第4話 くしゃみ

 夏休みも残り2週間となりわたしは少し焦っていた。一応キープの俳句はあるけどもっといいものを作れそうな気がしているし、まだまだお兄ちゃんを先生と呼びたい。


 部活がある日でも夕方にお兄ちゃんがいれば先生をやってもらえるので、カーテンの隙間から隣の家をチラリと見てすぐさま行動に移した。


「先生、今日は俳句を作ってきました!」


「それはすごいやる気だ。事前に連絡をくれたら満点だったのにな」


「男の人もサプライズは嬉しいかなって」


「夕方にインターホンが鳴った時点で心構えはしたよ。母さんなら絶対通すだろうし」


「つまり、わたしがこの部屋に来るまでに何かを隠した?」


「なにも隠しとらん。大学生にも夏休みの宿題があるんだよ。意外なことに」


「そうなの!? だって受ける授業とか自分で選ぶんでしょ」


「本当に意外だった。と言っても一つだけなんだけどな。まさか英語の宿題が出るとは思ってなかった」


「へぇ~、大学生も大変なんだね」


「無給の家庭教師もしてるしな」


「わたしと過ごせることが報酬じゃダメ……かな?」


 小首を傾げて可愛くアピールしてみる。ちょっとあざといけど、お兄ちゃんにはこれくらいやらないと効果はない。


「で、どんな俳句を作ってきたんだ?」


 華麗なスルー能力は信頼できる反面、恥ずかしさがふつふつと湧いてくる。怒りはない。わたしが見てないところで悪い女に騙される心配がないから。でもさあ、もうちょっと顔を赤くするなり反応があってもいいじゃん。

 これでもわたし、可愛いって噂されてるってことが本人の耳に入るレベルなんだよ。


「ええっとね、この前は秋の俳句を作ったじゃない? でも、夏休みの終わりの方にこの宿題に取り組む人はもしかしら秋の季語を選ぶかもしれない。だからわたしは考えました。もはや冬だと」


「大丈夫かそれ。季節感の指定とかなかったのか?」


「ちゃんとプリントを確認したから大丈夫。夏休みの宿題で冬の俳句。これだけで他の生徒とは一味も二味も違うって高評価間違いなし!」


「あまり奇をてらうとスベるぞ。自己紹介とかそうだろ?」


「おにぃ……先生には何か黒歴史が?」


「いいから俳句を聞かせなさい。そろそろ夕飯の時間だろ?」


「じゃあそのあたりはまた後日ということで……今回選んだ季語はくしゃみです。風邪を引いたり花粉症だったりマイナスなイメージのものだけど、自分の人生を振り返っておもしろい場面を見つけてきました」


「ほう、成長したな。俺は何も教えてないけど」


「先生のおかげだから! 先生との思い出を俳句にしたんだからちゃんと聞いてね。『くしゃみしてロウソク消えた誕生日』。先生も一緒にお祝いしてくれた誕生日ケーキの思い出を詠んでみました」


「ああ! あったな。一生懸命フ―フ―してるのに消えなくて、くしゃみで5本全部消しちゃったこと。あの日は寒かったから」


「5歳の誕生日ってこともちゃんと覚えてくれてるんだ」


「そりゃまあ、思い出深いし。なぜかお呼ばれされたからな」


「えへへ。そっかそっか。じゃあ、この俳句はわたしとお兄ちゃん……先生だけのものにしようかな。超個人的な話だし、もっとみんなが共感できる方がいいよね」


「今更それを言うのか。それに、俳句って個人が感じた日常の風景を切り取ったものだから全然構わないんじゃ」


「いいの! 今日もありがとうございました先生。そうだ、またわたしの誕生日にうちに来てよ。みんな喜ぶからさ」


「あ、おい」


「今日は見送りしなくていいよ。カーテンを開けたら無事に帰ったかどうかわかるんだし。でも、普段は覗かないでね」


「……覗かなねえよ」


「さすがプロフェッショナルな先生。またね。おじゃましましたー!」


 おばさんにも一言声を掛けて颯爽と玄関を出る。まだまだ暑さは残る空気の中に一瞬涼しい風が通り抜けて鼻をくすぐった。

 くしゃみが出そうな出ないムズムズする感じがするのは、きっとお兄ちゃんがわたしのことを考えているからだと思いたい。

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