1-3,大学で冷や汗を流せ

昼の大学。食事にサークルにと大学生でごった返す和やかな五月の広場は、

「え……?」「なに?」「どゆこと……?」

いつもと違う感じでざわついていた。


「昨日はすみませんでしたっ!」

大量の学生が遠巻きに見守る中、円形広場の中央通路に立つのは金髪ウルフの女子大生。相変わらず生気の無い黒目はしかし、至って真剣である。


「こちらをお返しいたしますっ!」

ぴょんぴょんと結ばれた短い青色の髪の毛も隠すほど腕に抱えるは、くそほどばかでかいクマのぬいぐるみ。


浦田ここ、大学一年生。

「受け取ってくださいっ!!!」

「え、ええ~……」

絡まれています。


なぜこうなったのか。

時を遡る……ほどでもないが二時間前、なんだかんだ結局浦田ここは登校していた。昨日の詐欺クマ事件から一夜。今日は三限、専攻言語からのスタートだ。

(昼飯は……向こうで食べるか)

食堂で、とか友達と、とかそういうことではない。遅刻しないように早めに教室に行き、一人の空間でおにぎりを食べ、チャイムが鳴るまで昼寝をするのが目的だ。惰眠はあるに越したことはない。最寄り駅に着くまでの電車内でも揺られ、うとうとする。


うとうと、したいのだが。


なんか不審者いるんだよなあ……。

八王子駅のあたりからうっすらと感じていたが、まだいやがる。

同車両、ほとんど対角線上の向こう。膝の上にばかでかいクマのぬいぐるみをのせた不審者。ぬいぐるみに遮られて顔は確認できない。駅に止まるたび、数名の乗客があからさまに隣の車両に移動している。

百センチを超えるピンクのティディベア。首元には黒いリボン。たまに見える金髪。隣の席には、マスコットをじゃらじゃらさせたリュックサック。

(いや、関係ない。私には関係ないですとも、ええ)

見えないふりをして目を瞑る。イヤホンをはめる。


一時間と少し。最寄り駅まではやり過ごせた。やり過ごせたのだが、


「あの、浦田さん」


「………………はい」

捕まった。

「って、え?あれ?なんで私の名前知ってるの?」

「え、だって、当たり前じゃないですか」

「あれ、なんで私の大学知ってるの?なんで着いてきてるの!?あれ?え、え、怖い怖い!」

「え、え!?あの、あ、ちょ、待って!」

「よく考えたらおかしいねぇ!あれぇ!?いやよく考えなくてもおかしかったけれど!おかしかったけれど!無理!!!待てない!!!来ないで!ねえ!!!」

「待ってぇー!!!!!」

「うわぁー!!!!!」

特大クマ人間に追っかけられて駅から大学まで疾風怒濤の全力疾走鬼ごっこ。

で、今に至る。


「受け取ってくださいっ!!!」

「ええ~……」

群衆に囲まれて私も既に好奇の対象だ。私の人生において看過しきれないほどの人に囲まれている気がする。

「あの二人、誰?」「いや、知らない」「あの絡まれてる子って新入生かな?」「いや、分からないなあ~」

私に知り合いがいないことがさりげなく発覚している。やめてくれ。

「あの、えっと、」

「はいっ」

金髪女子大生はばかでかクマちゃんを前に突き出した体制で固まっている。腕がぷるぷるしてきている。

「受け取るって、直でですか……?」


「……え?」

「いや、せめて袋とか」

「…………」

「…………」

「……あっ。忘れてた」


わ す れ て た。


「……受け取れません」

「いやでもっ。それでは私の気持ちが収まらないと言いますか……」

この金髪、しつこすぎるだろ。

「あの、そもそもなんで私にくれようと……?あなたが実力で取ったものでしょう?」

そう、そこが一番の疑問の一つだ。彼女は私が二千五百円を溶かした現場を見ていたのだろうか。だとしても、彼女が三回で取ったとして、私にあげないといけないなんて馬鹿な話はない。

「実力……?いえいえいえとんでもない!ハイエナしてしまってごめんなさい。もう戻ってこないと誤解していましてっ……」

「はい……えな?」

「うう……」

クマと同じ加減で、彼女はくたんとうなだれる。

ハイエナ?目の前のぬいぐるみは……クマだよな。はいえなって、あのハイエナだろうか。よく低身長褐色狡猾キャラとして擬人化される、あの。

「あ、あの。はいえな?誤解?って、なんですか?」

「……え?」

「あの、私が戻ってきたのはSu〇caを忘れていたからで……で説明あってますかね?」

「……はえ?」

金髪ハイエナ(?)女子大生の、不健康に白い肌に血が集まる。

「え、え、私は、あの、てっきり、ハイエナを怒っているものかと、」

「あのー、さっきからハイエナって一体……?」

「はっ。」

耳まで真っ赤になった彼女は目を伏せてうつむいてしまう。

「そうだよあたしぃ……自分みたいなクソゴミチー牛女と違って普通の女の子はゲーセンに通わないしハイエナもしないし確率も知らないしぃ……あぁ、もう最悪。いや、でもでももうすぐランプなのに諦めてたら声かけたげれば良かっただけの話だったしぃ……?いやでもあたしに声を掛けるなんて高等テクニックは……うぅ」

なんかクマちんを抱えてごにょごにょしゃべっている。

『イタイナ』

クマ……。


「って、あれ?今何時……」

ふと周りの学生がまばらになっていることに気がつく。

「おわ!?もう三限三分前!」

こうしちゃおれん。

「あの私、これから講義あるんで」

昼休みにお昼寝記録が途絶えた。おにぎりも食えなかった。大丈夫かなぁ、次の授業。

「あ、はい。とりあえず教室314、行きましょうか」

「はい、」


……


……


……


「え、なんて?」


---


講義棟、三階。始業のチャイム。

「おいおいおいおい、」


一緒のクラスだった。


一緒のクラスだった。


いっしょの くらす だった。


(どこかで見たことあると思ってたけどそりゃあ、既視感あるわな……)

ずがーんと机に顔を伏せる。

「……浦田さん」

「ひゃい」

先生が出席を取り始める。必須科目の専攻言語、タガログ語の授業だ。小さな教室には学生が二十名弱。いや、もう何回か一緒の授業受けている人だったんじゃねえか。何百人とかならまだしも、二十人ちょいしかいないクラスメートの顔を覚えていないとは。

(まあ高校三年間変わらないクラスメートの名前覚えられなかったで有名の私ですからねー……へっへ)

おぼろげに思い出される、「ぁぅぁ君」の顔。ごめん、最後まで名前ごまかし気味で呼んで。


「ひぐれさん」

「あ、スミマセン。それで『ひくれ』です」

「ああ、また間違えちゃった、ごめんなさいね。」

出席確認は続く。ひくれさん、というらしい。そういえばそうだったかもしれない。いつもほとんど対角線上に席を陣取り交わる機会もない二人だが、今日は始業ギリギリに来たためいつもの席が埋まっており、前二列目に隣同士で座っている。


「……で、日暮さん」

「はい」

「その……ぬいぐるみは邪魔だからどけておいてもらえる……?」

「あっ……はい。スミマセン」

余りの椅子に腰掛けられているクマ。教室に要らないメルヘン要素が足されている。

『キマズイ』

くま……。


(腹……減ったなあ)

空腹と衝撃と。何が何やらだがもうやけだ。気力で乗り切るしかない。

「じゃあ今日はゴールデンウィーク前の続き、ということで隣の人と自己紹介をしあいましょうか。挨拶は覚えていますか?」

先生が説明を続ける。今日に限ってそういうのがあるのか。周りががやがやと自己紹介を始めるのに焦り、急いで日暮さんと向き合う。

「ま、Magandang hapon……Ako si うらたここ……」

「こんにちは、私は浦田ここです」的な意味だ。タガログ語で。

「ふぁーすと ぐれいど あこー。ぴりぴーの あん めじゃー こー」

「一年生です。私の専攻はフィリピンです」的な意味だ。

「えっと、えっと、まさら、えと、なんだっけ」

「Masaya akong makilala kayo?」

「あ、い、いえす」

日暮さんが助け船を出してくれた今のは「ナイストゥーミーチュー」みたいな意味だ。つくづく思う。日本語すらまともに話せない私が、なんで外国語学びに来た……?

「Ako si ひくれなつ……」

日暮ちゃんのターンに変わる。昼休みの気迫はどこへやら、めちゃくちゃぼそぼそしゃべる。

「せかんど ぐれいど あこー。おせあにあ あん めじゃー こー」

「私は二年生です。オセアニア専攻です。」的な意味。

「……え?」

「ん?」

「あ、いえ……」

「あ。ま、まさや あこん まきらら かよー」

あれ……?この人年上だったの……?

「おい、おい……」

分からん。さっぱり、わからん。

「おいおいおいおい……」

「う、うらたさん……?」

ぼさぼさの後れ毛と一緒に、私は机に再度ひれ伏すのだった。

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