10 陽依のトラウマ

 そのあと、たくさんかれんさんと話した。  

 運動会でのトラウマを思い出さないように。

 気を抜いたら、また記憶のフタが開いてしまうから。

 でも、ずっと胸の中のモヤモヤは晴れることはなくて。

「あの、かれんさん。ちょっと聞いてもらいたいことがあるんですけど、いいですか」

 告げる声が、震える。

 ドキドキと、胸が高鳴り始めた。

 俯いて、拳を握る。強く握りずきて、爪が食い込んでいく。

 あまり気持ちの良い話ではないから、中々話を切り出せないよ。

 すると、かれんさんが優しい声音で、

「ゆっくりでいいからね」

 って、いった。

 かれんさんの手が、わたしの手の拳に触れる。

 顔を上げると、かれんさんの笑顔が視界に入る。

「ありがとうございます」

 本日何回目かのお礼を告げると、あの日の出来事を話し始めるのだった。



 あれは、二年前。公立の小学校に通っていたころのこと。

 あのころのわたしは、今よりも活発的で、クラスの中心人物だった。

 登校すれば、あっと言う間に人だかりが出来る。間違いなく、人気があったんだと思う。

 お父さんが当時ランニングにはまっていて、一緒に走っていたせいか、わたしはクラスで一番速かった。

 だからかな。運動会(わたしのいた小学校では『体育祭』ではなく『運動会』って呼んでるよ)の種目決めで真っ先に、クラス対抗リレーに決まった。

 その時は、「絶対に一位を取る!」って意気込んでいて、いつも以上に毎日のランニングに力を入れていたんだ。

 そして、迎えた運動会当日。

 意気込みすぎたせいか、バトンパスに失敗してしまった。

 からん、とバトンが落ちる音がクリアに聞こえたっけ。

 そこから、頑張って走った。

 ドキドキと高鳴り始めた、心臓の鼓動を無視するように。

 ……でも。

 コーナーに差し掛かったとき、足がもつれて、盛大に転んでしまったんだ。

 どんどん、うしろにいた選手に抜かれていく。

 あわてて、立ち上がって、走り出す。

 結局、わたしたちのクラスはビリでゴールーテープを切った。

 そのあとからだったかな。みんなのわたしを見る目が変わったのは。

 体育祭が終わった翌日。

 わたしが教室のドアを開くと、異様な雰囲気が漂っていた。

 いつもなら、みんなが「おはよ、陽依ちゃんっ!」って駆け寄ってくるのに、今日は数人しかやって来ない。

 おかしいな。 

 そう思いつつも、気のせいだと思うことにして、放課後まで過ごした。

 そして、事件が起きたのは、放課後のことだった。

 いつものように、放課後公園で遊ぼうって誘うと、みんながわたしから視線を逸らして、

「今日、わたしはピアノのレッスンがあって……」

「オレもサッカーの練習があって……」

 なんて、いい訳をするように、口々にいう。

 その時は、そうなんだな、ってぐらいにしか思っていなかった。

 急に遊びに誘ったし、用事があることぐらいあるよね。

 そう切り替えて、帰路に着く。

 公園に寄ってから帰ろうと方向転換をすると、中から笑い声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だった。

 背中にじんわりとイヤな汗が伝う。

 おそるおそる公園の中に近づくと……やっぱり。

 わたしを除いた仲の良かった子が、遊んでいたんだ。

 サッカーボールを蹴る音が聞こえてくる。

「ねぇ、陽依ちゃんのこと誘わなくていいのー?」

 誰かが、わたしの名前を口にした。

 盗み聞きをするのは悪いことだ。

 そう思っているのに、耳を澄ましてしまう。

「だってアイツ、この前のクラス対抗リレーで失敗したじゃん? 遊びに誘ったら、アイツの運動音痴がオレに感染るわ!」

「たしかにー。あれはなかったよね。せっかくわたしたち、頑張って練習したのに。すべてが台無し」

「ねー。期待してたのに。陽依ちゃんってさ、前から思ってたけど、あまり面白くないよねー」

 そこから、わたしの悪口大会が始まった。

 ケラケラとした笑い声が、やけにクリアに聞こえた。

 足がすくむ。

 早く行かなくちゃ。

 そう思うのに、全く動くことができない。まるで、足が石になってしまったみたいだ。

 そこから、なんとか足を動かして、家に帰る。

「おかえりー」ってリビングからお母さんの声がする。

 それを無視して、自分の部屋にこもって、泣き続けるのだった。


 はじめのころは、頑張って学校に行っていたんだ。

 でも、状況がよくなることはなくて。

 どんな時でも、公園で聞いた、ケラケラとあざけ笑うような声が、頭の中で響き渡るようになった。

 誰かがわたしのことをじーっと見つめていると、「あいつ、運動会のクラス対抗リレーで転んだ奴だ」って笑われているような気がした。

 今思えば、そんなの自意識過剰だなって笑えるんだけどね。

 そのときのわたしは、そんなことを考えている余裕は、全くなかった。

 段々と学校に行くのが怖くなってきたんだ。

 

「顔色が悪いわよ、陽依」

「学校の疲れが出てきたのかなー」

「今日は休む?」

「……うん」

 一日休んでしまったから、どんどん学校に行きにくくなってしまって。

 その日を境に、わたしは不登校になってしまった。

 布団にくるまって、ボーッとするだけの日々。

 両親から「なにかあったの?」って聞かれたけど、口を割ることはなかった。

 両親ともに運動会当日は急な仕事が入ってしまって来れなかった。

 だから、わたしがクラス対抗リレーで転んでしまったことを知らないんだ。

 わたしに声をかける両親は困ったような、声音をしていた。

 

 わたしが学校に行かなくなってから一週間と少し経ったころ。

「陽依、いるか?」

 わたしの部屋に、アオくんがやってきた。

 アオくんと小学校が違うから、彼の声を聞くのは久々だった。

「どうして、アオくんがわたしの家にいるの?」

「柚月さんから、陽依が落ち込んでいるから、一緒に遊んでほしいと頼まれたんだ。とりあえず、部屋の鍵を開けてくれ」

「ダメッ!」

 あれから、誰かと関わり合うのがイヤになった。

「お願いだから、帰ってくれないかな……」

 そう告げると、「そうか、分かった」とアオくんがいった。

 キュッキュッと足音が遠のいていく。

 ホッと一息ついて、本棚からマンガを取り出す。

 ずーっと寝ていたせいか、寝ることに飽きていたんだ。

 不登校になってから何回読み返したか分からないマンガを開く。

 しばらくして……。

 アオくんが来たことを忘れて、マンガの世界に入り込んでいると。

 ガチャ、とドアが開く音がした。

「えっ」

 振り返ると、入り口付近にアオくんが立っていた。

 なんで!? しっかりと部屋の鍵を閉めたはずなのに!

 おどろいて固まっていると、アオくんが近づいてきた。

「久しぶり、陽依」

「ひ、久しぶり……。どうやって鍵を開けたの?」

「ああ、これでちょちょいとな」

 顔の前に、針金を掲げて見せた。

「犯罪には使わないでね……」

 そう返すことしかできない。

「また陽依がまた部屋に篭ったら使うかもな」

「もう!」

 自然と笑みがこぼれた。

 あれ、すごく久しぶりに笑った気がするよ。

「あー、相変わらず汚い部屋。もう少し掃除しろよな」

 そういうと、リビングから掃除機を持ってきて、掃除をし始めた。

 ボーッと突っ立っていると、「陽依も手伝って」ってホウキを渡された。

 なにがなんだか分からないまま、掃除をする。

「これで全部か」

 アオくんがゴミ袋をきゅっと結んでから言った。

 部屋の中を見たわしてみる。

 いまさっきまでお菓子のゴミたちが散乱していたのがウソのようにキレイだ。

 なんだか、心の中までキレイになった気分。

「どうだ、俺の家事能力は」

 アオくんが、ドンッと胸を叩いた。

「……ありがとう、アオくん」

「なにがだ? お礼を言ってもなにも出ないからな。この状態を維持しろよ」

 わたしのお礼の意味を分かっているだろうに、嫌味っぽく茶化した。

「これからなにかあったら、俺に相談してくれたら、嬉しい」

 アオ君にしては珍しく、歯切れ悪くいった。

 頬を掻いているっていうことは、照れているんだ。

「うん」

「あー、頼りになる人になりたい!」

 いきなりアオくんが叫んだので、ビックリする。

「アオくんは頼りになるよ!」

 って言葉をかけるけど、

「そういうんじゃなくて」

 と口をもごもごさせる。

「なぁ、頼りになる人ってどんな人だろう?」

「うーん……。ドーンと構えている人……とかかな? ごめん、よく分からないかも」

「ドーンと構えているか……。具体的には?」

「そうだなぁ……」

 視線を彷徨わせる。

 視界の端に、今さっきまで読んでいたマンガが入る。

 生徒会長と平凡な女子の恋愛ストーリーで、わたしが大好きなマンガのひとつ。

「あ! 例えば、生徒会長とかかな?」

 思い浮かばなくて、マンガのヒーローの役職を言う。

「生徒会長か……」

 アオくんはアゴに指を当てて、低く唸った。

「俺、帰るわ。また、今度な」

 いきなりそう言うと、早足で帰ってしまった。

「えーっ、急になんだろう?」

 もっと、色々と話したかったのに。

 名残惜しく思っていると、すぐ近くでカランとなにかが落ちる音がした。

 音がした方を見ると、部屋の前にお母さんが立っていた。

「陽依!」

 お母さんに急に抱きつかれて、そのまま床に倒れ込む。

「ど、どうしたの、お母さん」

「だって、久しぶり陽依の顔が見られたのが嬉しくて」

 そっか。ずーっと部屋に籠っていたもんね。

 最近ではわたしに気遣ってか、食事が運ばれてきた時にしか話していなかったし。

「お母さん、ごめんね」

「なんで陽依が謝るのよ! お母さんの方こそ、ごめんなさい。陽依の変化に気づかなくて」

 わたしたちは抱き合ったまま、お父さんが帰ってくるまで泣き続けた。


 そのあと、お母さんからアオくんが通っている学校

──天川学園への転入を勧められて。

 猛勉強をして、天川学園に転入するのだった。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 


 

 

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