新入社員①

 本日の競売が終了してから一時間ほど経ち、別室で契約を済ませたアオナはビルのエントランスにいた。

 競売の会場となったこのビルには、日本という国家の運営に関わる省庁しょうちょうをはじめ、異界アナザー管理局のようなその他の主要な組織が集まっている。

 その中身に相応ふさわしい体裁ていさいを示すためか、エントランスははなやかで上品な内装がほどこされている。


新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴか……思わず、反応しちゃったな」


 その一角に置かれた革張りのベンチに腰かけ、アオナは正式に自身の案件となった異界アナザーの名前を口にした。

 彼女の表情には依然いぜんとして影が差していて、望んでいた結果とは異なることが目に見える。


「無事に契約を終えられたようで何よりですよ、アマガミ社長。久々の案件でしたでしょうしね」

「……コガネイ部長」


 そのアオナの元に、コガネイが薄ら笑いを浮かべて近寄ってきた。

 今は春先のすずしい季節にも関わらず、そのひたいには汗がにじんでいる。

 身にまとういかにも高級そうなつやのあるスーツは、突き出た腹のせいで随分ずいぶんと張り詰めている。

 そんなコガネイの背後には、付き人らしき女性と護衛であろう大柄おおがらな男の二名がいた。


「しかし、未開部分のない異界アナザーの再調査に手を挙げるとは、アマガミ社長も奇特な方ですな。……それとも、少しでも異界アナザー管理局に顔を売りたかったということですかな?」

「そんなつもりは……ただ単純に、興味があっただけで……」

「なるほどですな。いや、しかし今回は中々に難しい競売でしたな。弊社も苦戦いたしました」


 皮肉から始まり、コガネイは話題を競売の結果に移す。

 しかし、節々ふしぶし傲慢ごうまんな性格が垣間かいま見えるコガネイが、わざわざ悪い出来事を口にするはずもない。


「落札できたのは、たったの八件ですよ。狙っていた案件も、二つほど他社に取られてしまいました。もちろん、これでも十分な利益は見込めますがね。会社のさらなる成長のためには、口惜しい部分があります」

「……そ、そうなんですね」


 見るからに辟易へきえきしているアオナに構わず、満足な結果をさも残念そうに話している。


「おっと、そうでした。八件ではなく、十二件でしたね。あまりに価格が安くて、四つほど落札したことを忘れておりました。確か、ナンバー436と……後は、何でしたかな?」


 それだけに留まらず、コガネイはアオナからさらった四つの案件をわざとらしく数に付け加えた。

 その神経を逆撫さかなでするような口振りに、さすがのアオナもわずかにまゆを上げる。


「えっと、すいません。緊張していたのか、あまり記憶になくて……」

「左様ですか。私の覚えている限りですと、弊社が入らなければ御社が落札できた状況だったはず……申し訳ないことをしました」

「あ、そうでしたか。そんな、御社が最高額を提示したんです。仕方ないですよ」


 しかし、コガネイの挑発ちょうはつに乗っても何ら意味はない。

 それを理解しているアオナは、あくまで冷静にルール通りの結果でしかないと言葉を返す。


「ご理解いただいているようで、安心いたしました。……それと、せっかくの機会ですのでもう少しお話しても?」

「……何でしょうか?」

「御社の土地の件についてです」


 それでも、コガネイが切り出したその件に対しては、アオナはすぐさま声を上げた。


「その、申し訳ございませんが、そのお話は以前にお断りしたはずです」

「そうおっしゃらずに。まだ経営の改善はしておられないでしょう?」

「それは……」

「そこで、弊社が御社のある土地を高値で引き取るという有意義なご提案をしているのです」

「……それでも、答えは変わりません! 失礼いたします」


 これまでに、何度か同じ打診だしんを受けているのだろう。

 しかし、アオナにそれを受け入れる意志はないようで、断りを入れると足早にコガネイの前から立ち去る。


「……いさぎよくおゆずりいただいた方が、賢明かと思いますよ」


 その背中にコガネイの意味深な台詞せりふがかけられるが、アオナは一瞥いちべつもくれずにそのままビルを出た。


「……どっと疲れた」


 ビルの外に出たアオナは、一度大きく息を吐いた。

 コガネイとの会話で、精神的にも肉体的にもかなり消耗しょうもうしたのだろう。

 顔には疲れが見え、足取りもなまりを引きずっているかのように重い。


「誰のせいで案件が取れずに経営が苦しいのか、わかってて言ってるよね……悔しいな」


 そのアオナが向かう先には、混沌こんとんとした街が広がっていた。

 増改築を繰り返したビルやアパートが林立りんりつし、その足元では端材はざいを組み合わせたような粗悪そあくな店舗がひしめき合っている。

 それらの隙間すきまうように走る路地は、当然ながらいびつで十分な幅も確保できていない。

 そのうえ、店舗から突き出した品台しなだいや放置されたゴミなどでさらに圧迫されている。

 そんな劣悪れつあくな環境でありながら路地を行き交う人影はあふれんばかりで、街は大いににぎわいを見せている。

 異界アナザーにより生活圏が大幅に失われた現代においては、こうした機能を無理矢理に集約したような街の形がスタンダードになっている。

 例にれず、アオナがいるこの街――カスミガセキも様々な変遷へんせんを経て今の姿になった。


「邪魔だよ、姉ちゃん!」

「……す、すいません」

「どこ見て歩いてんだよ!」

「ごめんなさい……」


 しかし、明らかに人口と街の容量とがつり合っていない。

 人がすれ違うのにも一苦労で、アオナは必死に身をちぢめて路地を進んでいる。


「着いた……」


 そうして、真新しいアパートのある角を曲がったところで、ようやく人気ひとけがなくなった。

 アオナは、そこからさらに奥に入った建物の前で足を止める。

 小高い三角屋根のとうを中央にした洋風の建物で、周囲と比較するとかなりの区域を取っている。

 玄関にはくすんだ矩形くけいのプレートが貼り付けられていて、『㈱日本異界アナザー探索社たんさくしゃ』と記されていた。


「えっと、鍵は……」

「あ、やっと帰ってきた」


 その扉の前でかぎを探し始めたアオナに、ひとつの声がかかった。

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