第15話 風の中の獣 

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めぐむ!」

 体育館の方から中庭を横切り、校舎へと向かうレンガ敷の通路を、こちらに向って走って来る黒子くろすとさわこの姿を見つけると、美穂はすぐに二人に駆け寄った。

「美穂、こっちに何か来なかったかい?」言いながら黒子は素早く周囲を見回す。

「なにかって?」

「何か、小さな獣のような、妖怪…。お前なら、姿は見えなくても、気配くらいは感じたんじゃないか?」

「さあ、特に何も感じなかったけど。こっちには来なかったんじゃない」


「妖怪だって⁉ 黒子君、何か見えたんですか?」

「うん、チラッとだけど、見えた。――ねえ、中臣さん?」

 振り返った黒子がさわこに問い掛ける。

「ええ、そう…。何か、いた」小さな声で答えたさわこの顔が、少々青白い。


「なんだって! そりゃ本当かい?」興奮気味に身を乗り出して橋野が叫ぶ。


 警戒するように美穂が辺りを見回した。

「それで、そいつは今、どこに居るの?」

「わからない。急いで追い掛けたんだけど、この辺で見失った。途中で中臣さんの気分が悪くなってしまって…」

 黒子が自分の近くで下を向いて黙っているさわこを見遣った。


「そうかぁ〜。で、それはどんなヤツだったんだい? そいつが切り裂き魔事件の犯人なのかい、ねえ、黒子君?」橋野が矢継ぎ早に質問する。


「ああ、いや、まだそこまではわからないよ。あいつらが今度の事件に関係があるのかどうか…。ただ奴らに、あまり良くないを感じたことは事実だけど」

「そうか、それで中臣さんもそいつらの悪いにあてられたんだね」

 さわこは何も言わず、少し震えながら下を向いている。



 生徒玄関でこちらの様子を窺っていた不審な女子生徒を見掛け、その後を追い掛けた俺は、少し遅れてこの場に到着した。

 なんだか知らないが、煉瓦敷きの通路の途中にトデン研の皆が集まっている。


「どうかしたんですか?」

 ようやく追いついた俺は、目の前の三人に声を掛けた。しかし盛り上がる話に、三人は俺のことなど全く視界に入っていないようだ。返事もしない。

 傍ではさわこは何やら苦しそうに下を向いたままだ。


――なんなんだ、この状況。どうなってんの?


 三人の会話の端々から、どうやら黒子先輩とさわこが妖怪に遭遇したらしいことだけはわかった。


「野原くん、ちょっと」さわこが急に俺の制服の左袖を引っ張り、渡り廊下の少し離れた場所に設置されたベンチの脇に連れて行った。


「な、なんだよ?」

「野原くん、一体今までどこ行ってたの?」少しムッとした表情で詰問する。

「どこって、橋野先輩たちと一緒に被害者たちの聞き込みに…」

「助手のくせに何やってんの。私と離れて勝手に単独行動をとるなんて!」

「いやいやいや、元々最初から二手に分かれようって話だっただろう。みんなで決めて。お前だって何も言わなかったじゃないか」

「おかげで私がどんなに怖い目にあったと思ってるの?」

 俺の説明に耳を貸すことはなく、見るとさわこは眼に薄っすらと涙を浮かべている。


「何か、見たのか?」

「もののけ…」ぽつりと、なにやらさも恐ろしいモノでも思い出すかのように言った。

「ほんとうに? こんな真っ昼間に、人気ひとけの多い学校なんかで?」

「もう、ほんっとに怖かったんだからね。私、怖いの苦手だって言ったでしょう」そう言ってストンっとベンチに腰を下ろした。


――ああ~、そうだった。コイツ、「もののけハンター」などと言いながら、妖怪が怖いんだった


「だめじゃない。ずっと、私のそばで…」

 さわこは眼を潤ませ、甘えるような上目遣いで俺を見た。

「私のこと、守ってくれなきゃ…」

 今度は少し拗ねたように横を向き、キュッと結んだ口を尖らせた。


「えっ? あっ、うん。その……。――なんか、ごめん」

――な、なんだ、その顔は… 

 なぜだろう? それを見たら、いきなり胸が締め付けられるようで、なんだかこちらがもの凄く悪いことをしたような気分になってしまった。


「そ、それでどんなヤツだった?」

「なんか、こんな猫くらいの大きさの動物みたいなヤツが二匹…」両手を広げて大きさを示す。

「ほう。こないだみたいな人型じゃないんだな」


「大丈夫? 中臣さん。まだ気分悪い?」

 さわこがベンチに座っているのを見て、心配した黒子先輩が声を掛けた。あとの二人もこちらにやって来た。

「はい。大丈夫です、先輩。ありがとうございます」さわこが微笑んで答えた。

「そう、よかった」長身の黒子先輩が身を屈め、さわこの顔を覗き込むようにして言った。


「妖怪の気にあてられるとか、もののけハンターだとか言ってもその程度なんだ。あんたもそんな大したことないわねぇ」

 さわこを気遣う黒子先輩の態度が気に入らないのか、美穂が嘲るように言うので、調子に乗って俺もつい余計なことを言ってしまった。


「ああ、実はコイツ、なんだかんだ言って、妖怪が怖いんだ…」と笑いながら言いかけた俺の股間を、立ち上がった勢いで、さわこがいきなり膝で蹴った。


「あうっ!!」

 蹴られた股間を押え、そのままその場にうずくまった。


「そんなこと、あるわけないでしょう!!!」


「お前・なぁ~~、何・しやがんだ!」

 息が出来ず、切れ切れに言いながらさわこを見た。

 ――クソ~~、さっきのあの可愛らしい態度はなんだったんだよ~⁉


「突然何を言い出すかと思ったら、助手のくせに生意気なのよ、ケタロウくん!」

 どうやらさわこは、よっぽど自分が怖がりだという事実を皆に知られたくないようだ。


「今度ヘンなこと言ったら、これくらいじゃ済まないからね、わかった?」両手を腰にあて、俺を見下ろし、微笑む。

「イッテテテ…」

――チクショウ~~、このポンコツバカ女が!


 さわこの突然の剣幕に、呆気にとられた黒子と橋野はポカンとしている。


「お、驚いた。中臣さんって、霊力があるだけでなく、蹴りがもの凄く強いんだねぇ」

 いかにも感心したように、橋野先輩が引きつった顔で訳のわからないことを言う。


「や、やっぱり僕の目に狂いはなかった。いやあ、今の膝蹴り、流石はあの宜野湾冴子のお孫さんだ!」

 黒子先輩もしきりに感心する。こちらも何を言ってるのか、さっぱりわからない。


 二人とも見てはならない、物の怪以上に恐ろしいものでも見てしまったかのような顔をしている。

――訳わかんね、二人とも一体何に感心してんだよ…


 美穂は近くにしゃがんで、その場にまだ座り込んだままの俺を見て「情けな。アンタって、やっぱサイテイね」と言った。 



 ベンチの左端にさわこが再度腰掛けると、黒子部長がその隣、そのまた隣に仲代美穂が座った。橋野先輩は美穂の隣に立っている。

 ちょうど皆が集まったので、そのまま黒子先輩がさっきの妖怪の件を話し出した。


「あれは僕と中臣さんが担当した被害者、ちょうど三人目の人に聞き込みに向かう途中だった。その人は女テニの二年で、今テニスコートにいるというので、校舎からそちらに向おうとしていた時だ。不意にテニスコートの反対側の、グランドの方から、とても小さなつむじ風のようなものが二つ、飛んで来たんだ」

「つむじ風?」美穂は一瞬眉を寄せたが、黙って続きを促した。


「ああ、見た目はほんとに小さな竜巻のような感じだった。だけど驚いてよく見ると、その渦の中には、獣のようなものが…」

「あれは、もののけ…」とさわこがつぶやく。


「他の人には見えなかったみたいけど、僕と中臣さんには、つむじ風の中の小さな獣のような妖怪の姿が、確かに見えた。しばらくすると宙を舞っていたつむじ風がやんで、二匹の獣が地面に下りて走って逃げたんで、慌ててここまで追い掛けて来たってわけさ」


「つむじ風。小さな竜巻。それって、偶然じゃないですよね?」と俺が言うと、

「たぶん」黒子先輩が真剣な顔で答えた。


「僕たちが聞き込みをした被害者の人たちは皆、被害にあった時、決まってつむじ風が吹いたとか、強い風に襲われたとか証言していました」橋野先輩が言う。


「こっちも話を聞けた二人は、やはり同じことを言っていたよ」

「恵、それってつまり、この切り裂き魔の事件は、その獣のような妖怪のしわざ、ってこと?」

「うん。まだわからないけど、恐らく何らかの関係はあるんじゃないかな」

 険しい表情で黒子先輩が頷いた。

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