあ!ありがとうね!」
榎田先生は流れるように彼女に向けてハグをした。
ハグに慣れたところを見るに、先生は海外生活に慣れているのだろうか。
「せっかくだし今日の利用者名簿のコピー、持っていきなよ。お土産あったほうが職員室で喜ばれるでしょう?」
「…だそうですよ。」
二人に見つめられ、勧められては、断る理由もない。
「助かります。気が利かないと評価されると、これから大変なもので。」
河津はきょとんとしていたが、榎田先生は苦笑いすると、コピーと小袋に入ったチョコレートのお得パックを僕に手渡した。
「応援してるぞ、若者よ。『お土産』だ。」
僕は寸の間だけ呆気に取られてしまったが、即座に深々と礼を返す。
「ありがとうございます。」
ストレートな厚意は、こちらに来てから受ける機会がめっきり少なくなったので、すぐに次の言葉が出ないほど嬉しかった。
「大げさよ。」
笑う榎田先生の隣で、理解が追いついていない河津は首をかしげている。
「河津にもそのうち分かるよ。いや、分からないほうがいいのかな。」
「郁久乃ちゃんはそのうち分かるわよ。よく気がつくからね。」
「はぁ…。」
彼女は未だ文脈を図りかねているようだった。
榎田先生と僕は、お茶の予定を後日に変更する。
さすがに本日決行では慌ただし過ぎだ。
「じゃあ、残りの時間も頑張って。」
「ありがとうございます。」
僕は温かな心と共に、足取り軽く職員室に戻った。
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