第3話
三角コーナーは、物分かりが悪いぼくに、丁寧に説明をしてくれました。
お母さんがオムライスを作ったのは、あの子がオムライスが好きだから。けれど、それだけではないというのです。
「お母さんは、ちゃんと学校へ行って、ちゃんと勉強する子の母でありたいんだよ。これはあくまでひとつの例。ほかにもいろいろあるけれど、今のお母さんは、あの子のことを見ないで、世間の方を見た理想がぶわーって膨らんでいってしまうのを止められないんだ。その、大きな理想に手を伸ばすためには、あの子に家にいられちゃ困る。だから、いつものように活を入れて、『よし、お昼はオムライスだから頑張ろう!』って思って登校してもらう……みたいなことを、思い描いたんじゃないかと思うよ。あとは、そうだなぁ。たとえば、『子どもにお弁当を作ってあげてる私はとても素敵』『元気づけるために好物を作ってあげる私はとても優しい』みたいに、自分をいい人間であると思い込むため。つまるところ、お母さんにとって、〝愛〟に酔っ払うために手っ取り早いのは、オムライスを作ることだったから作った。ただそれだけ」
「それは本当に、自分だけへ向けた愛なの? 頑張ってっていう、あの子へ向けた、愛あるエールでもあるんじゃないの?」
「だから……。愛あるエールに、オムライスは要らないんだよ。愛あるエールをおくりたいなら、もっと手軽な何かでよかった。丸でも三角でもない不恰好な具なしおにぎりとかね。仮にオムライスを作るにしても、お弁当箱に詰める必要なんてなかった。だって、学校へ持って行こうと思ったなら、お弁当箱に詰めることくらい、あの子にだってできるんだから。お弁当箱に詰めた状態で置いておかれたら、行けって言われているようじゃない? そんなの、ストレスでしかないよ。どうしてもオムライスを作ってあげたいと思うなら、お皿にのせたまま、『お腹が空いたら温めて食べてね』ってメモ書きを添えれば、それでよかったんだよ」
ぼくは、しゅんとしました。
ぼくは、生まれた時から不要な存在だったような気がして、悲しくなったのです。
「お母さんはね――」
沈むぼくに、三角コーナーは少しおどけた口調で話します。ぼくを励まそうとしてくれているようです。
「最近、機嫌の波が激しいんだ。自分向きの愛だけじゃなくて、愛をちゃんとあの子へ向けることもあるよ。だけど、ひどい時は、あの子が見えていないっていうか、まるで邪魔モノみたいに見えていそうな時もある」
「そんな」
「でもね、それは、お母さんにどうにかできるものじゃないみたいなんだ。まるで、何かに乗っ取られたみたいに、キツく当たってしまうことがある。もしかしたら……いいや、たぶん、今日も何かに乗っ取られていたんだよ。ゴミをまとめなかったのも、きっとそのせい。乗っ取られていたから、『もしもこれをあの子に見られたら』っていう想像をする余裕がなかったんだ」
『そうね』
「だ、だれ?」
突然、近くにいる誰かが喋りだしました。
ぼくは驚いて、びくりと身を震わせました。
「おお、黙っていられなくなったみたいだね」
「まぁ、ね。機嫌の波の話は、あたしが詳しいからね」
声の主の姿は、見えるようで見えませんでしたが、ぼくにはそれがなんだか、すぐにわかりました。
ぼくが踏み潰してしまっている、袋の端です。
「呑気な赤黄色に教えてあげる」
袋の端は、上から口調で話し始めました。
「女の心はね、コロコロ変わるの。ひと月の間に、四つの顔を使い分けさせられるの。強制的に。そして、時に死にたくなったり、時に殺したくなったりするの」
「こ、怖い」
「それで、お母さんはね。最近、落ち込んだ時に殺したくなるようになったの」
「ちょっと、言葉のチョイスが悪くない?」
三角コーナーが言うと、袋の端は喋るのをやめました。
時々、「うーん」と唸ります。
言葉を選び直しているようです。
「だから、その……。当たり散らしたくなくても、当たり散らしちゃうようになっちゃったの」
「なんで、そんなことがわかるのさ」
ぼくは、袋の端が決めつけるように言うのがどうにも気に食わなくて、問いました。
「あたしは、そういう時に飲むサプリメントの袋の端。今日開けられたの。じゃあ、なんでそんなに語れるかって? そりゃあ、あたしは買い置きで、昨日までいた袋が中身を減らしていくたびに、あたしたちに愚痴ってきたからだよ」
ぼくは、心を乗っ取られたことがないので、どういうことだかよくわかりません。
でも、想像はしてみます。
心の底にはその気がないのに当たり散らしてしまうのは、なんだか嫌だな、と思いました。
「たぶん、少ししたら、自分を責めだすと思う」
「その頃には、私は毎晩すっからかんだよ」
三角コーナーと袋の端は、心がつながったかのように、同じ温度で笑いました。
同じ温度になれないぼくは、ふたりに問いました。
「どういうこと?」
「乗っ取られていない時は、寝る前にちゃんとゴミをまとめるんだ。もし、ちゃんとまとめていたら、あの子はキミがゴミになったことを知らずにすんだ。自分が食べなかったから、誰かが食べちゃったんだろうなとか、良いように想像できる道があった。でも、今日のお母さんは、乗っ取られていた。『せっかく作ってあげたのに』っていうような、押し付けがましい心を見せつけられる、キミをここに置き去りにした」
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