第9話:伝わらない想いとふたつの宝石

 応接間に通されたジャレッドたちは元気そうなヴィートリヒを訝しげに見ていた。肌は青白く、目も落ち窪んでいるし頬も痩けている。

「なあ、ヴィート。僕たちは親友だよね?」

「ああ、そうだ」

「ずっと、騙していたのか?」

「まあな。でも、それはレオのためでもあったが……どうやら私たちは失敗したようだ。やはり、しっかりと話すことは大切だな……」

 ヴィートリヒはロサリアたちの仲睦まじい姿を見て寂しげな笑みを浮かべた。彼自身にもレオンハルトに話さずに、自動的に選ばれるように策を講じたのは失敗だったと今になって気づく。ロサリアを婚約者にしたのもヴィートリヒの案で、レオンハルトの後ろ盾にジャレッドをつけたかったからだ。

「ロサリア嬢、今回の騒動に巻き込んでしまい申し訳なかった……」

「い、いえ、殿下。わたくしは殿下のせいだなんて思っておりませんわ!」

「でも、ジャレッドはどうだろうね……」

「ロサリアが許すなら僕も許す」

「……いやぁ、極端だねぇ。レオにはあれだけ容赦なかったのにねぇ……本気でレオが殺されるかと思ったくらいだ」

「決闘に死人はつきものだろ?」

「そうだな。レオが死ぬかもしれないと言うのは立会人を請け負った時から覚悟はしてたさ。けど、ありがとう、ジャレッド」

「礼を言われる筋合いはないよ。僕にはロサリアがいればいいからね」

「だけどね、ジャレッド。ひとつ大きな問題があるのは忘れていないか?」

「──っ、あぁ、そうだった……このままだと僕はロサリアと婚姻を結べないんだ!」

「──っ忘れてましたわ!」

「全く、君たちは本当に実の兄妹みたいだね」

 ジャレッドたちが羨ましく思い、ヴィートリヒは羨望の眼差しを向けていた。

 しっかりとお互いの考えを話していればきっと兄弟で私たちも分かり合えたはずだ。

 もし過去に戻れるのならきっと今度は間違いはしないだろう。だが、魔法や魔術だなんてものは空想のものだ。存在しやしない。時は過去から現在を経て未来にただひとえに真っ直ぐと流れていくだけだ。

 過去を悔やむより今を、そして、未来に向けて考えていかなければならない。そのためにも、皇室の不手際であり、ロサリアの不名誉な話を解消しなければならないだろう。そして、愛し合うふたりのこともどうにかしなければならない。

「さて、ロサリア嬢。君にはふたつの方法がある。ひとつは言わずもながな、情婦としてジャレッドのそばにいることだ」

 ロサリアはそれでも構わないと思い、ジャレッドの方を見る。すると、彼は露骨に嫌そうな顔をして頬杖をついていた。ジトっとした目でヴィートリヒを一瞥すると、出された紅茶を手に取りながら一口飲んだ。

「いい紅茶だね?」

「ああ、最高級品を取り寄せているんだ。当然だろう?」

「そうだね。一番いいものを選びたい。僕もそうなんだ、ヴィート」

「ふっ、そういうと思っていたよ」

「へ……? どういうことですの?」

「あー、そうだな。簡単に言えば、ジャレッドは君を正式に妻にしたいということだ」

「〜〜っの、望むところですわ!」

 グッと拳を握りしめてファイティングポーズを取るロサリアに、ジャレッドは今すぐにでも抱きしめたくなる。だが、まずはふたつめの方法とやらをまだ聞いていない。話はそれからだ、とジャレッドはロサリアの頭を撫でるだけに留めておくことにした。

「さて、二つ目だが、ロサリア嬢を実の両親の元に返すこと──」

「──断る! ロジィを二束三文で売るような奴らだぞ!?」

「いや、何もずっと元の両親に返すわけじゃないさ。戸籍を戻すと言うだけだよ」

「だけど……」

 ぶつぶつと文句を言うが、一番それが確実だろうとロサリアも考えていた。けれども、両親に会いに行くのは不安がある。どんな顔をして会いに行けばいいのかも分からない。

「ヴィート、適当な貴族家と養子縁組するのはダメなのか?」

「それでも問題はないな。けれども、決めるのはロサリア嬢に任せたい」

「ふぇっ!? わ、わたくしですの!?」

「もう子供じゃないんだ。それに、一度会ってみておきたいとは思わないのか?」

「それは……」

 確かに気になりはする。

 生まれてから八年間は一緒に暮らしていたのだから。けれども、公爵家にいた時間の方が長く、子供の頃の記憶は徐々に朧気になってきていた。今では両親の顔もあまり思い出せないくらいだ。

 過去の因縁と言うべきか。

 ずっと引っ掛かりを覚えていたのも事実だ。

 未来に向けて踏み出すためにも、全て心残りは精算しておいた方がいいのかもしれない。ロサリアはそう考えるとヴィートリヒに向き直った。

「分かりましたわ。一度会ってみたいと思いますわ」

「いいのか、ロジィ?」

「はい、それでダメなら別の方法を考えますわ」

「分かったよ。でも、僕も絶対について行くからね」

「はわ……お兄様と実家にご挨拶……」

 ぽわぽわとした表情でロサリアは両手を頬に当てて顔を好調させていた。その姿に、ジャレッドもそろそろ限界だろうなとヴィートリヒは感じ取って話を切り上げることにする。

 こうして、ロサリアは生まれ故郷に一度戻ることが決まった。


 ・


 護衛に囲まれた馬車の中、ロサリアは不安そうにしている。彼女の隣で肩を抱き寄せるようにしてジャレッドは座り、二人はロサリアの生まれ故郷を目指していた。

「お兄様、両親はわたくしだと気づくでしょうか?」

「君に対する愛情が少しでもあれば気づくはずだよ」

「でも、お兄様はわたくしが仮面をつけただけで分からなかったですわよね?」

「そ、それを言われるとキツイなぁ……」

「ふふっ、冗談ですわ。あの時はお酒入っていましたし」

「ウンソウダネ」

 実は僕、ザルなんだ。

 そんなことを言ってしまえばロサリアはきっとむくれてしまう。ザルだということは墓場まで持っていこうとジャレッドは決意した。

 ロサリアの実家のメイヤー牧場までは片道でもひと月はかかってしまう。例の決闘の日に直ぐに書状を送ったのだが、次の日にはジャレッドが焦れだして、三日後には落ち着かなくなり、結局返事が来る前に五日目の朝には出発することになってしまっていた。

 そして、馬車は走り続け、陽の光が傾き始めた時、ふと思い出したかのようにジャレッドはロサリアに問いかけた。

「ところで、ロジィ。いつまでお兄様呼びのままなんだ?」

「へ……?」

「この件が終わったら僕たちは結婚するんだよ。いつまでもお兄様だと寂しいじゃないか。それに、特殊性癖があると思われたら僕は……」

 メソメソと両手で目元を覆い、泣き真似を始めるジャレッドを、慌ててロサリアは慰める。そっとジャレッドの頬に手を触れると、赤面しながらロサリアはジャレッドの名前を呼んだ。

「ジャレッド……」

「ロジィ……」

「な、なんだか恥ずかしいですわね……」

「僕は幸せだよ、ロジィ」

「ううっ、顔が熱いですわ」

「ねぇ、ロジィ。こっちを向いてくれないかな?」

「はい──っ!?」

 唇が触れ合い、ロサリアは目を見開いて驚いていた。だが、幸福で泣きそうになりながらも、ロサリアは笑みを浮かべてジャレッドの口付けを受け入れる。

 そっとジャレッドの手が頬に触れ、首筋へと伝い、鎖骨を撫でる。その優しく柔らかな手つきに、あの夜のことを思い出してしまい、ロサリアは全身が熱くなってきた。

 このままジャレッドを受け入れたい。

 そう思っていたが、馬車が急に止まった。

 ジャレッドは不機嫌そうな顔をして、御者席の小窓を開けた。すると、御者は顔を赤らめながらも困った顔をしている。

「あのぉ、旦那様。取り込み中のところ申し訳ございません……」

「何があった?」

「それが、前方で馬車がぬかるみにハマってうごけなくなくなっているようでして……」

「そうか。護衛を何人かやって手伝ってやれ」

「はい、そのように」

 小窓を閉めると、ジャレッドは不機嫌そうにロサリアの隣に腕を組んで腰掛けた。だが、急に馬車を止めた御者に怒っているわけではない。事前に気づいて事故が起こる前に対処したのだ。

 では何故か。

 節操のない自分自身に喝を入れているからだ。

 ロサリアが屋敷に帰ってきてからは、彼女を疑ったことへの謝罪の手紙やら、ジャレッドの婚約の祝いの手紙やらお茶会、パーティーの誘いだらけだ。以前ならば全ての誘いを断っていたというのに、ロサリアは変わっていた。

 彼女は参加出来る範囲で、招待に応じたのだ。

 ジャレッドとしては嬉しいことではあるが、少し寂しさを覚えたのは言うまでもない。

 だからといって、馬車の中でロサリアに手を出そうと言うのはさすがに見境がなさ過ぎる。反省のためにジャレッドは瞑想をして心も落ち着かせようとしていた。

 のだが、ロサリアの手が彼の太ももに触れた瞬間、煩悩は理性を一発KOにしてしまう。ドクドクとうるさいほどに心臓が脈打つのを感じながら、ジャレッドはロサリアの肩を掴んで引き寄せてもう一度キスをしようとした──だが、今度は馬車のドアがノックされた。

 ため息をつきながらジャレッドは振り返りカーテンを開けるが、誰の姿も見えない。馬車強盗か何かかと警戒するが、窓の下の方にプラチナブロンドの頭頂部がうっすらと見えていた。

「ロサリア、どうやら君の友達のようだ」

「へ……? もしかして──」

 ロサリアはドアを勢いよく開けた。

 その途端、ゴツンと何かがぶつかる音が聞こえて、慌ててドアを引き戻した。そして「開けますわよ」と声をかけてドアを開けると、そこには額を赤くして涙目になっているシェリーメイの姿があった。

「メイ! 久しぶりですわ! お元気でしたか?」

「ええ、あなたに頭をぶつけられるまでは元気でした」

 憎まれ口を叩きながらも、ロサリアは手を伸ばす。彼女の手を取ると躊躇いながらもシェリーメイは馬車に乗り込んだ。外では後続の馬車から降りた侍従たちがお茶の準備を始めている。

 今度は御者の方から小窓が開けられて、御者は申し訳なさそうにジャレッドに声をかけた。

「旦那様、随分と深く車輪がハマってた上に、車軸も傷んでいたようでして……」

「ああ、ここで野営する予定だろう?」

「左様でございます……」

「問題ない。日も落ちてきたし、判断はお前たちに任せているんだ。文句を言う筋合いはないよ」

「感謝いたします、旦那様」

 御者席の子窓が閉まると、馬車はゆっくりと路肩に寄せていく。しばらくすると、馬車用のテーブルが運び込まれ、そのまま中でのお茶会が始まった。

 シェリーメイは外でも気にしなかったが、公爵家のこの侍従の気の利きように驚きながらも、さすが格式高い公爵家の侍従だとも関心していた。

「お久しぶりですわね、メイ」

「ええ、ロジィもお元気そうですね。ついでに、公爵様も」

「……まだ君は根に持っているのかな?」

「ふふっ、冗談ですよ。立ち往生していたところを助けて頂きありがとうございます。大切な品を載せていたので助かりました」

「どうやら商いは順調のようだね?」

「ええ、お陰様で。ですが、今回は商いのために帰国するのではありません。本当は私の実家でおふたりを招いて渡すつもりでしたが……これも何かのお導きですね」

 そういうとシェリーメイは持ってきていた小箱を大切そうにロサリアとジャレッドに渡した。中を開けてみると、ロサリアには親指ほどの大きなルビーが、そして、ジャレッドの箱には同じくサファイアが入っている。

「フリューア嬢、これは……」

「私からの婚約祝いです」

「えっ、まだわたくしたち、正式には婚約の発表はしておりませんわよ!? もう外国まで広まりましたの!?」

「ふふっ、おふたりの様子を見ていれば分かりますよ。馬車の中でナニをしようとしていたことか……」

「なっ……フリューア嬢、見ていたのか!?」

「くすくすくす、あら、カマをかけてみただけですよ、公爵様?」

「〜〜っもう、ジャレッド!」

「ふぅ〜ん、婚約者らしくなったじゃないですか」

「もう、メイ! か、からかわないでくださいよぉ!」

「可愛らしいこと」

「〜〜っもう!」

 久々の親友との会話に花を咲かせながら、ロサリアたちの夜は更けていく。今日もまたお預けだなとジャレッドは人知れず涙したのをロサリアはもちろん、誰も知らなかった。

 次の日の朝、馬車の修理も終わり、ロサリアたちは途中までシェリーメイと道中を共にした。ロサリアたちは彼女の故郷に、シェリーメイは関所の方へ向かう道で別れることになる。またきっと会おうと約束すると、ロサリアは大切そうにルビーの入った小箱を抱きしめていた。

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