第25話 いるはずのないバケモノ
25
黒子先輩と橋野先輩は山田先生との交渉の結果、この連休明けに生徒の顔写真の一覧を見せてもらう約束をなんとか取り付けた。
最初は個人情報に該当するものということで、手もなく断られたが、先輩達は学校の平和や生徒の安全のために、どうしてもそれが必要と熱心に事情を説明した。
それでもやはり渋っていた山田先生だが、トデン研の部活動の特殊性を考慮して、先生立会いのもとでなら、とようやくOKしてくれた。
もっとも山田先生、妖怪云々の話は半信半疑、と言うよりほとんど信用していない様子ではあったが。
まあ交渉している橋野先輩からして、見えていないのだから無理もない。人によって見えたり見えなかったりするという物の怪の不確実性ゆえに、そこは仕方のない話だろう。
かく言う俺も、ついこの間まで物の怪なんぞというものの存在を、これっぽっちも信用していなかったのだから。
その後、黒子先輩と美穂は着替えもせずに、待たせてあった神社の車ですぐに帰ってしまった。
橋野先輩は「ああ、疲れたぁ…」と言いながら、ジャージのまま自転車に乗って引き上げて行った。
山田先生も今日の後始末があるとかで、職員室に戻って行った。
造園業者の人たちは、今日の作業を終えて皆帰ってしまい、中庭には今誰もいない。
さっきのさわこからのLINEに『学校の中庭にいる』と返信したら、『すぐ行く』と間髪入れずに返って来たのだが、その後は電源を切ってしまったのか、何度連絡しても返事がない。
そうなると、制服に着替えたものの、帰るに帰れなくなった俺は、仕方なく真新しくなったベンチに座り、あいつが来るのを待つことにした。
そう言えば、宜野湾冴子の話によると、物の怪が見えるという今の俺の能力も、一時的なものであるらしい。
それはさわこの能力、というか見える人から受け継ぐことによって生じるものだという。
基本は遺伝だというから、黒子先輩や美穂の場合はそうなのだろう。
しかし今回の俺の場合、たまたま俺の使っていたパフェのスプーンをさわこが使い、それをまた俺が使ったことによって、俺にも物の怪が見えるようになっただけらしい。
――でもなぁ、もののけが見えなくなったから、さわこにキスさせろ、とか言ったら、即座に張っ倒されるだろうしなぁ。そうかと言ってお前が使った箸やスプーンを貸してくれ、とか言って
はてさてさてどうしたもんか…、などと考えていると、
「野原くん!」
後ろから呼ばれて振り返った。
「会長」
制服姿に戻った岸野会長が立っていた。
「まだいたんだ」
「会長こそ…」
「女の子の着替えはねぇ、時間が掛かるのだよ、野原一樹君!」
前髪をいじりながら冗談ぽく言う。その仕草と笑顔がとても可愛らしい。
「そ、そうですか」
「まだ帰らないの?」そのまま隣に廻って来て座った。
「ああ、え~と、まあちょっと…」何となくさわこを待っているとは言い難くて、口ごもってしまった。
「でも、今日は久しぶりに野原くんとお話できてよかった」
そう言って俺の方を見た。
「もしかしたら、もう会えないかもしれないと思っていたし」
「まさか、そんな…」
「ほんとよ。両親が離婚しなければ、当分日本には帰って来ない予定だったし」
「そうだったんですか」
「だから、新学期が始まってしばらくして、校内で野原くんを見かけた時、心臓が止まるかと思った」
「ハハ・・・、いるはずのないバケモノがいたからですか」
「また自分のことそんなふうに言って…」
ちょっと怒ったような顔で口を尖らせる。
「奇跡が起きたって思った。まさか野原くんがこの学校に入学してくるなんて」
「またまた大袈裟ですよ。でも冗談でもそんなふうに言ってくれて嬉しいです」
なんだかこちらが照れくさくなってしまった。
「でも、見た目だけじゃなく、なんか雰囲気変わりましたよね、安藤さん、・・・ああ、いや岸野さん」
「そう? 少しは野原くん好みの女性になれたかな?」にっこりと笑った。
「べ、別にそういう意味では…」
――いやいや、そんなおこがましいこと思ってませんて!
「そうね。あの頃の私は、自分が正しいと思ったら、周りのことも考えず、どんどん突き進んじゃうような感じだった。いつもツンツンしていて、人がどう思おうが関係ない、って。――そりゃ敵も増えるよね」
真っすぐ前を向いて、空を見上げるようにして言う。
「だけど、しばらく外国で暮らしてみて、いろんな人を見て、考え方が変わった。自分の主張を理解してもらうためには、他の人のことも、相手のこともよく考えて、理解しなきゃ、やっぱりダメだって」
「なるほど…」
陽が少し西に傾いてきた。
夕方になって気温が下がってきたらしく、この中庭を吹き抜ける風も心地良くなってきた。
・・・なるほど、あれからもきっといろいろなことがあったんだろうな、そしてその度にそれを乗り越えてこの人は成長し、そして今の彼女がいる。
それにくらべ俺は…。相も変わらず、人との関りを避けて生きることばかり考えてきた。そう思ったら、なんだか自分が情けなくなってきた。
ふと、隣にいる彼女の方に視線がいく。
顔を上げ、ぼんやりと遠くを見つめる岸野亜弥の横顔が、その時とても美しく見えた。
生徒玄関の重たいドアを勢いよく押し開け、誰かがこちらに向って駆け寄って来る。
「ごめんね、野原くん! 途中でスマホの充電がなくなっちゃって・・・」
ここへ来るまでにもずっと走ってきたのだろうか、息を切らしたさわこが、俺たちの座るベンチの前まで一気に駆けて来て顔を上げた。
その途端、俺の隣に岸野会長がいるのに気付き、一瞬言葉を詰まらせた。
「きしの、会長。なんで…」さわこの表情がさっと曇った。
俺は慌てて立ち上がり、
「会長、今日の作業をわざわざ手伝いに来てくれたんだよ。俺一人じゃ大変だろうって」と説明した。
「そう…、なんだ」
しかし、状況がよく掴めないさわこは、なにか戸惑ったような顔をしている。
「そっか、野原くん、中臣さんを待ってたんだ」そう言って、岸野会長がゆっくり立ち上がった。
「ああ、なんかこいつが急に来るとか言うから、作業ならもう終わったぞって連絡したんだけど、何度送っても既読が付かなくて。そうか、バッテリー切れだったのか」
別に何か悪いことをしたわけでもないのに、自分でもびっくりするくらいおどおどして取り繕うように言った。
「そう、二人きりで仲良くやってたんだ」なにやら沈んだ声で言う。
「いやいや、会長だけじゃないぞ、今日はトデン研のみんなも来て手伝ってくれて、まあ、もうみんな帰っちゃったけどさ」
――ああもう、なんで俺はさっきからこの二人に対して、こんな言い訳がましいことばっか言ってんだよ!
「あの、中臣さん、あなたと野原くんって、どういう関係ですか?」
「どういうって…。それは…」不意を突かれたさわこが言い澱む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます