1-4,ゲーセンで金を溶かさせて

「あ、あの、日暮、先輩……?」


授業終わり、私は相も変わらず金髪の先輩に絡まれていた。

「あの、えと、近いです」

くそでかいクマを不思議そうに眺めながら学生が帰って行った授業終わり。教室には私と先輩しか残っていない。

クマが座らされていた壁際の椅子に私はたじたじと追いやられ座らされている。目の前いっぱいを覆うふわもこのクマ。


なぜこうなった……。クマのキュートな顔から目を背ける。

「もらって」

「無理です」

「どうしても」

「無理ですって」

何でこんなに引かないんだこの人……。

「あの、本当に、正直、すいません、ありがたいんですけど、迷惑なんで」

「迷惑だ」だけ言いたいのに修飾語が異常にくっつくコミュ障あるある。クマの顔面をむにゅ、と押し返す。


「……でも、クマちゃん欲しかったんでしょ」

ここにまできて不服そうな先輩。四限目が始まるチャイムが鳴る。

「まあ、欲しかったですけど」

「じゃあもらってよ」

「いや、うーん。でもそれはもう既に先輩のものですし……」


「そっかー、わかった」

あー。やっと分かってくれた。

「じゃあもう一個取りに行こう」

だめだ、分かってない。


クマの横からずずいと顔を近づける先輩。正面にはぬいぐるみのビーズの目。横を向いても生気の無い人間の黒目。314教室、ここに生者は私しかいないらしい。

「あの時は私も慌ててたし、個数制限もあったけれど……うん。日をまたいだからもう一個とっても良いはず。でかいプライズはすぐに無くならないだろうし、設定完璧だったから即入れ替えとかもないだろうし……!」

「あーーー」


なんかもうあれだな、面倒くさくなってきた。壁にこてんと頭をぶつける。先輩の早口が右から左へ抜けていく。

「分かりました。もう一個取りに行きましょう。私まだ五時間目あるんで、終わってからで良いですか」

「!もちろん。取りに行こう。いや、任せて、取ったげるから」

先輩はにっこにこで私を解放してくれる。視界が開ける。しばらくぶり、机たち。


(しっかし、本当になんなんだ、この先輩は……)

気に入られたのか何なのか。校内でのまともな知り合いがこの人だけってどうなんだ……。

(いや、もういいや。クマ取ってくれるらしいし、解放されたし)

「じゃあ連絡取れるようにライ〇交換しておこうか。はい、これあたしのQRコード。」

「はい……」

そういえば、大学生になってから初めての友達追加かもしれない。「日暮夏都」とそのまま本名らしいニックネームにアイコンは美少女フィギュアの写真。ぽち、と追加ボタンを押す。

えへへ、と目を細めて笑う先輩。黒目がまぶたで隠れる。こうしてみると生気あるなぁ。普通の人間だ。

(あれ、私、先輩のこと異常だと思ってるな……)

「ねえ、浦田さん」

あ、目開けちゃった。とたんに生気が消え失せる。うん、普通の人間じゃあないな。

「じゃあ五限終わりに講義棟前集合で大丈夫かな?一応連絡するから」

「は、はい。」

「ふう、良かったぁ。じゃ、あたしこれから四限受けてくるから。また後でね」

じゃらじゃらリュックとともにクマを担いだ先輩は、あっという間に教室を出て行ってしまう。

「ふう……」

一気に疲れた。天井を仰ぐ。

「……あれ、」


四時間目って、もう始まってね?


空きコマ四時間目を惰眠に任せ、五時間目を新入生パワーで真面目に乗り切った私、浦田ここはいよいよ逃げられない先輩との放課後に向けて歩みを進めていた。

正直、五限の途中から気が気じゃなかった。イヤホンをはめる気力も湧かず講義棟を出る。『講義棟入り口前で待っています。見つけられなかったら連絡してください。』一分前に送られてきたメッセージだ。

「あのクマを前にして見つけられないとかないだろ……」

まだまだ超遠方だがもう見つけた。ヘッドフォンをつけ、ごりごりでかいクマを抱え、スマホをいじる日暮先輩。建物の出入り口の目の前に陣取っている。こっそり逃げ帰る選択肢は捨てた。意を決して近づき、声を掛ける。

「先輩」

「……あ、ハイ。お疲れ、浦田ちゃん」

日暮先輩は目の前に来てようやく気づいた、というようにヘッドフォンを取る。

(逃げ帰れたかもなあ……)

「ん、何?」

「イエ、ナニモ」

「あ、そう」

先輩はスマホとヘッドフォンを器用にしまい、クマを抱え直す。

「じゃあ、帰ろっか」

「はい」

周りの視線にたじろぎながら、できる限り距離を取って歩く。

「……一緒にこれ、抱えてくれない?」

「……さすがに嫌です」

ヒュー

五月の風が強く吹く。ぬいぐるみに遮られて、私の髪がなびくことは特になかった。


午後七時前。八王子駅、駅前。これでもかと電飾に彩られた巨大な建物はゲーセンやパチンコ店などを兼ね備えている。店名は「シルバスケット八王子」というらしい。帰宅ラッシュの電車内、でかすぎるぬいぐるみを持っている連れがいることに、それはもう大層引け目を覚えながらやっとのことで私たちは昨日のゲーセンに戻ってきていた。大学よりもさらに老若男女問わない好奇の目。

「あうう……」

個人的絶望顔ランキングをこんなに早く更新することになるとはなぁ……。通行人をぎょっとさせる顔をさらす私を横目に、この先輩の顔は生き生きとしている。なんか全体的に授業の時よりつやつやしている気がする。目以外は。

「楽しみだねえ、へへ」

「ふぇい」

入店したらまず袋をもらいに行こう。固く決心しながら私はエレベーターのボタンを押す。

「やばい、まじ今回盛れたかも。がちで」

「え、そのプリのデータ送って~?」

「いいよ~ってあ。ビーリ〇ル来たわ。撮ろ~」

エレベーターからゲーセンの帰りであろう女子高生グループが出てくる。

(ま、眩しい……)

アイドルのような黒髪ストレートにナチュラルメイク。ボサ髪すっぴん大学生とは雲泥の差だ。

女子高生グループが全員出て行ったことを確認してエレベーターに乗り込む。

「あっはは……。ああいうきらびやかな子たち見ちゃうと、なんかね、恥ずかしいね」

「先輩…………」


何だろう、一日クマ抱えていた人には言われたくないかもしれない。


「いらっしゃいませ~。ってあれ、くれなっちゃん。火曜日に来るなんて珍しいじゃない」

「お疲れ、ジェミィ。昨日のクマちゃん、まだ入ってるでしょ」

けたたましい音と光に飲まれること三度目。エレベーターが空いた先には昨日の美人店員さんが、畳んだ段ボールをまとめながら立っていた。

「もちろん、昨日設定したやつだもん。ところで、連れのお客さんは?」

「後輩。ハイエナしちゃったから取ってあげようと思って」

「ふうん、律儀ね、くれなっちゃんも」

そういえば「はいえな」が結局なんなのか分からずじまいだな、、、。

「お客さん、お名前は?」

「は、え、はぃ」

美人店員さんに突然話しかけられてコミュ障、どぎまぎ。

「う、浦田です。浦田ここです」

「ここちゃんね。くれなっちゃんの後輩ってことは、外大生かな?オセアニア専攻?」

「くれなっちゃん、、、」

「あ、夏都のことね。『ひくれなつ』だから『くれなっちゃん』。」

「あ、はい、あ、いいえ。専攻は、あの、タガログ語やってます」

「え、本当!」

わは、と美人店員さんが喜ぶ。開いた口の向こう、舌先にギラっと光るものが見えた気がする。よく見ると、両耳もシルバーのピアスで埋め尽くされている。

「私ね、母親がフィリピンの方の人で。中高は完全にあっちで暮らしてたんだよ~!ちょっと親近感沸くね」

「ぁ、そうなんですか。はは……」

陰キャと親近感は決して相容れないものなのだ。この店員さん、陽キャだぁ……。

「じゃあ私は段ボール片してくるから、ここちゃんまたね。くれなっちゃんにじゃんじゃん取ってもらっちゃいな~?」

「あ、ハイ。ありがとうございます、はは」

東南アジア系美人陽キャ店員さんはあっという間に作業に戻ってしまった。

(疲れた……もう既に……)

目も耳も精神もすり減る。

「浦田ちゃん、じゃあ、行こうか」

「ぁい……」

ガサガサと音を立てながら、先輩は大きな袋にクマを詰め込む。せめて最初からそれでいて欲しかった……。迷わず歩みを進める先輩について行く。

「あの子、ジェミィって言うんだけどね、名前。」

「あ、ハイ。言ってましたね」

「うん。フィリピンについていろいろ知ってると思うし、レポート書くときとかに手伝わせるよ。役に立つと思う。」

「はい……機会があれば今度。」

無くても良いな。

「おし、やるか」

そんなこんなで私たちはお目当ての場所へたどり着く。


(……これが)

大きなUFOキャッチャー。『100センチ特大!キュートなクマちゃん♡』昨日見たポップ。プラスチック板越しに目が合うは、


「よう……昨日ぶりだな」

『マタキタカ』

例のピンクのティディベア。生意気にも私の二千五百円を吸い込んだ詐欺クマだが、悔しいことに超可愛い。

「うう……」

「よし、取るぞ」

両替を終えたらしい先輩が戻ってくる。いつの間にか眼鏡を掛けている。

(眼鏡……傷だらけだな)

同士かもしれない。傷だらけの己の眼鏡を掛け直して考える。

「あぅ、でも先輩。やっぱり悪いですよ。せめて私が払います」

「いいよ、このくらい」

「いやでも、三百円くらいなら……」

「あー、」

先輩はがま口をパチンと開けて答える。


「いや、三回じゃ取れないよ、これ」

「え……?」

「うーん、設定ミスってなさそうだし三千ぽっきりってところかなあ。もちろんもっと安く狙うけどね」

「え、三千円?だって昨日は三回で……」

「え?ああ、あれはだからかくり……」

何かを言いかけた夏都は、はっと視線を移す。

(ん……?)

見れば、向こうにはジェミィさん。何か言いたそうにこちらを見ている。

「何だろう……」

「あー、まあそうか……。あたしは客である前にいちゲーセンの店員。あんまり言いふらすのもあれだよな、うん……。いやでもどうしようっ、浦田ちゃん分かってなさそうだし嘘つくのも悪い気がするしなんて説明すれば、」

ぶつぶつモードに入った先輩は相変わらずおかしい。

「先輩……?」

「あっはいひぇっ」

夏都は冷や汗ダラダラに振り返る。後輩の不思議そうな視線。

「昨日は三回で取れたのに、今日は三十回もかかるんですか?でも、なんでいくらかかるとか分かるんですか?先輩のテクニックがあれば数回で取れるものなんじゃないですか?」

ただ純粋に知りたいです、という後輩の目。

「うーん、あー、えーと、つまりだねえ、」

汗が流れる。耳にまで血が上る。

「はい」

「あたしが分かるのは……」

「先輩が分かるのは?」

「あー……うーん……」

「んー?」

夏都は答える。


「ま、まほう、です。」


ま ほ う


「……ん?」

「……うぁ、」

日暮夏都、十九歳。自爆。

「ん、んーと、ふしぎなちからでぇ、えいって、やってぇ、へへ」

「せ、先輩……?」

何だろう、先輩のこの既視感。

(あー、あれかなあ)

あれかもしれない。


ここはぼんやりと回想する。あれはそう、高校時代の自己紹介。

『浦田さん、趣味は何ですか?』

『漫画です』

『どんな漫画ですか?』

『あー、あの、恋愛?ものとか?』

『へえ、好きなタイトルは?』

『んーと、えーと、え、えへへ。あの、あの、えへへ』

うん、これだな。思ったよりも聞かれたくないところまで質問を掘り下げられてしまったコミュ障の焦り具合だ。

「先輩……」

「あう、あぅ」

ごめん、先輩。私が間違っていた。もう聞かないから。後でこっそり調べるから。

「分かりました。まほうなんですね」

「ふぇ、はい。そうですぅ……」

「先輩。」

「はぃ」

「お願いします。クマちゃんを、取ってください」

先輩の肩に手を置く。

「ぁ……うぁたちゃん」

「先輩、お願いします」

「う、ぐす、はい。ごめんなさい。任せてください。」


半泣きの先輩が落ち着くのに、もう数分かかった。

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