第16話 獣の正体

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「犯人がもし、あのもののけたちだとすると、問題はなぜ人を襲うのかということだね」

 ベンチに座った黒子くろす先輩が、前かがみで両手を組んで顎を載せた。


「襲われたのは、全員女子ですよね。その辺に何か鍵があるのかも」

 さわこが言うと

「しかも、私たちが聞き込をした被害者は、四人ともみんなとても美人だったわ」と美穂が応じた。

「美人の女子生徒ばかり襲う、変態妖怪…」

 二人、同時に俺の方を見た。


「おい、こらお前ら。なんで俺の方見てんだ」

「別に~」

 俺とさわこが『美女と妖怪』と噂されていることを思い出したのか、おかしそうに美穂が言う。

「誰もケタロウ君くんみたい、だなんて言ってないよ」言いながらさわこもニヤニヤしている。

「ふんっ、そんなのもうほとんど言ってるようなもんだろ。まったく失礼な奴らだ」

 確かに妖怪のような、化け物じみた能力を持っていることは否定しないが、変態は余計だろう。こんな俺だって女の子二人にそう言われちゃあ、傷つくっての。


 黒子先輩も橋野先輩も、俺とさわこが『美女と妖怪』と言われているという噂は知っているようで、苦笑している。


「まあ、それはともかく、あのもののけ達が犯人だとして、その狙いはなんだろう。被害にあった人達は皆、制服の一部を切り裂かれている。それはブレザーの袖だったり、背中だったり、スカートだったり」

「そう言えば、制服が裂けたあとは、まるでカッターナイフか何かで切られたような鋭い傷跡だったって」思い出すように美穂が言った。


「けど、身体的に傷つけられた人はいない。これは偶然かな。僕らが話を聞けた二人は、一様に運が良かったと言っていた。一つ間違えば手足や身体の一部が傷つけられていてもおかしくなかったのに」

 不意に黒子先輩が立ち上がって振り向いた。


「あんな獣のようなやつらが、わざわざ人を傷つけないように気をつけて襲ったりするもんだろうか?」


「あの、関係あるかどうかわからないですけど」

 橋野先輩は手帳を開き、パラパラと数ページ捲った。

「被害者の中には、身体には切られた傷はなかったけど、服を切られた近くに、細いみみず腫れのような線が数センチ十字に残っていて、しばらくそこが蚊に刺されたようなかゆみを感じた、と言っている人が何人か」


「蚊に刺されたようなかゆみ…。一体なにかしら?」初耳だというように、さわこが橋野先輩を見上げた。

「さあ、そこまでは」先輩が頭を掻く。

 しばらく沈黙が流れた。



 俄かに大気の渦巻く気配がする。

 

 微かに風が吹いてきた。思わず俺はその方向を見遣る。渡り廊下の終わり。校舎の入り口の頑丈なガラス戸の前。


 驚いたことに、そこにはさっき生徒玄関で見た、あの女子生徒が立っていた。

 以前から俺が見知った顔ではないが、間違いない。さっきの女だ。けれど、彼女の頭上、その左右の空気だけが何かおかしい。

 そこだけ、微かに渦を巻いているように見える。


「あれは…」

 黒子先輩も異変に気が付いたようだ。さわこは…。

 さわこは蒼ざめた顔で、やはり向こうの彼女の、頭上の渦の中を見つめている。


「誰? あの人」

 美穂も彼女の存在には気が付いたようだが、しかしその上の空気の渦、小さな竜巻の中身には気が付いていない。


 橋野先輩には、もとよりあの彼女の姿以外は何も見えていない。


 急に辺りが薄暗くなってきた。何だかまるで、日蝕でも始まったかのようだ。


――何が どうなってる⁉


 左右を見回すと、何やら俺たちのいるこの辺りだけが、周囲の世界から切り離されたような静寂に包まれている。

 目の前にある校内の風景に変わりはないのに、いつの間にか放課後の部活の喧噪は消え、なにやら見えないとばりで、こちら側の世界とあちら側の世界が遮断されたような気配を感じる。


 俺とさわこ、黒子先輩と美穂。

 目の前には静かに渦巻く二個の竜巻。中には不気味な大きな鼠のような黒い獣。その下方に謎の女子生徒。

 なぜだかいつの間にか、橋野先輩の姿はない。


「結界を張ったか」

 美穂を自分の背後に隠すようにして、黒子先輩が口を真一文字に結ぶ。

めぐむ⁉」美穂が感激した面持ちで先輩の背にしがみつくように隠れた。


 さわこは呆然として顔面蒼白。俺の隣で立ち尽くしている。


――コイツ、大丈夫か…


「中臣さん、大丈夫ですか? 祓えますか、奴ら」


――なぬ⁉


 黒子先輩は二つのつむじ風をじっと見つめたまま動かない。当然、こちらを見てはいない。


「は、はい、いけます…」俯いて小さく震えながら、下を向いたまま答える。

「ば、バカ!」横にいるさわこを見て思わず叫んでしまった。

 なんで言わない。私には祓えない、と。


 けれど、これが祖母である宜野湾冴子のような「もののけハンター」を目指すという彼女の、精一杯の矜持…。いやもう、これ、虚勢だろ?

 ・・・と、言って、ならどうする? 俺が戦うか? だけど、ここでみんなに俺の超能力のことを知られるのは・・・


 しかし、考える間もなく、二匹の渦はつむじ風となって、不気味な風の唸りと共にこちらに近づいて来た。そうして俺たち二人と黒子先輩たち。それぞれの頭上でこちらの隙を伺うように渦巻く風を纏ってくうを駆ける。


「キィー、キー、キー」

 真っ黒で毛むくじゃらな姿の物の怪が、さわこの頭上で白い牙を剥き出し、気味の悪い鳴き声をあげた。

「いや、怖い!」それを聞いたさわこが両手で頭を押えてしゃがみ込みこむ。


「ダメです、先輩! さわこのヤツ、また具合が悪くなったみたいで!」

 大声で怒鳴った俺の様子に、驚いたようにさわこが目をみはった。 

「何を言うの、野原くん、だぃ、大丈夫よ…」弱々しく俺の左腕を掴んで見上げる。

「うるさい、お前は黙ってろ!」

 

「二人とも大丈夫かい!」

 黒子先輩がこちらを見て、片膝を着いて座り込んでいるさわこの様子に気が付いた。

「待って、今行く!」


「だめっ、恵! イヤよ、置いていかないで!!」

 俺たち二人の様子に、助けに飛び出そうとした黒子先輩の腕を、美穂が掴んで引き止めた。


「美穂。わかった、大丈夫。置いてなんか行かないよ」

 そう言って優しく笑うと、真剣な顔に戻って、呪文と共に印を組む。


「闘・者・在・前! ――出でよ、が式!」


 呪文と同時に唸り声を上げ、二頭の獅子が姿を現した。黒子と美穂の左右に陣取り、すぐに上を見上げて身構える。


「アーちゃん! ウンちゃん! 来てくれたんだ!!」

 黒子の召喚した二頭の式神、狛犬の阿吽あうんの姿を見て、嬉しそうに美穂が叫んだ。


 その時、こちらの隙を伺っていた、二匹のつむじ風が二手に分かれ、急降下してきた。

 俺は背後にさわこを庇うようにして身構え、左右を見回し、何かサイコキネシスで動かして、奴らにぶつけて攻撃できる物がないか探した。

 ・・・が、

――なんもねえ~~



「阿・吽! 奴らを止めろ!」

 縦に構えていた左手を軽く振り、妖怪たちを指し示して、黒子先輩が式神たちに命じた。


 一声吠え、二頭の獅子は同時に地を蹴って駆け出した。

 一頭はすぐ真上の、もう一頭は俺たちの頭上にいるつむじ風に向って高く跳び掛かった。


 阿・吽が大きく口を開け、その牙で獲物を捕らようとした瞬間、二匹の妖怪はつむじ風の中から飛び出して攻撃をかわすと、本来の姿を現した。


 地に降り立ったそれは、ハリネズミのような、鋭く尖った黒い毛に全身覆われ、前脚はまるで鎌のような刃物で出来ている異様な姿だった。


 二頭の獅子はグルルルルと唸りながら、じりじりと近づいて行く。


 阿・吽が素早く身を躍らせ二匹の妖怪に飛び掛かった。弾かれたようにそれを避け、二匹の黒い塊は渦を巻いて舞い上がる。

 四つの獣は宙を舞い、擦れ違いざまに阿・吽は幾度も攻撃を仕掛けるが、妖怪たちが身に纏ったつむじ風に阻まれて届かない。


 何度か繰り返した後、再び地に降りたどす黒い二匹の妖怪は、姿勢を低くした。そうして鎌のような前脚を交差させ、こすり合わせるように前に払った。

 シャリーンという音とともに、一瞬光ったと思うと、強烈な空気の振動を感じた。


 次の瞬間、目には見えない鋭い大気のやいばが阿・吽の横腹を十文字に切り裂いた。鮮血が辺りに飛び散る。

 苦しげに吠えると、二頭の獅子はガクリと地面に脚を着く。


「まずい。散!」

 黒子先輩が唱えると、たちまち阿・吽は消滅した。


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