第31話 対価

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「なるほど、そういうことか」

 その場に突っ立ったまま、黙って麻里子の話を聞いていた男は、胸のポケットから煙草を取り出して口に銜え、火を点けた。


「あの、この子達が私の願いを叶えてくれるって言うから・・・、でも私、こんなこと望んでいません」麻里子が必死に訴えた。

 しかし、男はそれには答えることなく、ふうっと紫色の煙を吐くと、独り言のように言う。

「まさか、君の通うあの学校の生徒に、陰陽師や祓い屋の女まで居たとはな。偶然か、いや、それとも・・・」


「私はただ、嘉納先輩に振り向いて欲しかっただけです。確かに私を出し抜いて、先輩と付き合うようになった髙野さんが憎いって思ったのは事実です。だけど、だからと言って、あんなことして欲しいなんて頼んでいません」


「だとしても、あの子を幽界へ追い祓ってしまうなんて、許せん。――なあ、君もそう思うだろう?」

 麻里子の言葉を聞いているのかいないのか、やはり男はまともに彼女の訴えに応えようとはしない。


「私はただ、高野さんと嘉納先輩が別れればいいって思っただけで、なのに、あんな酷いことをするなんて」

「だけどそのお陰で…、あの子たちのお陰で、結果としてその二人は別れたんじゃないのかい?」

 男は、今度は麻里子の言葉に答えるように、しかも端的に核心を突いてきた。


「そ、それはそうかもしれません…」その言葉に一瞬麻里子が怯んだ。


「言ったはずだよ、それなりに対価は必要だと」男の目が鋭く光った。

「対価って。まさか」

「そう、血だよ」こともなく言ってのけた。


「血…」

「あの子たちが大きくなるには人間の、正確には人間の女の血が必要なんだ」


「あげました、私。私の血を。なのに、他の人の血まで欲しがって、やめてって言ったのに、何人も…」

「そりゃそうさ、そんなもんじゃ足りやしない。それに、普通の女の血じゃだめなのさ」

「そんな、普通じゃだめって・・・。どういうことですか?」


「そう、君のように、あの子たちの姿が見える女の血だよ」

 男はもう一度煙草を吸うと、煙を吐きながら続けた。


「知ってるかい? 妖怪ってのは、人間に認識されて初めて存在することができるって。君はあの時、初めて会ったあの時、はなからこの子達の姿が見えていたね?」


「はい…」

「その時から、君にとってはこの子達は実際に実態を持つ、ほんとうにこの世に実在する存在になったのさ」

「どういうことですか?」理解できない、といった色が麻里子の表情に浮かんだ。


「この子達を認識できない人間には、この子達の姿は見えないし、存在もしてしない。だから、たとえこの子達が何をしても、ただ強い風が吹いたとか、何かの自然現象で着ている服が裂けたり、怪我をしたりしたとしか思わないわけだ。そういう人間の血は、この子達にとってはあまりおいしいもんじゃないらしい。だからこの子達がもし口をきけたら、きっと、そんなのマズくて、飲めたもんじゃないって言うだろうね」

 銜えたばこで笑いながら腕に載せた黒い獣を優しく撫でている。


「それじゃ…」

「君の周りで、何人か出血多量で病院に担ぎ込まれた人はいなかったかい? もっとも正確には出血じゃないんだけどね」

 麻里子の顔色が変わった。

「それじゃあの人たちには、この子達が見えていた?」


「やはりいたんだね。そう、自分のことを認識してくれる女の血でなければ、この子達の栄養にはならないんだよ」

「だから狙われた。――私が望んでもいない人を襲ったのは…」

「そういうことだ」

「そんな、ひどい! 何の関係もない人を!!」麻里子の目に怒りの感情が閃いた。


「何度も言わせるな! 最初に言ったはずだ、対価は必要だと。それでも君は、この子達を欲しがった!!」手にした煙草を投げ捨て、男の声がひと際大きくなった。

「そんな…」

 麻里子は唇を噛んで下を向く。ぷるぷると小さく身体が震えている。


「もう、私には無理です。この子を、この子をお返しします」消え入るような声で言った。

「ほう。それで、君はこの子に対価を払ったのかな?」

「対価って…」驚いて麻里子が顔を上げた。


「君の代わりに対価を払ったのは、その襲われた女の子たちじゃないのかい? 君は何を対価として払ったと言うんだい?」

「そ、それは。私も血を、血をあげました。この子たちに何度も何度も…」

 麻里子は制服の袖を捲くって、巻かれた白い包帯を見せる。スカートを少したくし上げ、黒のニーハイソックスを下げ、腿や脚にも包帯が巻かれているのを男に示すように見せた。


 しかし、男は彼女の様子を一瞥しただけで、

「ふうん、そうかい。でも、その程度じゃあ全然足りないねえ。おまけにこの子の弟を祓い屋に祓われてしまうなんて。その不始末、どう責任を取ってくれるつもりだい?」と、事も無げに言った。


「責任?」

「ああ、そうだ」

「責任って、どういう…」

「それに、この子達のお母さんも、とっても悲しんでいるよ。なにせかわいい我が子に先立たれてしまったんだからね」


 そう言った瞬間、いきなり突風が吹いた。思わず両腕で風を避けて顔を背けた。

 すぐに風が止んで、ゆっくり顔を上げる。


「ひっ!」麻里子が息を呑んだ。


 大きなどす黒い塊が、さらに一段と大きな黒い大気の渦を身に纏い、宙に浮かんでいる。

 気が付くと、周囲が薄暗くなっている。日没にはまだ時間があるはずだ。


――これは、さっきと同じ。・・・結界


 しかし、さっきとは違い、今度はすでに自分もこの結界の中に、しっかりと取り込まれていしまっていることに、麻里子はすぐに気が付いた。

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