第11話:エピローグ
晴れ渡る日の午後、幼い女の子の泣き叫ぶ声が響き渡り、日光浴をしながらウトウトとしていたロサリアは目を覚ました。彼女のために用意されたリクライニングチェアから上半身を起こして立ち上がろうとするが、直ぐにメイドたちが集まり彼女を止めようとした。
それもそのはず、彼女は臨月を迎えているのだから。
けれども、メイドたちの静止も聞かずにロサリアは重く感じる体を杖で支えながら立ち上がってしまう。メイドたちが慌てているのは言わずもがなだ。
「奥様、無茶をしないでください!」
「大丈夫ですわ……泣いている娘を、ローゼリーナを無視なんてできませんことよ」
もしロサリアに何かあればクビが飛ぶどころの騒ぎではない。だが、そんな中、鳶色の髪の侍女がロサリアのために車椅子を持って来てしまった。この場からロサリアを動かしたくない事なかれ主義の侍女たちが渋い顔をしたのは言うまでもない。
「奥様、私がお連れします」
「ありがとう、ハンナ」
「いえ、奥様の為ならばこのくらいなんともありません」
ハンナは手を貸しながらロサリアを車椅子に乗せて、鳴き声が聞こえた方へと急いだ。
すると、そこにはまだ幼い女の子が可愛らしい顔を涙で歪めていた。
ダークブラウンの髪がふわりと広がり、青い瞳が澄んでいる。彼女の髪は温かな日差しを受けて、栗のような色合いで、柔らかい雰囲気を醸し出していた。
「おかあさまああああああああぁぁぁ!」
「あらあら、どうしましたの、ローゼリーナ?」
「おにいさまがわたくしのぬいぐるみをこわしたんですのぉおお!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔をロサリアに向けながら、ローゼリーナは後ろ手に指を指している。するとそこには、困り果てた顔のジャレッドと、男の子が俯いて不貞腐れた顔をしていた。
「全く、ローレンツ。妹を泣かせるなんて何をしているんだ? お前はもう六歳、リーナは四歳じゃないか」
「でも……」
何か言いたげにローレンツの赤い瞳は不満そうにしている。彼の髪は深い夜のような色合いで、キリッとした顔立ちはしょげて情けなくなっていた。
そして、庭園の石畳の上には腕がちぎれて転がっているうさぎのぬいぐるみが虚しそうに黒いボタンの目を虚空に向けている。それを見てロサリアは何があったのかを何となく察した。
恐らくだが、ローゼリーナにプレゼントしたロサリアの手作りのぬいぐるみを取り合ったのだろう。そして、引っ張り合う内に腕がちぎれてこの騒ぎになったのではないか。
そう推測するが、状況から判断するのも、片側の意見だけ聞くのも危険だということは身をもって経験しているつもりだ。
それに、ふたりとも大切な彼女の子供なのだ。
ふたりの話を聞くべきだろう。
ひとまずは怪我をしたわけじゃなくて良かったとロサリアは胸をなでおろした。
「ローレンツもわたくしのところにおいでなさい」
「でも、母様……」
「怒ってはいませんわ、ローレンツ。何があったのか聞いてもよろしくて?」
「〜〜っはい、母様」
泣き出しそうな顔をして、ローレンツもロサリアの元へと駆け寄ってくる。ジャレッドはちぎれたぬいぐるみを拾い上げ、困った表情のままだ。だが、ロサリアが来てくれたこともあり、どこか安心している。
「リーナ、何があったのか教えてくださりますわね?」
「はい、かあさま。わたくし、おにいさまとぬいぐるみをとりあってたらおててがとれたんですの……おにいさまがわるいんですの!」
「ちが、ボクは──っ」
お父様はボクが悪いって言って話を聞いてくれなかった。きっと母様も僕が悪いんだって言うに決まっている。
ローレンツは言い訳も弁解も何も言えずにわんわんと泣き出してしまう。ローゼリーナをいじめたかったわけじゃない。泣かせたかったわけでもないのに、どうしてこんなに悲しいことになってしまったのだろうか。
それでも、ロサリアは落ち着いた様子でローレンツの頭をそっと撫でた。彼が顔を上げると、そっと人差し指でローレンツの涙を拭う。
「お父様ににてかっこいい顔が台無しですわよ? リーナも、可愛いお顔がしわくちゃではありませんの。泣くのはやめてくださいまし」
「あい、わたくしもうなきませんわ!」
「母様、ボクもです!」
まだ涙を堪えている様子はあるが、ふたりともを泣き止ませてしまうロサリアにジャレッドは舌を巻いていた。
今度はローレンツに優しげな目を向けると、ロサリアは静かに問いかける。その声にローレンツも母様は怒っていないんだというのが伝わってきた。まだしゃくり上げながらだったが、ローレンツは何があったのかをぽつりぽつりと語り始める。
「リーナのぬいぐるみの腕が取れそうになってたんです……それで、お庭で遊ぶ前に母様に直してもらおうってリーナに言ったら逃げられちゃって……」
「そうでしたのね。あのね、リーナ。レンツィは人形を取ろうとしたんじゃありませんでしたの。うさぎさんの手が取れてしまったら可愛そうではありませんこと?」
「あい、そうですわ、おかあさま……」
「そうですわよね? だから、腕が取れて怪我をしちゃう前にレンツィはわたくしに直してもらおうとあなたを追いかけてきたのですわ」
「そうでしたのね……ごめんなさい、おにいさま」
「ううん、リーナは悪くないよ……ボクがちゃんと言わなかったのが悪いんだ。ごめんなさい……」
「もう仲直りはしましたわね?」
「あい!」
「はい!」
元気よく返事するふたりに、ロサリアは満面の笑みで微笑んでそのままその笑みをジャレッドに向けた。その笑みの恐ろしさを真に理解しているのはジャレッドだけだろう。
ローレンツを産んだ後からだろうか。
ロサリアは精神的に成長したものの、稀にチワワメンタルが現れていた。それでも、子供に関して何かあると、彼女の中に潜んだオオカミが守るために登場するのだ。
まさに今ジャレッドに向けているその笑顔で。
「あなた、レンツィの話はちゃんとお聞きになりまして?」
「す、すまない。状況証拠的にレンツィがぬいぐるみの腕をちぎったのだと思ってしまってね……あの、ほら、前にもあったからさ……ね?」
「前にあったからって今回もそうとは限りませんわよね、あなた?」
「ひいっ……す、すまなかった、ロジィ……」
「──違いますわ」
「へ……?」
「間違っていますわよ、あなた! 謝るのはわたくしにではなくてレンツィにですわ!」
ロサリアの怒声は、さっきまでいたテラスのメイドたちにまで聞こえていた。そして、「ああ、またか」だとか「旦那様が怒られてますねぇ」だとか口々にテラスを片付けながら談笑をしていた。
庭園では相変わらずロサリアは笑みを浮かべている。ジャレッドはローレンツに歩み寄ると目線を合わせて頭を下げていた。
「レンツィ、父様が悪かった。話をちゃんと聞いてやれなくてすまない……」
「はい……許します」
「それではこの話はここまでですわね。リーナ、ぬいぐるみは預かってよろしいですわね? 怪我の手当をしなくてはなりませんわ」
「あい! おかあさまにおまかせしますわ〜!」
「じゃあ、怪我しないように遊んでらっしゃい」
パタパタとローゼリーナは芝生の方へ向かって走り出した。妹を追いかけてローレンツも走り出そうとしたが、ジャレッドが呼び止めた。そして、どこか感慨深そうな目を向けている。
子供たちの喧嘩の仲裁や解決はロサリアには決して敵わないだろう。それでも、父親として一つだけ伝えたいことがあった。ローレンツももう六歳になろうとしている。それに、そろそろ三人目の子供も生まれる予定だ。
「レンツィ、いや、ローレンツ・フォン・エルディアン。よく聞きなさい」
「──っ、はい、父様」
「リーナは大切な妹かな?」
「はい。ちょっとうるさくてお転婆なところもありますけど、大事な妹です」
「そうか。じゃあ、リーナをしっかりと守ってくれるかな?」
「はい、父様!」
「お前は三人兄妹の一番上になるんだ。分かるね?」
「はい、生まれてくる赤ちゃんもボクが守ります!」
「いい子だ。その代わり、辛いことがあった時には僕に──あー、母様でもいいから頼ること」
「父様にも相談してもいいですか……?」
ついさっき頭ごなしに話を聞かず、ローレンツを傷つけてしまい、ジャレッドはしばらく考え込んだ。
ロサリアを守るために、一人でずっとどうにかしようとしてきていた。幼い頃からロサリアだけを責めるルビウスのせいか、理想の父親像なんて思い浮かばない。どんな父親がまともなのか、どんな風に接すればいいのか今もまだわかっていない。
それでも、ジャレッドは一つだけわかった。
僕も父上ともっと話をしておくべきだったんだろうな。
残念なことにロサリアとの婚約発表を機に、ルビウスとは絶縁状態だ。世間に婚約を公表した日、ルビウスは屋敷にまで乗り込んできて怒鳴り散らしていた。それでも、ロサリアは頭を下げて最後まで説得しようとしていてくれた。
恐怖におののきながらも。
けれども、ジャレッドはロサリアのその姿を見てまたブチ切れた。そして、現公爵家当主として全権を持って父を追い出したのだ。
最悪な親子喧嘩から冷戦が今なお続き、ルビウスは帝都から離れて本宅で暮らしていた。
だから、結婚式の時も、初孫の時もジャレッドは手紙さえ送っていない。
──父様に相談してもいいですか……?
不安そうに聞いてくるローレンツの言葉はどれほど嬉しかったことか。
もう遅いだろうか。
今からでも間に合うだろうか。
ロサリアの出産が終わったら、いや、すぐにでも手紙を書こうと決めた。ジャレッドはローレンツの両肩に手を置くと、自信満々に告げた。
「ああ、父様に任せておけ。と言っても、母様には勝てないから注意してくれよ?」
「はい! では、ボクも行ってきます!」
少し離れたところで待っていたローゼリーナのところへ走っていく途中、ローレンツは「どういうことですの、それ!?」と言う母の声を聞いて微笑んでいた。
優しいけど怒ると怖い母様が好きだ。
頼りないところがあるけど、かっこいい父様が好きだ。
わがままばっかりで泣き虫だけどローゼリーナが好きだ。
だから、きっとこれから産まれてくる弟か妹か。
まだ分からないけどきっと好きになる。
そして、きっとボクが守っていくんだと青空を見上げていた。
「一件落着、ですわね?」
芝生の上を走り回る子供たちを見て、ロサリアは感慨深そうに呟いた。その隣にはまた少し父親の自覚がやっと芽生えてくれたのかジャレッドがどこか吹っ切れた顔をしている。
子供たちを守ることに必死で、ロサリアは直ぐに母親としての自覚に芽生えた。けれども、ジャレッドはまだ父として発展途中のようだ。それでも、少しずつ成長していくジャレッドを見てロサリアの頬が綻んだ。
「どうしましたの、あなた?」
「いや、大したことじゃないよ。ただ、父上に手紙を送ろうと思ってね……」
「そうでしたのね。あなたの中で何か変化がありましたの?」
「ああ、さっき僕はレンツィとしっかり話をすべきだったよね? それは、僕と父上とも一緒だと感じたんだ」
「それが良いと思いますわ。ちなみに、お父様はお元気みたいですわよ? 先月はリーナくらいの大きさの魚を釣り上げたと書いておりましたわね」
「へ……?」
「ごめんなさい、あなた。実はわたくし、随分前からお父様と文通をしておりましたの」
てへぺろと舌を見せてお茶目に笑うロサリアに、ジャレッドはポカーンとしていた。まさかロサリアとルビウスが文通をしているだなんてまさに青天の霹靂だ。
「この子が産まれたら、お父様に会いに行きましょう、あなた」
「そうだね、ロジィ」
愛おしげに大きくなったお腹を優しくロサリアは撫でていた。が、徐々にロサリアの眉間にシワがよっていく。そして、苦しそうに呼吸が浅く荒くなっていくのをゆっくり深呼吸して整えようとしている。
「大丈夫か、ロジィ?」
「だ、ダメですわ……で、出そう……」
「は?」
「出そうな雰囲気がビンビンですわ……!」
「で、出そうって、え……生まれそうってこと?」
「ほ、他に何がありますのよぉ……お゛っ!?」
「ま、まずい……直ぐに産婆と乳母を呼べ! 出産の準備だああああああああぁぁぁ!」
ジャレッドは車椅子ごとロサリアを抱えて屋敷へと戻っていく。陣痛に耐えながらも、ロサリアは幸せを噛み締めていた。失ったものもそれなりにあるが、それ以上に手に入れたものも多い。
屋敷に戻ると、相変わらず身長がのびていないシェリーメイがテキパキと指示を出していく。相変わらず頼もしい友人の姿に、頬が綻んでいく。ちょうど子供が一歳を迎え、シェリーメイは実家に孫を見せに戻ってきていたところだった。
大好きな家族に囲まれて、親友がいてこんなに幸せなことはない。そして、その幸せを今から生まれてくる子供にも知って欲しい。
きっと、誰かがどこかであなたをずっと見ていてくれる。
そして、愛してくれていると伝えたい。
人生には苦しいこともあるだろう。
それでも、それに勝る喜びも必ずやってくる。
──だから、みんな待っていますわ。
長く苦しい時間が流れる。
ジャレッドはロサリアの手を握りしめた。
彼らの左手の薬指にはずっと変わらずにルビーとサファイアの指輪が寄り添うように、支え合うように煌めいている。
そして、産声が一つ上がった。
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