空を泳ぐ金魚のお話

鈴音

夏のお話

「雨、早くやまないかなぁ」

 こぼれた呟きは、軒先を強く叩く雨にかき消された。

 数日前、お父さんの仕事の都合で、急に引っ越してきたこの街の片隅にある、小さな神社。

 子供が少なくて、ビニールプールで金魚とスーパーボールを掬うだけの小さな縁日の開かれているお祭りの中、雨は降り出した。

 境内にいた子供は、親と手を繋いで帰っていった。私は傘もかっぱも無くて、一人で取り残されて。

 可愛い色んな色の金魚が吊るされた軒先で、ため息を零していた。

 ざぁざぁと降り続く、分厚い雲は、一向に晴れる気配は無くて、一人寂しい私の心みたいに、ずんよりとしていた。

「はぁあ……お腹、空いたなぁ」

 何回目かのため息と一緒に、お腹の虫が鳴きはじめる。答えてくれる虫も、カエルの声も無く、相変わらず虚しいだけ。そう思っていたら、突然。

「ねっ、なにしてるの?」

 ひょこっと、神社の隅から、女の子が飛び出してきた。

 顔立ちは日本人っぽいのに、鮮やかな赤色の髪と、とろんとした金の瞳。ひらひらと舞い揺れる水色の浴衣には、今にも動き出しそうな鮮やかな金魚の群れ。

 可愛らしいその子に一瞬見とれたけど、はっとして、すぐ答えた。

「雨が降ってきちゃって、帰れないの。お友達もいないから、暇だなぁって」

「お友達、いないの?」

 無邪気に聞いてくるその声に、ちょっぴり心が傷ついたけど、多分私より年下だろうから、ぐっと堪えて。

「うん。私、この前引っ越してきたの。だから、この街のこと、なんにも知らなくて」

「そっかぁ……じゃあじゃあ、この神社のことも、まだ知らない?」

 にこにこたずねてくる彼女の言葉に、ちょっと興味が湧いてきた。この神社のことって、なんだろうか。

「ここはね、ずぅーっと昔から、金魚が神様なの。だから、屋台がどんどん減っても、金魚さん掬いだけはやめないの」

 金魚が神様。聞いたことがない。どういうお話なの? と、聞く前に、彼女は語ってくれた。

「むかーしむかしのこと。この街は、江戸の街から遅れて流行した、金魚を育てることに夢中になっていました。

 けどみんな、それにばっかり夢中で、働くことをほんの少しのあいだ忘れてしまったのです。

 それに怒った、この街の神様が、黄金の金魚の姿になって現れて、言いました。

『ちゃんと働くのなら、この街の金魚を、日本一にっぽんいち美しく、素敵な金魚にしてやろう。働かないのなら、お前たちみんな、川に流してやる!』

 その言葉を聞いた街の人々は改心して、立派に働きました。

 するとたちまち、金魚たちはぷくぷく丸く大きく、可愛く育っていったのです」

「それで、今もこの街はかなうお街っていうの?」

「そう! ちなみに、この神社のご利益は、金運上昇と、縁結び! お祭りの縁日をみんなで楽しんだら、仲良しさんになれるから!」

「……じゃあ、私とあなたも、もうお友達。この街で初めてのお友達!」

 私の言葉に、彼女は驚きながら、輝く金の瞳を震わせて、むぎゅっと抱きついてきました。

「えへへ、久しぶりの、お友達だ!」

 うりゅうりゅとお互いのほっぺをすりあいながらじゃれていると、彼女は突然何かを思い出したような顔をして、言いました。

「今から、五秒間数えて、じっと目を閉じて。私が、いいよって言ったら、空を見上げてみて!」

 にこにこ笑顔の彼女に、ちょっと気圧されながら、言われるがままに目を閉じて、五秒数えます。

 一、二ぃ、三……と数えたところで、雨はぴたっと止みました。

 四ぃ、五ぉ……

「いいよっ!」

 恐る恐る目を開いてみると、さっきまで、あれほど分厚かった雲はどこへやら。どこまでも広がる無窮の星々と、その隙間を縫って泳ぐ、無数の金魚たち。

 そして、うっすら光を放つ瞳で、楽しそうに微笑む彼女。

「素敵でしょ! あの子たち、お友達なの!」

 両手を広げ、くるくると境内を跳ね回る彼女はまるで金魚のようで。その浴衣に泳ぐ金魚たちも、ときおり飛び出しては、空に向かって泳ぎだしたり、かと思えば帰ってきたり。

「そういえば、自己紹介がまだだったね。私はこの神社に暮らしてる金魚! 名前は……実は、ないんだ」

 この素敵すぎる光景を前に、驚きもあるけど。それ以上に、神様がお友達になって、こんな景色を見せてくれた。それが、たまらなく嬉しくて。

「私は、――っていうの。これからよろしくね、金魚の神様!」

 それから、心配したお母さんが迎えにくるまで、ずぅっと二人で、遊び続けたのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空を泳ぐ金魚のお話 鈴音 @mesolem

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ