第5話 春の夢
「女子高生らしい俳句と言えば恋の俳句ではないでしょうか」
あえて制服に身を包んでこの部屋を訪れることに特別感はなくなったけど、それはそれで家庭教師と生徒の関係が慣れてきたみたいで嬉しかったりする。
「なるほど。それは国語の先生に通用するのか?」
「それを先生で試します。先生がドキッとすれば、きっと国語の先生も若かりし頃を思い出してキュンキュンしちゃうから」
「俺、結構ラブコメ漫画を読むけど大丈夫か? ちょっとはそっとじゃときめかないぞ」
「現役女子高生が自分の部屋で恋の俳句を詠む。これだけでドキドキしませんか?」
「シチュエーションありきじゃねえか。俳句で勝負しろ俳句で」
「もちろん。わたしもいろいろ調べました。ネットで」
「ぬくもりのある季語はどうした」
「ネットにぬくもりがないという発想がもう古いのです。生活にネットが根付いた現代ではネットにこそぬくもりがある。わたしは気付いたのです」
「ソレハスゴイハッケンダ」
カタコトになりながらもパソコンの作業を中断してわたしの方を見て相手をしてくれる。やっぱりネットよりも生身の人間だよね。
「今回は本当に自信作! 先生にも思い当たる節があるんじゃないかな」
「ほう、男女共通の青春ってわけか。本当だとしたらすごいな」
「女の子だから女の子目線っていうのもありきたりだし、男の子目線を頑張って考えてもなんか狙い過ぎ。自分の考えに男子もこうだったらいいなをちょい足ししました」
「男子の考えは隠し味なのか?」
「そういうこと。こほん。では、会心の一句を詠みます。『同じ道同じ制服春の夢』どうでしょうか?」
部屋が静寂に包まれる。ここが畳の部屋ならかこーんって鹿威しが鳴ってもおかしくないくらい厳かな空気に包まれていた。たぶんエアコンが効いてるせいだ。
「二人で一緒に同じ制服を着て通学するのが夢ってことか。たしかに、俺も高校生になったら彼女と登校できるものだと思ってた」
「あ……ごめん。傷をえぐるつもりはなかったんだ」
「勝手に傷付けるな! そういう妄想をしてただけでフラれたとかじゃない。告白もしてないしされてもないだけだ」
「そうなんだ!」
「おい。なんで嬉しそうなんだ?」
「え? そ、そう? 別に喜んだつもりはないんだけど、誰とも付き合わずに高校生活を終えることあるんだな~って。別に焦らなくてもいいのかな~って思っただけで他意はないよ?」
「本当か? だって同じ制服を着て通学したいんだろ。もしかして片想いの相手が志望校に落ちたとか?」
「う~ん。ちゃんと合格してるっていうか、わたしより先に合格してるせいで卒業しちゃったみたいな」
察しの良い人なら遠回しに好きと言っているのが伝わると思う。でも相手はお兄ちゃんだ。わたしを恋愛対象として見てなくて、幼馴染で妹的な存在。最初から恋人としての可能性を外しているからきっと察してくれない。
「…………まさかとは思うが、俺じゃないよな?」
「え……」
「す、すまん。変なこと言ったな。中学生が年上の男子を好きになるってよくある話だもんな。クラスメイトの女子が高校生の先輩にキャーキャー言ってたの思い出したわ。ははは」
「…………お兄ちゃんが留年したら夢が叶ったのに。ごめんね。わたしの方こそ変なこと言って。だから夢なんだよ。春の夢。儚いものの例えなんだって。どう? すごく深い俳句じゃない?」
「俺も夢だった。同じ高校を受けるって聞いた時はすごく嬉しくて、でも絶対に一緒には通えなくて。合格できないって意味じゃなくてな?」
「そっか。そうだったんだ。同じ夢を見てたんだね。じゃあさ、今から叶えてみない? 春でもないしさすがに学校までは行けないけどさ。制服、捨ててないでしょ?」
「あるにはあるけど……俺はただのコスプレじゃないか。ご近所に見られたら恥ずかしい」
「わたしがそのご近所だよ。この前まで着てたから大丈夫。わたしと制服デートしたくない?」
「デートってそんな大袈裟な」
「ごめん今のなし。デートじゃない。夢を叶えるだけ。なんか恥ずかしくなってきた」
「恥ずかしいならやめておこう。な?」
「ダーメ! 先生の夢を叶えるのが俳句の判定をしてもらった報酬ということで。この俳句なら絶対良い評価を貰えるって自信が付いた」
「なあ、他の俳句もだけど俺との思い出補正が掛かってないか? 今日のはまだマシだけどどうにも万人受けするようには……」
「絶対平気。誰だって同じ学校に一緒に通う姿を夢見るもん。ほら、廊下で待ってるから着替えて着替えて」
「押しの強い生徒だなぁ」
「やる気に満ち溢れた先生自慢の生徒ですから」
「着替えなかったらいつまでも待ってそうだな。はぁ……その辺をちょっと歩くだけだぞ? 暑いし」
「顔が赤くなっても暑さのせいにできるから良かったね」
「それはお互い様だろ」
ドアを開けて廊下に出るとエアコンが効いた部屋との温度差にくらっとした。体の外も内も熱い。連日の猛暑に嫌気が差しているけど、今日だけはほんの少しだけ感謝したくなった。
先生……ううん、お兄ちゃんがいたから作れた自慢の一句。だけどまだ終わりじゃない。ちゃんと伝えないと。
今はまだ、お兄ちゃんと一緒に登校することを夢見ていた妹で止まっている。同じ夢を見ていたとしても、この関係から抜け出すには言葉にしないとダメだ。
「よし、さっさと済ませるぞ」
「せっかくの機会なのに?」
「これじゃあ報酬じゃなくて罰ゲー……ムってこともないんだよな。同じ制服を着た女子と二人で歩く。シチュエーションは素敵なんだ。素敵なんだけど現役の時にやりたかった。それだけが悔やまれる」
「やっぱり留年した方がよかったんじゃない? そしたら一年間、毎日一緒に登校できたのに」
「それはそれで辛いだろ。それにこの歳の差だから仲良くなれた気がする。遠過ぎず近過ぎず。この距離感がいいんだよ」
「だね。じゃあ、行こっか」
まだ異性として意識していなかったあの頃みたいにお兄ちゃんの手を取って玄関を飛び出した。この暑さのせいで出歩いている人は全然いなくて、誰かに見つかるまでどこまでも歩いて行きたくなった。
「おい引っ張るなって。こういうのはのんびり歩く……と時間が掛かるな。俺がリードするから。そしてすぐ家に戻ろう。誰かに見られる前に」
「そしたら本当にすぐ帰っちゃうでしょ? 大声で誰か呼んじゃおうかな。コスプレした成人男性に連れ回されてますって」
「やめろ! 18歳はもう成人なんだから。女子高生と手を繋いでるのって結構マズいんだって」
「お互いに同意の上でも?」
「たしかあまりよろしくなかったはずだ」
「ふ~ん」
「おい。なんでその情報でニヤつくんだよ。まさかこの件で俺を脅迫するつもりじゃないだろうな。クソっ! なにが報酬だ。やっぱり罰ゲームじゃないか」
「そんなこと言っていいのかなぁ? お兄ちゃんの命運はわたしが握ってるんだよ。ふふふふ」
「ちくしょう。悪夢だ。夢が叶ったんじゃなくて悪夢にされた」
「言うことを聞いてれば良い夢を見させてあげるよ。大丈夫。高校生のふりをして一緒に歩いてくれればいいから」
もっと素直にイチャイチャできれば良かったんだけど、わたしとお兄ちゃんはこんな風にじゃれ合いながら成長してきた。わたしのわがままを満更でもない様子で聞いてくれる。
「そんなお兄ちゃんなところが大好きだよ」
「妹の面倒を見るのが兄ってもんだからな。こんな変なこと、他の男とやろうとするんじゃないぞ」
「うん。お兄ちゃんとだけ」
この時間が幸せ過ぎて、結局兄と妹の関係から抜け出せなかった。春の夢が叶うと同時に、夏の夢ができた瞬間だ。この夢が叶うとしたらきっと……。
虫の音色に耳を済ませながら、終わりが近付く高一の夏休みに想いを馳せた。
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