第2話 カレーにご用心

「俺の名はアルフリード・レウィス。後ろにいるのはミリリアード・レウィスとハイル・ミラー。俺の妹と仲間だ。君は?」


 まずは正直に名乗り、相手の反応を探ることにした。


 俺たちの名を知っていた場合は、必要以上に警戒させてしまう可能性が高い。だが、後から知られるよりかは幾分かマシだろう。


「わ、私は本城名雪ほんじょうなゆきです。えっと、泥棒じゃないんですか?」


 どうやら言葉は通じるようだ。俺たち三人はアイリーンが製作した指輪型のマルチデバイスを身に付けているが、それには基本的な翻訳機能も備わっている。


 言葉が通じなければ交渉のしようもないが、その心配は無用だったようだ。


 俺は、彼女の反応を注意深く観察するが、俺たちの名前を聞いても、特に反応を示さない。


 本当に知らないのか、それとも何かを隠しているのか……


「いや、俺たちがここにいるのは意図したことではない。運悪く銀河穴に吸い込まれ、気が付いたらこの場所にいたんだ」

「銀河穴? 何でしょうかそれは?」

「……宇宙三大厄災の一つを知らないのか?」

「厄災? ご、ごめんなさい、何を言っているのか私には……」


 まさか。宇宙三大厄災を知らないなんてあり得ない。子供でも知っている常識だ。彼女は何かを隠しているに違いない。


 だが、そうだとすればなぜ嘘をつく? 俺を試しているのか? それとも、何か別の意図があるのか?


 いや、こうして混乱させることこそが作戦なのかもしれない。やはりこの惑星は危険だと改めて俺は自分に言い聞かせる。


「この惑星の名は何と言う?」

「惑星? え、えっと、地球です」

「地球、聞いたことがない名前だ」

「も、もしかしたら何ですけど、あなたたちは宇宙から来たんですか?」

「ここに飛ばされる前は、第四大銀河のアルメイヤ太陽系、三十八宇宙域にいた」

「と、と言うことは、本当にうううう宇宙人なの!?」


 本城名雪は、まるで初めて異星人を目にしたかのように、後ずさりして部屋の扉にぶつかった。


 彼女の反応は、あまりにも自然で、演技だとは思えないほどだった。


「古臭い呼び方だが、そうなるな」

「嘘でしょ……」

「くっ、この匂いは!?」

「ミ、ミリア様、今はどうかお静かに」

「これは食べ物の匂いなのじゃ」

「この交渉に我らの命運が懸かっているのです。どうかご辛抱を」


 俺と本城名雪の緊迫したやり取りをよそに、背後から騒がしい声が聞こえてきた。


 次の瞬間、小さな嵐が巻き起こった。ミリアが弾丸のように俺の横を駆け抜け、本城名雪の服の裾をぎゅっと掴んだのだ。


「なぁ、この美味しそうな匂いはなんなのじゃ?」

「えっと、もうすぐ夕食の時間だから、下でお母さんが夕食を作ってるの」

「なんと!? ならば、わらわが直々に味見してやるのじゃ!」

「おい! 勝手な行動をするな!」

「きゃあっ!?」


 部屋を飛び出したミリアを止めようと一歩前に出ると、咄嗟の行動に本城名雪を驚かせてしまう。


「うぐっ、すまない、驚かせた。だがあいつは世間知らずな上に超が付くほどの阿呆なんだ。何をしでかすかわからない」

「あ、いえ、大丈夫です」


 笑みを浮かべて両手を顔の前でバタつかせる本城名雪を前に、俺は動揺を隠すのに必死だ。


 今しがたの本城名雪の言葉を信じるのなら、この住居にはもう一人別の地球人がいることになる。


 仮にその者にミリアが捕まり、人質になるようなことがあれば面倒なことになってしまう。かと言ってこの場で下手に動けば交渉が難航することもまた事実。


(ミリアを危険に晒すわけにはいかない)


 難しい状況に頭を抱えながらも、俺は決意を固めた。たとえこの星の全てを敵に回すことになろうとも、ミリアには指一本触れさせない。


 俺は反射的に流星剣を鞘から抜き放ち、その冷たい切っ先を本城名雪に向けた。


「すまないが、一刻を争う事態かもしれない。食事の用意をしている場所へ案内してもらおう」

「け、剣!? それって本物……」

「我々を欺こうと言うつもりなら、容赦はできない」


 俺とほとんど同じタイミングで後方に控えていたハイルも星術の構えを取って戦闘態勢に入る。


 相手が敵対することを選択した場合、数秒後にはこの場が戦場となるだろう。


「こ、こっちです!」


 本城名雪と視線が交差すると、彼女はすぐに俺たちを誘導するように指を指して部屋を出た。


 一先ず戦闘は回避できたようだが、まだまだ油断はできない。


 本城名雪が自分に有利な場所に俺たちを誘導しようとしている可能性は捨てきれないし、ミリアを捕まえるまでの時間稼ぎという可能性もある。


 今は無防備にも俺たちに背を見せているが、何をきっかけに本性を現すか分からない。不審な行動をした瞬間、即座に斬り捨てられるように準備だけはしておく。


 この建物の構造を把握していないため、目的の場所までどれだけ距離があるのか予想できなかったが、階段を下りて直ぐの扉を開けると、そこが目的地だったようだ。


 先程よりも広々とした部屋に入ると、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐった。そして、本城名雪とよく似た顔立ちの女性が、ミリアと一緒にいた。


「う、美味い! これは何という飲み物なのじゃ?」

「カレーを知らないの? これは飲み物じゃなくて食べ物よ。お口に合ったのなら良かったわ」

「うむ、褒めてつかわす」

「ふふふっ、ありがとう」


 その光景を呆気に取られるように見守っていた俺たちに地球人の女性が気付いた。


「あら名雪、お友達が来ているなら教えてくれないと。多めに作っておいたから、きっと足りると思うけど、お友達は何人来ているの?」

「と、友達!?」

「違うの?」

「え、いや、なんていうかその……」

「んもう、はっきりしないわねぇ。この女の子とそちらのお二人だけかしら?」


 地球人の女性は煮え切らない態度を示す本城名雪から視線を俺に移した。


 一先ずミリアの無事を確認できたため、ここは下手に逆らわずこの場の流れに身を任せる事にする。


「三人で間違いはない」

「そう、なら良かったわ。直ぐに用意できるからそこに座って待っててくれるかしら」


 地球人の女性が示す先には、六人ほどが座れる広々とした食卓だあった。


 先ほど口にした食べ物に未練があるのか、湯気とともに食欲をそそる香りが漂う鍋を、ミリアは目を輝かせて見つめていた。俺は、そんなミリア担ぎ上げ、テーブルへと向かう。俺、ミリア、ハイルの順で三人が横並びに座り、俺の正面には本城名雪が腰を下ろした。


 地球人の女性が言ったとおり、、そう時間はかからずに料理が目の前に運ばれてくる。自分の分の皿が目の前に置かれた瞬間、ミリアは我慢できずに手を付けようとしたが、さすがに止めさせた。


 惑星の文化体系は違えど、食のマナーにさして違いはないはずだ。全員が揃ってから食すのが筋だろう。


 それよりも、俺は目の前に置かれた料理から目が離せなかった。


 先ほどミリアが口にして味を絶賛したことから、料理としては全く問題ない出来なのだろう。しかし、食欲をそそるとは言いがたい見た目だ。


 ハイルも、眉間に皺を寄せ、皿の上の物体を凝視している。恐らく、俺と同じように、この奇妙な料理に戸惑っているのだろう。


 皿の半分には無数の白い粒のような物が敷き詰められており、もう半分には茶色いドロドロとした液体が占めている。


 白い粒は穀物のようだが、問題はもう半分を占める茶色い液体だ。ドロドロとした見た目に、得体の知れないスパイスの香りが混じり合い、食欲をそそると同時に、一抹の不安を掻き立てる。


 鼻腔をくすぐるスパイスの香りは、複雑ながらも絶妙なハーモニーを奏でている。食欲を刺激するその匂いは、未知なる味への期待感を高ぶらせる。


 見た目は、正直言って食欲をそそるとは言い難い。しかし、香りは紛れもなく美味しそうだ。俺の脳内では、視覚と嗅覚が激しい論争を繰り広げている。


 そして、遂にその時が訪れた。


「さあ、できたわよ」

「食料の提供感謝する」

「なぁ、もう食べてもいいのか?」


 ミリアが待ちきれない様子で尋ねる。


「あらあら、ごめんなさいね。それじゃあ……」

「「いただきます」」


 地球人の二人は、両手を合わせてそう口にした。


 その行為が地球で食事をする際の儀式なのだと察し、俺たちも地球の流儀に倣うことにする。


 俺が目配せすると、ハイルも事情を察して両手を合わせる。今か今かと待ち侘びているミリアの両手を合わせてから、俺も両手を合わせた。


「ミリア、お前も真似するんだぞ」

「「いただきます」」

「いただきます、なのじゃ!」


 ミリアは即座に皿の前に置かれたスプーンを握り、待ちわびていた料理に手を付けた。


 料理を口に運ぶとその手が止まることはなく、一心不乱に何度も繰り返し口に運び続ける。


「美味い、美味いのじゃ!」

「そんなに美味しそうに食べてくれると、私も作った甲斐があるわ」


 地球人の二人も、何の躊躇いもなく料理を口にしている。地球ではごく一般的な料理なのだろうか。


 俺が未だ決心がつかないでいると、ハイルが決意の眼差しを向けてくる。


「アルフリード様、まずは私が……」


 俺が無言で頷くと、ハイルは恐る恐るといったように茶色い液体を乗せたスプーンをゆっくりと口に運んでいく。


 そして、口に入れた瞬間、ハイルは目を見開いてこちらを向いた。その味を堪能するように咀嚼しているハイルだが、言いたいことは分かる。


 いつまでも手を付けないのは提供してくれた地球人に対しても失礼だろう。


 俺も意を決してそれを口にした。


「……美味い」

「ふふっ、ありがとう」


 俺の呟きに地球人の女性が笑みを浮かべる。俺はすぐにカレーに目を移し、一心不乱に手を動かした。


 気が付くと、皿の上から白い粒も茶色い液体も消えていた。それを見た地球人の女性が「おかわりする?」と聞いてきたため、俺たち三人は口を揃えて返事をした。


「「「おかわり!」」」

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