異界の競売②

「600って……高すぎるよ」


 その声が発した提示額を聞いて、アオナは勝利を察してほころんだ表情から一転して、悲しみの色を眉の間にみなぎらせる。


「……社名とお名前を」


 言動が示す通り、アオナにはそれを上回るだけの予算など持ち合わせてはいなかった。

 そのまま案件は落札され、タナカの問いかけに先程の粘っこい声が答える。


「コガネイ異界アナザー株式会社のフトシ・コガネイだ」


 声の主は、鷲鼻わしばなが特徴的な小太りの男性だった。


「はい。ナンバー436は、コガネイ異界アナザー株式会社様の落札となりました」

「ありがとうございます」


 コガネイと名乗ったその男性は、タナカの至極しごく当然な結果の通知にうやうやしく礼を述べる。

 そして、明らかにアオナの方を意識して、汗ばんだ顔に嫌らしい笑みを浮かべた。


「……コガネイ部長だ。いつもいつも、酷いよ……」


 そのコガネイと目が合ったアオナはすぐに視線をらすと、薄い桜色の唇をみ締める。

 こうしたコガネイによる介入は、初めてではないのだろう。

 それでも、あえて落札の寸前まで待ち、こちらを嘲笑あざわらうように横から案件をさらうやり方にいきどおりを覚えない方が可笑しい。


「……ダメだ、落ち着かないと。次を取れば大丈夫」


 アオナは波立なみだつ心を懸命けんめいに抑えて、何とか気持ちを切り替えた。

 そして、再び競売の様子と他社の動向の観察に意識を傾ける。


「――それでは、これが最後の案件となります。ナンバー490。開始価格は1億です」


 しかし、それからアオナは三度競売に参加したものの、案件の落札を果たすことはなかった。

 すべてにおいてコガネイの介入があり、まるで対抗できない金額が提示されたためだ。

 そうして本日最後となった案件に至っては、これまでで一番高い開始価格で文字通りけたが違った。


「1億5,000!」

「2億!」

「すごい額……」


 遥か高みで競い合う各社にアオナは呆然としながら、静かにその終わりを待つ。


「……それでは、本日の競売はこれで終了となります。ご参加ありがとうございました。落札した案件がある会社の担当者様につきましては、これから案内する別室で正式な契約を行っていただきます」


 そして、すべての案件について競売が終了した。

 タナカは手短な挨拶あいさつでその場を締めて、今後の事務対応について話を始める。


「今からですか? ……はい、承知いたしました」


 その時、壇上だんじょうで色々と補佐を行っていた女性が、タナカの背後で突然けわしい表情になった。

 どうやら耳につけたイヤホンに、何らかの予想だにしない指示があったようだ。


「課長、申し訳ございません。追加の案件です」

「追加? 次回では駄目なのか?」

「今から競売を行えと、局長からの指示です。紙面は間に合いませんので、口頭で必要な情報を伝えるようにとも指示がありました。詳細は――」


 それを聞き終えた女性はタナカの話をさえぎり、耳打ちで指示の詳細を伝える。


「……申し訳ございません。急遽きゅうきょ、追加の案件が入りました。これについて、競売を行いたく存じます。まずは、口頭になり大変恐縮ですが、案件の詳細をお伝えいたします」


 突然の出来事にタナカはいぶかしんではいたが、上長にあたるであろう局長の指示とあっては立場上従う他ない。

 帰り支度じたくを進めていた各社の担当者を呼び止めると、追加の案件について競売を行うと宣言した。


「対象となる異界アナザーは、新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴ。既に探索済みの異界アナザーですが、その全域についての再確認が目的となります。開始価格は70万です」


 しかし、タナカから開示された案件の内容に、皆一様に首をかしげている。

 異界アナザーの探索には、何より『新たな発見』が求められる。

 新種の動植物や特異な素材、未知の技術が詰め込まれた物品。

 それらが、人類の飛躍的な復興と繁栄のいしずえになっているからだ。

 裏を返せば、既に探索を終えて全容を明らかにした異界アナザーに、わざわざ人手をく価値はない。

 その認識は業界全体に浸透しているもので、ましてやそれが公的な案件として競売に出たことに全員が違和感を抱いているのだろう。


「……いないようですね。無理もありませんが」


 それは、競売を取り仕切っている側も同じようで、誰からも提示がない現状にタナカは理解を示している。


「仕方がない。この案件はより詳細を明らかにして次回に――」

「な、70!」


 そこで、一旦その案件を保留にしようとタナカが動いたところで、ひとつの提示があった。

 手を挙げていたのは、他でもないアオナだった。


「……それでは、社内とお名前を」

「えっと、株式会社日本異界アナザー探索社たんさくしゃのアマガミです」


 競合もなかったため、開始価格そのままで落札を果たしたアオナは、社名と自身の苗字を伝える。


「……日本異界アナザー探索社たんさくしゃって、あの?」

異探社いたんしゃって呼ばれてた、化け物揃いの会社だったよな?」

「潰れたと思ってた……まだあったんだ」


 その一言に、少しばかり周囲にざわめきが広がった。

 彼等は口々に、珍しいものを見たような驚きと困惑が入り混じった反応を示している。


「では、この案件は株式会社日本異界アナザー探索社たんさくしゃ様にお任せいたします。……それでは、落札された方については、これから契約を行います。別室に案内いたしますので、係員の指示に従ってください」


 それをよそに、アオナは荷物をまとめ始める。

 ただ、あれだけ所望していた案件の落札を果たしたにも関わらず、その表情に喜びの色は見当たらない。


新緑の岩窟ヴァージャ・ケイヴ、か……」


 アオナはかばんを肩にかけると、別室に移動するために席を立つ。

 その寸前にこぼした呟きには、くもりがかった彼女の胸中きょうちゅうを示すように、物憂ものうげな響きをはらんでいた。

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