第6話 はじまり

  6


――見てしまった。先輩とあの子が…。

 あんな子に先輩をられてしまうなんて、そんなの有り得ない。

 どうして、なんで先輩はあの子を選んだの…


 何度も何度も、深山みやま麻里子はそう考えずにはいられない。

 そうして、そのまま部活の練習が終わって、誰もいないグランドに一人で立ち尽くした。



 夕暮れ時に、なにやら鋭い風が不意に吹き抜ける。

 小さな渦が二つ、目の前を通り過ぎた。

――鳥?


 夕陽の中に何かの影が見えた。

――人? 


 影がゆっくりと動いて両手を広げる。

 二つの渦がその手に留まって風がやんだ。


――誰? どうしてこんなところに


 影が振り返って、こちらを見ている。

 次第にあらわになってきた男の顔には、なにやら嫌らしい笑みが浮かんでいた。


「これが気になるのかい?」

 両の手のひらに載せた小鳥にちらりと視線を落とし、目の前に差し出した。


 男の問いに、麻里子がこくりと頷く。


「君は、何か悩んでいるんだね?」

 驚いてもう一度男の顔を見た。

「えっ? 私、悩みなんかありません」つい嘘をついた。


 その男は緩くウェイブの掛かったばさついた髪に、上下グレーの作業着を着ている。

 二十代後半くらいに見えた。


「嘘をついてもわかる。これでも俺には特殊な能力があるんだ。だから、見ればわかる」

 そう言って今度は男の方がまるで値踏みでもするように麻里子の顔を見た。


「そうか、誰か、憎んでいる相手がいるんだね?」

「そんなこと…」言い当てた男の言葉に困惑して思わず視線を逸らした。


「隠さなくてもいい。人間、誰でもそんな奴の一人や二人いるもんさ」口辺を上げ、にやりと笑う。

そうしてゆっくりと男が両手を上に差し上げた。

 掌の中に黒い毛玉のような、生き物の姿があった。


キュィー、キィ、キィ


 小さな声がして、黒い毛玉がこちらに向って首を擡げた。小さな目玉が薄暮に赤く輝いている。今まで小鳥だとばかり思っていたその生き物に翼はなく、よく見るとまるでネズミのような顔をしていた。


「これはねぇ、希望だ」

 男がそう言った瞬間、黒い毛玉が二つ、渦を巻いて宙に浮かんだ。周囲に再び鋭い風が起こった。


「やっ、なに⁉」麻里子が両手で風を遮るようにして顔を背けた。


「怖がらなくていい。この子たちは君の願いをきっと叶えてくれるよ」優しい言葉とは裏腹に、男が鋭い目つきに変わった。

「そうだ、この子たちを君にあげよう」


「・・・ほんとに? 私の願いを…」少々怯えながら麻里子が言う。


「ああ、ほんとうさ。――ただし、それなりに対価は必要だけどね」




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