第2章:冥府の迷宮

 麗子の意識が再び明瞭になったとき、周囲の風景は一変していた。霧は晴れ、代わりに幻想的な光景が広がっていた。


 足元には六色の光の道が蛇行し、頭上には無数の星が瞬いている。遠くには、巨大な花が咲いているような奇妙な山々が連なっていた。


「ここが……冥府?」


 麗子は息を呑んだ。その美しさは、現世のどんな景色よりも圧倒的だった。


「そう、ここが冥府よ」


 紫乃の声が背後から聞こえる。振り向くと、紫乃は淡く光る着物を纏っていた。その姿は幽玄で、まるで浮世絵から抜け出してきたかのようだ。


「ここでは、あなたの過去や後悔が具現化するわ。それらと向き合い、乗り越えていかなければならない」


 紫乃の言葉に、麗子は不安を覚えた。自分の過去……それは必ずしも美しいものばかりではない。


 二人は歩き始めた。道は次第に狭くなり、両脇には色とりどりの花が咲き乱れていた。その花々は、麗子が通り過ぎるたびに、かすかに囁くように揺れる。


「あれは……」


 麗子は足を止めた。目の前に、巨大な鏡が立っていた。その中に映るのは、過去の自分たち。学生時代の麗子と紫乃が、図書館の片隅でこっそりキスを交わしている。


「懐かしいわね」


 紫乃が微笑む。麗子は顔を赤らめた。


「ここには、私たちの思い出が全て残っているのよ」


 紫乃の言葉に、麗子は戸惑いを覚えた。全て、というのは……。


 次の鏡に映し出されたのは、より刺激的な光景だった。紫乃のアパートで、二人が激しく愛し合う姿。麗子は思わず目を逸らした。


「恥ずかしがることはないわ。これも私たちの大切な記憶なのよ」


 紫乃が麗子の肩に手を置く。その温もりに、麗子は少し落ち着きを取り戻した。


 歩みを進めるにつれ、様々な記憶が鏡に映し出される。楽しかった思い出も、辛かった経験も、全てが鮮明に蘇ってくる。


 ふと、麗子は気づいた。これらの記憶の中に、紫乃以外の人物も映っていることを。


「あれは……葵?」


 鏡に映る葵の姿。麗子の幼なじみで、密かに想いを寄せていた相手。葵との思い出が、紫乃との記憶と交錯する。


「そう、葵もあなたにとって大切な人なのね」


 紫乃の声に、かすかな寂しさが混じっているように感じた。


 麗子は葛藤を覚えた。紫乃への愛、そして葵への未知の可能性。二つの感情が、麗子の中で渦を巻く。


「麗子、あなたは選択をしなければならないわ」


 紫乃の声が、突如として厳しくなる。


「現世への執着を捨てられないのなら、あたしに執着させてあげる」


 そう言うと、紫乃は麗子を強く抱きしめた。その力に、麗子は抵抗する術もなかった。


 紫乃の唇が麗子の首筋に触れる。その感触に、麗子は震えた。紫乃の手が麗子の体を這い、衣服の隙間に滑り込む。


 麗子の喉から漏れる声が、次第に甘い吐息へと変わっていった。紫乃の指先が麗子の肌を這う感触は、生前よりも鮮明で強烈だった。それは単なる肉体的な刺激ではなく、魂そのものを震わせるような感覚だった。


「あぁ……紫乃……」


 麗子の声が、切なくも甘美な響きを持つ。紫乃の唇が麗子の首筋から鎖骨へと移動していく。その動きに合わせて、麗子の体が弓なりに反る。


「麗子……こんなにも愛しいなんて……」


 紫乃の声もまた、震えていた。その声に、麗子は目を開けた。紫乃の瞳には、生前には見たことのない深い情熱が宿っていた。


 二人の体が溶け合うように重なり合う。肌と肌が触れ合い、互いの温もりを感じ合う。しかし、それは単なる肉体的な結合ではなかった。麗子は、紫乃の愛の深さを、体全体で、いや魂全体で感じ取った。


 それは、現世では決して味わうことのできない、魂と魂がぶつかり合うような感覚だった。麗子の意識が、紫乃の意識と溶け合い、二人の存在が一つになっていくような感覚。


 周囲の霧が、二人から放たれる光によって押し退けられていく。その光は、六道の光の筋と呼応するかのように、様々な色に変化していった。


 麗子は、この瞬間が永遠に続けばいいと願った。しかし同時に、これが一時的なものであることも理解していた。


 光が最高潮に達したとき、麗子の意識は再び霞み始めた。しかし、その前に紫乃の最後の言葉が聞こえてきた。


「忘れないで、麗子。この愛は、永遠よ……」


 しかしそれでも、麗子の心の片隅で、葵の顔が浮かんでは消えた。


 絶頂に達したとき、麗子の意識は再び霞み始めた。紫乃の姿が、光の粒子となって消えていく。


「忘れないで、麗子。これはまだ始まりにすぎないわ」


 紫乃の最後の言葉が、麗子の心に刻まれた。


 意識が闇に沈んでいく中、麗子は次の試練への予感を感じていた。そして、自分の本当の想いとは何なのか、その答えがまだ見えないことに気づいていた。

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