新入社員②

「全然、誰も来ないから不安になったぜ」


 その声がした方向には、大きく膨らんだバックパックを背負う一人の青年がいた。

 年齢は、アオナとそう変わらないだろう。

 髪はもつれた鉄条網てつじょうもうのように乱れていて、肌は汚れで黒ずんでいる。

 身につける衣服も随分と貧相で、使い古した布のようにひどり切れている。

 しかし、そんなみすぼらしい身なりでありながら、たくましい体格と鋭い光を宿す赤みがかった瞳もあって、彼から漂う雰囲気には力強さがある。


「えっと、どちら様でしょうか……? 何か御用で?」


 その青年に見覚えがないらしいアオナは、身構えながら要件をたずねる。


「俺? 俺は、コウマだ。異探社いたんしゃに入るために来た」


 対して、青年――コウマは素直にアオナの質問に答えた。


「待ってる間に、ずっと路地で寝てたもんだから逆に疲れたぜ。中入っていい? 荷物置きたい」

「え、ちょっと待ってください!」

「何?」


 そして、身体をほぐしつつ歩み寄ってきたコウマをアオナは慌てて引き止める。


「その……今は新しい社員さんを受け入れる余裕がなくて……」


 コガネイの発言やアオナの反応からして、日本異界アナザー探索社たんさくしゃの経済状況が困窮こんきゅうしていることは確かだろう。

 社長としてその現状を誰よりも理解しているアオナは、入社を希望する旨を口にしたコウマにずと断りを入れる。


「……いや、そう言われてもさ。こっちは、ここの社長に直接スカウトされて来てるんだぞ? お前なら無条件で受け入れるって」

「社長って……私が?」


 しかし、コウマはその社長に入社の許可を得ていると返した。


「すいません、全然覚えがなくて……。お会いしたことありましたか?」

「……アンタ、何言ってんだ?」


 それにまるで心当たりがなく記憶を探るアオナに、コウマは怪訝けげんな顔をしている。


「ここの社長だよ。ギンジ・アマガミさん。その人にスカウトされたの、俺は」

「……そっか、そういうことか」


 そこでコウマから出された名前を聞いたところで、ようやくアオナは互いの主張が食い違う原因を察したらしい。


「……コウマさんでしたよね? 落ち着いて聞いてくださいね」

「何だ? 急に」

「ギンジ・アマガミ――前の社長は、三年前に異界アナザー探索中の事故で亡くなりました」

「……はい?」

「そして、私はアオナ・アマガミといいます。ギンジ・アマガミの娘で、私がこの日本異界アナザー探索社たんさくしゃの今の社長です」

「……いやいや、ありえないって」


 そうして返す言葉でトウカの身分を知ったコウマは、信じられないといった様子で苦笑いを浮かべる。


「あのギンジさんが? 最強と断言していい人だぞ? どこの異界アナザーだろうと、ギンジさんがやられるはずがない」


 その反応の背景には、彼のギンジに対する深い信頼があった。

 実力を最強と称し、数々の未知が蔓延はびこ異界アナザーのどれであろうとも屈するはずがないと信じている。

 だからこそ、アオナから伝えられた内容をまだ冗談のように捉えているのだろう。


「……残念ですけど、事実です」

「なら、一体どこの異界アナザーだ? そこで何があったって言うんだよ?」


 それでも、関係者であるアオナの言葉ゆえに完全には否定しきれない部分があるのも確かだった。

 コウマはその不安を払拭ふっしょくするためか、矢継やつばやに詳細を問い詰める。


「……新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴという異界アナザーの探索案件でした。そこに三名の仲間と共に行ったきり、案件の期日を過ぎても連絡が取れなかったんです。緊急の案件として、管理局の主導で私を含めた当時の弊社の全員と他社との合同で内部の全容を明らかにしたんです。それでも姿が見当たらなくて……全員死亡と認定されました」

新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴって……そんな特別難度の高い異界アナザーじゃないだろ」

「はい。だからこそ、最強ともうたわれていたウチの評価には大きな傷が付いたんです。それからは、求心力のあった父がいないくなったのもあって皆が会社から抜けていって……私一人に」


 アオナにとっては、肉親に起きた辛い出来事でもある。

 途中で言葉に詰まり、彼女は沈痛ちんつうな面持ちでたたずんでいる。


「……今では、この有り様です」

「……なるほどね」


 そして、アオナは日本異界アナザー探索社たんさくしゃの外観に目を向けた。

 塔は威風をもって鎮座ちんざし、それに付き添う建物も趣向をらした装飾が細部まで施されている。

 ただ、仔細しさいに見れば、そこには多くの損傷や劣化の跡があり、かつての栄光が過ぎ去った様をありありと体現している。


「でもよ、探しても見つからなかったってだけだろ?」

「え? それは、そうですけど……」

「だったら、どこかで生きてるな。異界アナザーでは何が起きてもおかしくない。急に、遠い何処かに吹き飛ばされたりしたんだろ」


 しかし、失意にふけるアオナとは対照的に、経緯を聞いたコウマは生存を疑わない姿勢をより強固にしていた。


「でも、新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴ程度の規模の異界アナザーで、そんな急激な変異は起きることはないと専門家の方が……」

「専門家がいつでも正しいわけじゃない。大事なのは、自分がどう思うかじゃねえか?」

「……そうかもしれませんけど」

「ギンジさんは、俺の憧れだ。あんなに強くてカッコいい人は他にいない。だから、異界アナザーで何があろうと絶対に生きてるはずだ」

「や、やめてください! 父は……父は、もういないんです!」


 そのコウマの言動は、アオナにしてみれば時間をかけて受け入れた現実を今更になってかき乱す雑音のようなものだった。

 思わずアオナは声を張り上げて、コウマの言葉を遮る。


「……すいません。大きな声を出してしまって。……ともかく、今の社長は私です。父がスカウトしたといっても、私の返答は最初と変わりません。お引き取りください」


 そこで、アオナは自身が冷静さを欠いていたことに気付いた。

 それに謝罪は述べながらも、コウマの思いをむには互いの考えが相反そうはんしすぎている。

 アオナは改めて入社をこばむ旨を伝えると、コウマに背を向けた。


「……何で、アンタはこの会社の社長をやってるんだ?」


 そのアオナに、コウマは疑問をていする。


「もう死んだと思ってるのに、ギンジさんが帰ってくる場所を残そうとしてるのか?」

「……違います。この会社がこの場所にあることが、父の生きた証になると思っているからです。それを私は、守りたいだけです」


 それに、アオナは強い意志を感じさせる瞳で答えを述べる。

 かつて名をせた父親の姿が、この会社には深く刻まれている。

 だからこそ、父親と会社を重ね合わせて、世間から忘れられないようにアオナは身をけずっているのだろう。

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