空っぽの空に

 気まぐれに入った古本屋で探していた彼女の瞳を目の前にし、僕は戸惑った。彼女と話したかった。しかし、考えるとおかしなはなしだ。僕は一度見ただけの少女に恋い焦がれ、探しにここまで来、そして出会っている。彼女が僕を覚えている訳はなく、いま声をかけようが、冷たい態度を取られ終わる想像しかできない。

 それなのにいつの間にか、僕の口から「こんにちは」と一言、彼女に向かって言っていた。すぐに悔いた。

 すると、思い掛けず「こんにちは」と言葉が返ってくる。しかし、声の主はぼうとしていたこの古本屋のおじいさんだった。

 訂正するのも野暮で、僕は店主のおじいさんに向かってはにかむだけで、Uターンして下を向きながら古本屋を出た。

 外に出てみると、店の中がどれだけ暑かったか、実感する。

 下を向いて歩き、彼女を初めて見かけた横断歩道の手前の画廊の庇屋根で赤信号を待つ。上を見ると、今朝の雲が退いている。ちぎれ雲が一つ浮いている。

 すると、声がする。

「あの、こんにちは」

 彼女が僕の隣にいた。僕は驚いて、怪訝そうな顔をしたのだろう。彼女が気まずそうな顔をした。

「こんにちは」

 僕は返した。あくまで、自然にしたつもりだが、耳が赤くなっている気がしてならない。

「さっき、挨拶してくれましたよね?ごめんなさい。返せなくて」

 気味の悪い挨拶に自分が返せなかったからと僕を追ってきたのか。

「いえ」

 これ以上に言えることが見つからなかった。

 それから、気まずい沈黙が、信号の色が替わるまで続いた。

 信号が緑に替わると、僕は、一縷の細い細い望みに賭け、お茶に行きませんかと彼女に声を掛けた。彼女は、ええ、行きましょう、と二つ返事で承諾した。

 

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