第2話
お弁当箱が言うには、蓋を開けたあの瞬間の顔は、お弁当がオムライスの時、毎回する顔だということでした。
そして、大好きなオムライスを頬張り、試験などを頑張るための力をつけていたそうです。
けれど最近、あの子は悩みを抱えているらしく、その影響か、食は少しずつ細り、食べ残しが増える一方。
それだけではなく、夏でも着るのをやめない長袖で隠した腕に傷があったのを見たことがあると、お弁当箱はしょんぼりと語りました。
「自分を傷つけてしまうくらい弱った人に、オムライスなんて重いのよ」
ぼくは、変だと思いました。
ぼくは、重たくなんかない。刃でもない。活を入れるためだけに作られたものでもない。
お母さんが見せた、不思議な顔を思い出します。
あの顔は、あの子を傷つけたり、あの子に嫌がらせをしようとしたりした人が浮かべるものとは思えません。
「重たくなんかないよ。愛だよ、愛。きっと、愛なんだよ。オムライスを食べたら元気が出るって知ってるから、オムライスを作ったんだよ」
ぼくがそう言うと、お弁当箱は呆れたように笑いました。
「愛なんかじゃないよ」
「なんでそんなことが言えるのさ」
「だって……」
「だって?」
「わたしは、お母さんと毎日のように顔を合わせてるから。お母さんのいろんな顔や心を、わたしは知ってるから」
しばらくすると、お母さんが帰ってきました。
ぼくらはだまって、お母さんの顔を見ました。お母さんが発する言葉を聞き逃さないように、耳をすませました。
「あーあ」
お母さんは、蓋を開け、ぼくがそっくりそのままいるのを見ると、大きなため息をつきました。
それから、お弁当箱をひっくり返しました。
ぼくは、流しの角にある三角コーナーに、そっくりそのまま飛び込みました。
ジャー、と水が流れます。
プシュ、と洗剤が、スポンジへ向かって飛び出ます。
ギュッギュッとお弁当箱が洗われます。
滝のような水で洗剤を流され、ピカピカになったお弁当箱は、じとりとぼくを見ながら、ぼくの一部がいなくなったお皿の隣へと旅立ちました。
「あれ、なんでここにきたの?」
三角コーナーにいた、ぼくの一部が言いました。
「わかんない」
ぼくは答えました。
数時間前まではひとつの存在であったぼくらは、今は似て非なるものでした。
先に三角コーナーへ飛び込んだぼくの一部は、たくさん水を浴びていたからか、ぼくとうまく馴染まなかったのです。
けれど、カレーの香りが広がって、それが消えた夜更け。
ぼくらはまた、ひとつになりました。
お部屋は真っ暗ですが、お弁当箱の中よりは明るく、流しがわずかな光をキラリと反射するため、すぐ近くの様子はよく見えました。
ぼくはぼーっと、一番よく見える、三角コーナーを見つめました。
「そんなに見つめないでよ。袋に詰めて、ゴミ箱に入れてもらえなかったのは、私のせいではないからね」
三角コーナーが言いました。
「あ、キミもお話しできるのか」
「バカにしないでよ。出来るよ」
三角コーナーは、いじけたように言いました。
ぼくは、お弁当箱に訊けなかった〝愛〟について、三角コーナーに訊いてみようと思いました。
三角コーナーも、お弁当箱と同じかそれ以上、お母さんのいろいろな顔や心に触れてきているだろうから、〝愛〟について何か知っているだろうと考えたのです。
しかし、言葉にしようとした時、小さな足音が聞こえてきました。
だからぼくは、また後で問うことにしました。
足音の主は、あの子でした。
あの子は、三角コーナーにいるぼくを見て、ぽろりと涙を流しました。
「……私がゴミになりたかった」
消え入るような声でした。
ぼくからも、雫がぽたりと落ちました。
あの子はまた、よたよたと上の階へと戻っていってしまいました。
パタン、と扉が閉まる音がしました。
「あなた、とどめを刺したでしょ」
三角コーナーが、怒り混じりに言いました。
「とどめって、なにさ。ぼくは、別に」
「あぁ、うん。わかってる。ごめんなさい。あなたに言うのは違かった。言うなら、お母さんにだ」
「ねぇ」
「なに?」
「ぼくには、あの子への愛が詰まってると思ってるんだ。でも、お弁当箱は言った。愛なんかじゃないって言った。キミは、どう思う?」
三角コーナーは、バツが悪そうに、小さく笑いました。
「お弁当箱が言う通り、愛ではないかな。いいや、愛かも。でも、違う」
「ごめん。言いたいことが、よくわからない」
「愛は愛でも、愛じゃないんだよ。あの子へ向けた、愛じゃないんだよ」
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