第3話:晴れない心

 なんとなく気が晴れなくて、遥斗は少し寄り道することにした。

 種族共同参画基本法が1999年に施行されて既に二十年以上がすぎている。第二次世界大戦が終わり、そこから復活した日本だが、それでも亜人種による差別や偏見が世紀末まで残っていた。

 ドワーフの技術者やオークのような力仕事に向いた種族は建築業などで重宝された。その割には給料は低く、参政権もなかったりと人族だけが優遇されている社会だ。

 日本政府はそういう差別で亜人が不利益を被らないように、給料も待遇も種族共同参画基本法で守るように決められた。司法にしても、亜人にも人と同じように人権が与えられ、亜人の冤罪も減ってきてはいた。

 それでも、クラスメイトにいた櫻井蓮と言う人族のように、未だに人族至上主義の考えは残っている。今から差別を辞めましょうと言っても直ぐになくなるものではないと遥斗も理解はしているつもりだ。

 だからといって納得出来るわけがない。

 モヤモヤとしたまま、遥斗は近くのゲームセンターに入るとガンシューティングを始める。マシンガン型のコントローラーでミュータントを倒していく古いゲームだが、今の遥斗にとってこの爽快感のおかげで少し嫌なことを忘れられた気がする。

 ゲームセンターを見回しても、そこら中に亜人たちがゲームを楽しんでいる。

 音ゲーの前にはアラクネ族だろうか。

 蜘蛛の手足を背中から生やして軽々と高難易度曲をクリアしている。それはずるいだろと遥斗は苦笑いをしていた。時計を見ると午後五時過ぎだ。気分も少し晴れたし、帰ろうとした時、格闘ゲームコーナーから怒声が飛んできた。

 そっちを見るとどうやらトラブルのようだ。

 どう見ても不良のグループが気の弱そうな獣人に絡んでいた。不良グループの中には、スキンヘッドにしたリザードマンに、モヒカンのドワーフ。そして、顔まで刺青を入れた人族のグループだ。

 ある意味、種族関係なく集まっている彼らのほうが、取り繕った社会よりも真っ当だ。唯一、不良で他人に暴力を振るうと言うところを除いて。

「おい、何見てんだゴルルア!」

 スキンヘッドのリザードマンに気づかれて、遥斗は固まった。ガニ股でズカズカとこっちに向かってくる。獣人は助けてくれと懇願するようにこっちを見てくるが、遥斗はコントローラーを素早く戻すとカバンを拾って走り出した。

 こんなのは間違っている。

 きっと助けに入るか、誰かを呼ぶべきだったのかもしれない。それでも、遥斗は逃げ出すことしか出来なかった。

 気晴らしにゲームセンターに入ったというのに、余計に重い気分で遥斗は家に帰った。

「おかえり、遥斗〜」

 リビングのドアを開けると、料理を始めたばかりの従姉の姿があった。帰ってきたばかりなのか、ワイシャツ一枚のままだ。近くにはジャケットとパンツが脱ぎ捨てられていた。

 遥斗と同じ黒髪だが、従姉の髪は艶やかでストレートだ。直ぐに逆だってしまう遥斗とは違い柔らかな髪質だった。そして、彼女の額には二本の小さな角が生えている。

 日本古来の種族の鬼族とのハーフの従姉は生まれもあってか長身で引き締まった体をしている。それなりに出るところも出ていて、目をそらしながら遥斗は声をかけた。

「ただいま、咲夜姉ちゃん。ちゃんと服は着てくれ」

「あー、悪い悪い。今の今まで忘れてたわ」

「ったく。嫁入り前なんだからさぁ……はぁ……」

「どうした、遥斗。そんな暗い顔しちゃって」

「いや、別に……」

「あっそ。夕飯すぐ作っちゃうからちょっち待っててね〜」

「その前に着替えてくれよ」

 自室に戻るついでに遥斗はスーツを脱衣所のカゴの中に放り込んだ。部屋に入ると、遥斗はそのままベッドの上に転がった。

 嫌なものを見てしまった。

 あの時の獣人の助けを乞う目が忘れられない。

 それでも、遥斗には立ち向かう勇気はなかった。


 しばらくすると、従姉の咲夜が夕食が出来たと呼びに来る。直ぐに制服から着替えると、食卓にはハンバーグとエビフライが並んでいた。かなり豪華な夕食に、遥斗は目を白黒させている。

「どうしたの、姉ちゃん?」

「なんか元気なかったからさ。遥斗の好きな物作ってみた」

「……ありがとう、姉ちゃん」

「どういたしまして〜。でも、味は保証しないからね」

 そう言って笑いながら咲夜はちょっと贅沢なビールの缶を開ける。カシュッといい音が食卓に響いた。

 夕食の味に大満足で、遥斗は食器を片付けようとする。だが、立ち上がる前に咲夜は彼を引き止めた。そして、もう一度座るように促す。

「で、何かあったんでしょ?」

「いや、まぁ……」

「もしかして、遥斗のことを馬鹿にする奴がいた? 大丈夫? 首、捩じ切ってこようか?」

「姉ちゃんが言うとシャレじゃ済まなくなるからやめてもらって良いっすか?」

「冗談よぉ。アタシはそう言うのから引退したし、今は普通のOLよ?」

「はぁ……分かった分かった。別に俺に何かあったわけじゃないんだよね。ただ──」

 グレゴールのこと、蓮のこと。

 そして、帰りにゲームセンターで起こったこと。

 何も出来なかった。

 何もしなかったことを遥斗は咲夜に話した。

 話していくうちに、少しづつ心のモヤモヤが晴れていく。終始黙ったまま、咲夜は静かに遥斗の話を聞いていた。

「そっか……複雑だね、そりゃ」

「姉ちゃんは、そういうことないの?」

「アタシは別にないさね〜。というか気にしないタイプだから……アンタはアタシと違って繊細だし、優しい子だよ。だから、自分の事として考えちゃうんだよ」

「いや、俺は別に優しくないと思う……」

「あの時のこと考えてる?」

「うん、前の学校で同級生に怪我させたし」

「はっきり言う、やり方は間違ったけどアンタは正しいよ」

「でも──」

「もし、アタシがアンタの立場でもそうしてたし、それがトラウマで今日の獣人ちゃんを見棄てたことになってもアタシはアンタが悪いとは絶対に言わないよ」

「うん……ごめん、姉ちゃん」

「そこはありがとうございますお姉様でしょうが!」

「あ、ありがとう」

「でも、喧嘩はやめときなよ」

「分かってるって」

 遥斗は地元で負け知らずだった咲夜も大人になったんだなぁと感心していた。今では一流企業で受付の仕事に就いている。高校時代の咲夜の姿からは想像できなかった。だが、次の一言でこの考えを撤回した。

「喧嘩はしっかりと勝てる相手を見定めること、勝てるように準備することだよ……」

「相変わらずだね、姉ちゃんは……」


 心にしこりを残すことが起きながらも、遥斗はそれなりに学生生活を楽しんだ。毎朝、エレベーターホールで駆け込んでくるセレンと登校して他愛ない話をする。一週間も同じ生活を繰り返していたおかげか、今ではエレベーターの開閉ボタンを間違えることはなくなった。

 学校に着いてからは、グレゴールの笑いの絶えないホームルームから始まる。勉強は元々得意ではないし、特に数学が苦手だ。それでも、この学校に編入して数学が好きになっていた。

 それも、グレゴールのおかげだ。

 教科書はあくまで参考書であり、自分なりに理解することが大切である。

 それがグレゴールの教育方針だ。

 公式だの難しい数学用語を噛み砕いて勉強していく様子は、数学と言うより自己理解の授業のように感じていた。

「それじゃ、次は──」

 グレゴールが電子黒板に映る設問を答えてもらおうと教室の中を見渡した。普通ならば、自分が当てられませんようにと祈る場面だろう。だが、ほとんどの生徒が率先して答えようと手を挙げていた。

「それじゃあ、今日はメイ・リンリン」

「はぁーい! やっとあーしの番だぁ!」

 意気揚々とリンリンが教卓まで出ていって、タブレットに自分の解いたノートを見ながら記入していく。正直な話、リンリンの見た目は割り算もできなさそうな、単純に言えば頭が悪そうだ。

 だが、彼女はスラスラと三角関数の問題を解いていく。

 時終わると、じっとリンリンはグレゴールを見つめる。

 グレゴールはじっと真剣な顔をしてリンリンを見つめ返して黙っていた。その表情は怒っているのか、悲しんでいるのかよく分からない表情を経由して、一瞬で笑顔に変わった。

「正解! よく頑張ったな、メイ・リンリン!」

「マジで!? やったぁ!」

 普通の数学の授業と全く違う方式に、席に座っている遥斗たちでさえドキドキとしてしまう。このクイズ番組のような授業方式もあってか、まだ新任だと言うのにグレゴールの授業は好評で筑紫ヶ丘学園でも有名になり始めていた。

「さて、授業の残り十五分だな。残り時間で小テストをやるぞ〜」

 普通ならば文句の声が上がるだろう。

 だが、遥斗も含め生徒たちはやる気満々だ。

 グレゴールの小テストは授業三回に一回と高頻度で行われる。最初は文句もあったが、今では節目で復習できるいい機会になっていた。目に見えて自分の理解度が分かり、生徒たちも熱心に取り組んでいる。

 それだけではなく、小テストにはグレゴール専用のメモ欄があり、生徒一人一人に合わせてコメント書いてくれる。

 中には面白いジョークが書かれていて、実はそれが生徒たちの一番の楽しみであると言っても過言ではない。

 そんな授業でも、やはり櫻井蓮とその仲間たち数人はグレゴールがオークだと言う理由だけで認めていない。

 蓮たちは授業が終わり、放課後になると他の生徒が全員帰るのを待っていた。蓮を中心にいつもの仲間の三人と机の上に腰掛けたまま何やら話している。

「なぁ、蓮。本当にやるのか?」

 金髪に髪を染めた人族の学生が気だるそうに口を開いた。シャツは出したまま、制服を着崩している。

「当たり前だろ、ジュン。お前らだってあの筋肉ダルマがこの学校にいるのは嫌だろ?」

 まぁな、と金髪の生徒、ジュンはニヤついて答えた。彼からしたら別にどうだっていい話でもある。それよりもつまらない学校が面白くなれば良かった。

「じゃあ、予定通り、俺がアイツを呼び出すから動画撮っておけよ」

「了解!」

 着崩していた制服を着直すと、蓮は職員室へと向かっていく。校舎の窓から見えるグラウンドではサッカー部や野球部が汗を流し、練習をしていた。その光景を見ると、蓮は顔を顰めほんの少し寂しそうな顔をしてその場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春はきっと、異種族のありふれた世界でも変わらない 鷸ヶ坂ゑる @ichigsaka-L

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画