香菜へ

 ミノルは唯一のオーボエ奏者として部活に精を出した。オーボエを吹くとき、必ず頭の中には詩織がいた。部活紹介のときのこと、音の出し方を教えてくれたこと、何度もお手本を見せてくれたこと、他愛のない話をしたこと、コンクールのときのこと……。


 そのことを思い出していると、いつしかミノルの中で敵討ちの気持ちが芽生えていた。自分がコンクールに出て、オーボエを成功させる。そうすることで、ミノルの中にいる詩織も成功するのではないかと思った。

 彼女はもういないけれど、教えてもらったことはミノルの中に存在し続けている。それを持って、必ずコンクールメンバーに選ばれて見せる。

 そう思い続けながら、1年生が終わった。2年生でもコンクールメンバーには選ばれず、オーボエ奏者も生まれなかった。

 やがて2年生も過ぎようとしていた時、部活が始まる前に顧問に呼び出された。顧問の口から、来年の演目にはオーボエが入る曲を選ぼうと思うと言われて、思わず聞き返してしまった。

 オーボエの担当は自分一人だった。他にやりたいという人もおらず、パート毎の練習は全て個人練習と同じだった。

 つまり自分の実力が認められているということだった。

 浮かれているミノルに顧問は、全体の演奏として実力が十分ならの話だがと釘を刺したが、去年そんな話が出なかったことに比べると、断然可能性があった。


 今まで以上の熱量で部活に取り組んだ。朝練、夜練を欠かさず、予想される曲を片っ端から演奏していった。


 そうして3年生になり、新1年生を迎えた宮森高校吹奏楽部は、課題曲、自由曲の両方でオーボエが編成された。

 詩織たちが演奏した、あの夏と同じ曲。


 7月1日。

 音楽室に集められた吹奏楽部員は、8月に行われるコンクールメンバーの発表に、緊張と未来への輝きを見ていた。一人名前が呼ばれる度に、教室の中には様々な感情が生まれていく。


 そうしてミノルが高校生活を捧げてきたオーボエの発表が済むと、教室内にいる部員の視線が一瞬、特定の二人に注がれた。

 一人はミノル、もう一人は1年生の両角香菜。

 香奈は顧問に名前を呼ばれて、「はい」と短く返事をし、視線は真っすぐ前を向いていた。

 そうしてコンクールメンバー40人の名前が呼ばれると、顧問から今後の練習の指示が下りた。

 メンバーは課題曲と自由曲の合奏時間を増やし、それ以外のメンバーはコンクール本番までそれぞれのパート練習をすることになった。

 最後に部長の掛け声で終わると、緊張の糸がほどけた部員は笑顔だったり、涙を流していたり、至る所で声が上がった。

 しかしミノルはその中の誰とも関わらず、部室を出た。背中に視線をいくつも感じたが気にしなかった。この場所に居ることが出来なかった。

 ミノルは、香菜も自分を見ている錯覚に襲われた。実際そうなのだろうと思った。それでも、選ばれなかった先輩に慰めの言葉を掛けなかったことは、そのときのミノルには有難かった。


 オーボエには両角香菜が選ばれた。


 香菜は前年、中学の全国大会に出場した学校でオーボエを担当していた。

 ミノルはパートリーダーとして香菜の面倒を見ることになったが、その必要はまるで無かった。香菜はその演奏で、ハッキリと実力差を見せつけた。見せつけたとは言っても、高圧的にではなく、偶発的に、ミノルがどのくらい吹けるのか、香菜に聞いたことによるものだった。

 少し緊張した様子ながらも、自前の楽器ケースを開き、そうして取り出された香菜のオーボエは磨かれた鏡のように光を反射して、動く度に教室の姿を映し出すほどだった。

 席に着き、そっと口を付ける仕草に不慣れは無く、淑やかな指が黒光りするオーボエをそっと抱きしめていた。

 ほんの一音。ただそれだけで、自分の三年間が崩れていく気がした。その瞬間ミノルは部活の先輩というより、ただの傍観者となっていた。

 どうやっても消せなかった、自分がコンクールでオーボエを吹く姿はいつの間にか見えなくなり、あの日の詩織の姿に、香菜の姿が重なっていた。

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