オーボエは繋ぐ

月峰 赤

ミノルへ

 7月1日。

 放課後に聞こえる吹奏楽の音。

 吹奏楽部3年、山縣ミノルは、いつも練習していた校庭にある大きな木の下で寝転がっていた。

 

 ミノルの最後のコンクールは、今日、終わりを告げた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 小学校の時に始めた吹奏楽クラブが楽しくて、中学で吹奏楽部に入部したミノルが担当したのはサックスだった。一通り試させてもらって、これが一番音が出たというのが理由だった。

 練習する度に上達して、2年生のときには市主催のコンクールに出場し、それは3年生になっても続いた。

 高校生になり、再び吹奏楽部に入部しようと部活見学に行ったとき、そこでオーボエ奏者の3年、遠藤詩織と出会った。

 新入生がごった返す音楽室の向こう側で、半円を描いて座る先輩たち。ミノルの視線は最初こそサックスに留まっていたが、演奏される曲の中に溶け込んでいるオーボエの音に、ミノルの意識は持っていかれた。

 ミノルの中学にオーボエは無かった。もしかしたら他の学校が吹いていたのかもしれないけれど、ここまで夢中にさせたのには、詩織との技量の差があったのかもしれない。

 もうサックスの演奏は気にならなかった。詩織のオーボエに夢中になり、最後の部長の挨拶の時ですらも、しばらく詩織とオーボエを見つめていた。


 その後入部をして、希望する楽器の聞き取りのとき、ミノルはオーボエと答えた。そのことが詩織の耳に入ると、ミノルのところまでやってきて、一緒に頑張ろうねとはしゃいでいた。


 しかし顧問はミノルがオーボエを吹くことを易々と認めなかった。ミノルの中学での演奏を知っており、サックスの演奏に専念して欲しいと思っていたからだった。

 ミノルはその評価を嬉しく思った。頭の中で、コンクールメンバーとしてサックスを演奏する自分の姿を想像した。

 けれど、その映像は次第に薄れていき、オーボエを吹いている自分の姿が浮かび上がってくる。何度消そうとしても、消えないペンで書かれたみたいに形が崩れない。

 頭には詩織の演奏も聞こえてきた。それが自分の吹くオーボエから出ているように錯覚して、先程よりも激しい高揚感に襲われた。

 それでもオーボエを吹きたいと告げると、困った顔をしながらも、顧問は渋々了承してくれた。


 詩織は気さくで面倒見が良く、オーボエに関しては初心者のミノルに、吹くときの口の形や指の運び方など、およそ演奏に関わることを熱心に教えてくれた。果ては演奏だけでなく、購買の何がオススメだとか、この先生は抜き打ちでテストを出してくるよとか、学校の雑学なんかも教えてくれた。

 そういった話は決まって、校庭にある大きな木の下で行われる楽器ごとのパート練習の合間に行われた。

 ミノルは初めこそ相槌を打つだけだったが、次第に詩織の人柄に馴染んでいき、ミノルの方からも会話をするようになった。くだらない話でも、詩織は大げさに反応してくれて、パート練習の時間がとても楽しみになっていた。

 

 そうして8月のコンクールを迎えた。

 天気が良く、風の無い一日だった。

 夏の熱さに照らされながら楽器を運び終えると、間もなく出番がやって来た。

 ステージの袖口に待機していたコンクールメンバーの元に、部員全員が集まってくる。メンバーに選ばれているかどうかは関係なく、部員が一塊になり、今出来る最高の演奏を心に誓い合った。

 ミノルはその集団の一番外にいて、背伸びをしながら詩織を探した。何か声を掛けるべきだろうかと逡巡していると、詩織が駆け寄ってきた。

 演奏の為にまとめた髪が左右に揺れている。表情は少し強張って見えた。


 ―頑張るから、しっかり見ててよね―

 いつもより声が上ずっていた。

 ミノルと視線が混じる。ミノルも何か声を掛けようとしたが、言葉が見つからなかった。

 はい、と頷くことしか出来なかった。


 煌めく照明の下、ステージに用意された椅子に向かっていくメンバーたち。詩織も自らの演奏場所に辿り着き、そのときを待つ。

 胸の前で構えるオーボエが、いつにも増して輝いて見える。何度も深呼吸をしているのが、遠目にも分かった。

 不安が胸の中に生まれ、全身に伝わっていく。頭がぼんやりして、上手く力が入らない。

 背中がヒヤリとした。外の熱さに対して、冷房が効きすぎているのかもしれない。そう思い込むことしか出来なかった。


 そして会場内にアナウンスが響き渡った。演奏が始まる。


 その後のことは良く覚えている。

 

 オーボエが、失敗したから。


 音が途切れる。代わりにざわざわとした困惑が会場に生まれ、一人の部員を包み込む。

 詩織は放心状態で、やっとの様子で袖口に戻ってきた。

 胸がギュッと締め付けられた。こんな詩織の姿は見たことが無く、その場から動けなかった。

 視線で追うだけで、ミノルは何も声を掛けられなかった。何を言っても詩織を傷つけてしまうと思った。

 顧問の指示で、数人の3年生が詩織を連れて行った。背中が震えているのが分かり、その姿が見えている間にも、楽器の運搬などの指示が下される。ミノルはしばらく詩織の背中を見送っていたが、他の部員に促され、幕の下りたステージへと足を踏み出した。


 コンクールはそこで終わり、3年生は引退。それ以来詩織とは、一度も会話をしていない。

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