2 倹約


「けっこう落ちてるね」

「今が拾い時なんだ。雨が降らなくてよかった」

 日曜日、私は兄と二人で銀杏を拾いに大学構内に入った。抜けるような青空の下に広い歩道が校舎まで続き、両側をイチョウの黄色が彩っている。

「子供の頃に戻ったみたい」

「よく二人で拾いに行かされたもんな。知美が木に登ったらやめさせろって言われてたんだぞ」

「やだ、そんなこと思い出さないで」

 今の兄は背が高く、身を屈めて拾うのが大変そうだが、表情は笑顔だ。

 ふと、美しい風景にそぐわない折り畳みテーブルや文字が書かれた看板などの残骸が道の端にあることに気付き、兄に尋ねると「あれは戦闘の跡だ」と返ってきた。兄が「戦闘」を良いものとして捉えているように聞こえ、わずかに恐怖を感じる。私はすぐに、人々のおぞましい思念が残っていそうな不気味な物体について考えるのをやめた。

「しかし今日は寒いな……夜はストーブ点けるか」

 コートの襟を立ててぶるりと身を震わせる兄がぼそりとつぶやく。空は快晴だが、風がとても冷たい。

「兄さん、今日はちくわ天にしない? 帰りにちくわと青のり買って帰ろう」

「ああ、母さんがたまに作ってたな」

「それから銀杏の素揚げ」

「楽しみだ。なら、たまには酒でも飲むか」

 兄は二十歳だというのに、普段は酒を飲まない。私はまだ十九だからというのもあり、「おまえも酒を飲むのはやめておけ」と言われる。

「珍しいわね」

「喫茶店で会うやつらが酒好きでね。そういう話を聞いていると飲みたくなるから」

 言い訳めいた言葉に、ふふっと笑いが漏れる。

「何がおかしいんだよ」

「別に何でもないよ」

「こら、別にじゃないだろ」

 明るい笑顔の兄の伸びた髪に、乾燥した北風が走り抜けた。


 ◇


 兄とともに食料品やカップ酒などを買って帰り、丈夫な布地でできているエプロンを手に取る。兄は窓の近くに古新聞を広げて、拾ってきた薄茶色の銀杏ぎんなんをばらばらと置いた。

「すごいにおいだったね」

「銀杏は集まると臭うんだよな。秋はあの道を通りたくないって人も多いよ」

「私は嫌いじゃないな、秋っぽくて。でも、服に匂いが付いていそうだから洗濯しなくちゃ」

「洗濯いるか?」

「いるわよ。柔軟剤ソフター買ってくれないかしら」

「それは贅沢だろう」

 以前から欲しいと思っていた洗濯用の柔軟剤ソフターをここぞとばかりにねだってみたが、兄からの返答はやはりかんばしくない。

「まあ、なくてもいいんだけど。使うと靴下のゴムが早くだめになるっていうしね」

「ああ」

 財布の紐を締めることの多い兄に買ってもらえないものは多いが、私はこれでいいと思っている。嫁としての値踏みのために十八歳という若さで働きに出されるより、穏やかな性格の兄と暮らしながら社会の色々な様相を見る方がいい。

 台所の堅い木の板が敷かれている冷たい床を綿の靴下の足で踏む。石油ストーブに灯油を入れ始めた兄の丸まった背中。灯油の匂いが狭い室内に散らばり、冬がもうすぐ来るのだと実感する。

 私はやかんに水を入れ、兄が給油を終えるのを待ってストーブの上に乗せた。

「もう点けておく?」

「いや、台所で火を使う時はいらないんじゃないか。少しは暖かくなるだろうから」

 下ごしらえもするからすぐに火を使うわけではないんだけど、と思ったが、私は口には出さず「そうね」とだけ答え、再び台所の蛇口をひねった。

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