第2話 藍浴衣
「あれ? 全然散らかってない」
「そりゃな。大学受験に使ってた問題集とかは捨てたし。これからまた増えるかもだけど」
「ええ!? わたしの大学受験はどうなっちゃうの!?」
「どうなっちゃうのってまだ先の話だろ。傾向とか変わるんだからその年のやつを買わないと」
それはその通りなんだけどわたしはお兄ちゃんが使った問題集が欲しかった。お下がりなら多少記憶が残ってるって理由で家庭教師をお願いできるから。
「それより今は俳句の宿題だろ? さ、詠んでみろ。〇×の判定くらいはしてやるから」
「はい先生! どうやって一句詠めばいいかわかりません」
元気よく手を挙げたわたしをバカにするようなジト目でお兄ちゃんが見つめる。そうそうその目。わたしの好感度を気にしない本心だだ漏れの目が堪らなく好き。
「俺もわからんよ。とりあえず夏休みの宿題なんだから夏っぽい俳句を詠んだらいいんじゃないか」
「夏っぽいとは?」
「んー。花火とか西瓜とか。まずは季語だな。調べてみるか」
「おお! ちょっと先生っぽい」
ノートパソコンを開いてカタカタと華麗に検索する姿は大人そのもので仕事ができそうなオーラを放っていた。
「あんまり馴染みのないところだと
「え? なにそれ」
肘掛けが邪魔でイスを半分ずつ使えないから、お兄ちゃんの視界を遮るように身を乗り出す。ちょっとは意識してくれるかなって期待してみたり。
幼馴染で兄妹みたいな関係から先生と生徒の関係になってドキドキしちゃってるんじゃないの?
「山間部に生える花みたいだな。白南風は雲を一掃する南風だそうだ」
「……そこなの?」
「ん? 他にいい季語でもあったのか?」
わたしが求めてるのは季語の解説じゃなくてこのシチュエーションの感想だったのに。照れ隠しでもなさそうなのがムカつく。だけどこんなところが好きなのはたぶん自分が悪い。
「あっ! これいいかも。藍浴衣。わかりやすいし俳句も作りやすそう。藍色の浴衣ってことでしょ? わたしが着たやつ」
「そういえば小さい頃、浴衣ですごい泣いてたよな」
「あったね。なんでわたしだけ浴衣ないのって」
「そりゃ買ってなければないよな。何度か欲しいか聞いたのにいらないって言うから買わなかったっておばさん愚痴ってたぞ」
「だって、浴衣が何かわからなかったんだもん。ちゃんとお店に連れていって浴衣の前で確認してくれれば絶対欲しいって答えたのに」
「仕事が忙しいから仕方ないよ。まあ、今なら納得できる話も当時じゃ難しいか」
「うん。だけど、おばあちゃんが古い浴衣を仕立て直してくれて……あっ! このことを俳句にしたら、わたしだけの特別な一句になるかな?」
「いいんじゃないか。その思い出込みだと俺の判定も甘くなりそうだけど」
「藍浴衣は五文字だから作りやすそう。う~ん。そうだな……『泣きじゃくり祖母の機転の藍浴衣』」
「ストレートだな。俺の思い出補正も含めてさっきの日傘の句よりは良いよ」
「じゃあ、これはわたしとおばあちゃんと先生の思い出の一句ということで」
「……つまり、まだ作ると」
「今日はもうおしまい。とりあえキープで」
「キープって、なんか悪い女みたいだ。藍色の浴衣ですっかりご機嫌になった純粋な頃が懐かしい。あの浴衣、まだ取ってあるのか?」
「娘に着せるって決めてるから大切に、ね」
「キープしてる男の中からいい相手が見つかるといいな」
「男はキープしてないよ!」
キープじゃなくていつでも恋人になりたいくらいなんだから。
それよりもむしろ、お兄ちゃんが大学で誰かにキープされていないか心配になりました。
ざっと部屋を見た感じ女の影はなし。きっと大丈夫だよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。