第8話:決闘の行方
──婚約破棄の真実を明らかにする。
その条件にレオンハルトは躊躇っていた。
最初はロサリアが気に入らなかったことから始まった。
貴族令嬢然として、どこか人間味を感じられなかったのだ。礼儀作法も完璧で、知識も知恵もあり、ダンスの腕前も他の追随を許さないほどの完璧な令嬢だった。
だからだろうか。
どの派閥にも属せずに、それでも頑張っているリリアーナの姿を見た時、どこかレオンハルトは安心感を覚えたのだ。
兄弟たちとは一人だけ母が違う。
帝国の法律のせいで、レオンハルトの母だけは正式な妻にはなれず、辛い人生を送り、そして、流行病で亡くなった。だから、自分が皇太子になり全てをあの男、皇帝から奪ってやろうと努力してきたのだ。
自分にリリアーナを重ねて、いつしか恋に落ちていた。
だから、ロサリアと縁を切るために不貞をでっち上げたのだ。その上、賠償としてエルディアン公爵家から金鉱山をひとつ手に入れた。これも聡いリリアーナのおかげだ。リリアーナがいれば幸せに全てを手に入れられたはずだ。
だが、どこで間違えた。
レオンハルトは追い詰められている。
ここで負けてしまえば自分の破滅だけでは済まない。きっとリリアーナも巻き込まれてしまう。
「なあ、兄上様よ。なんのリスクもなしに手に入るものなんてねぇんだ。要は勝ちゃいいんだ、勝ちゃあよ」
「煽るじゃないか、ユージーン……」
「別に煽っちゃいねぇよ。ただ、事実を述べたまでだぜ?」
「ちっ……」
「そこまでだ、レオンハルト、ユージーン。決闘は剣でいいのか?」
躊躇うことなくジャレッドは「もちろん」と一言だけ答えた。レオンハルトも同意すると剣に手をかけた。
鞘からスラリと細身の剣を抜くと、ジャレッドは目を閉じて深呼吸する。公爵家当主が剣を抜くにはそれ相応の理由が必要だとジャレッドは考えていた。
みだりに剣は振り回すものではない。
人を傷つけるために振るうものではない。
誰かを守るためのものである。
今回の件は、ロサリアを守るための決闘だ。
だとしたら、当然彼には迷うことなく剣を振るう理由になる。ジャレッドは静かに剣を構えた。
「いつでもいいですよ、皇太子殿下」
「──っ」
レオンハルトはジャレッドの静かな決意を目の当たりにし、心の奥底で焦りが募っていた。彼が公爵家当主として剣を抜いた瞬間、その鋭い眼差しと無言の圧力がレオンハルトを追い詰めた。
──負けられない。
レオンハルトの心臓は激しく鼓動していた。彼の頭の中には、もし自分が敗北すれば、ロサリアの不貞をでっち上げた事実が明るみに出ることがよぎる。
それだけではない。
皇族としての誇りだけでなく、これまで築き上げてきた皇太子という立場も何もかも全て水泡に帰すのだ。
レオンハルトは剣を握る手に力を込めた。
その手の震えを抑えつつ、彼は冷静を装い、視線をジャレッドに向けた。レオンハルトにとって、この決闘はただの名誉の問題ではない。自分の野望、未来、そして生き残るための戦いだった。
──絶対に負けられない。
レオンハルトは、強引に自分を奮い立たせ、ジャレッドと対峙した。その目は決して弱さを見せまいと、固く鋭く光っていた。しかし、心の奥にある恐れが彼の冷静さを蝕んでいた。それを感じたジャレッドがどのように反応するか、そして自分がこの戦いに勝利できるか、今はただそれだけが彼の全てだった。
「では──始めっ!」
病人らしからぬ声量でヴィートリヒが合図をする。
ついに戦いの火蓋が切って落とされたが、両者とも剣を構えたまま動かない。
ジャレッドとレオンハルトは、互いに一歩も譲らぬ気迫で対峙している。
緊張感が辺りを支配し、周囲の空気さえもピンと張り詰めたようだ。剣を構える二人の姿は、まるで凍りついた瞬間のように動きを止めていた。
「僕は君なんかに──決して負けないよ」
「ほざけっ!」
「どうした? 来ないならこっちから行こうか? それとも、僕が怖いのかな?」
「ぐっ……」
レオンハルトは内心の動揺を必死に隠しつつ、攻撃の隙を探っていた。だが、ジャレッドの目はまるで全てを見透かしているかのように冷静で鋭い。レオンハルトが最初の一歩を踏み出すかどうか、その刹那──。
ジャレッドが動いた。
まるで風が通り過ぎるように、レオンハルトの目には一瞬、ジャレッドの姿がかき消えたかのように見えた。そして、次の瞬間には、ジャレッドの剣が鋭く振り下ろされ、レオンハルトの剣とぶつかり合う。
──刃が触れ合う音が響く。
だが、それはわずかな瞬間に過ぎなかった。レオンハルトの剣はジャレッドの剣に押し返され、その勢いで彼の防御はあっけなく崩れ去った。ジャレッドの動きは無駄がなく、まるで初めから全てを見透かしていたかのようだった。
「チェックメイト、だね?」
「ぐっ……クソ……」
ジャレッドの剣は音もなくレオンハルトの喉元へと迫った。
レオンハルトがそれを意識した時には、すでに彼の命運は決していた。力を込めて防御しようとしたが、その意志が完全に実行される前に、ジャレッドの剣が彼の剣をするりと巻き取り中空に舞う。
レオンハルトは息を呑み、全身から力が抜けていくのを感じた。冷たい汗が彼の額を流れ落ち、敗北を悟る。
「さて、僕の勝ちだよ」
ジャレッドは目を細め、無言でその剣先をレオンハルトの喉元から引いた。その動きは、まるで決闘の勝敗が決まることなど当然だったかのような、冷静さと余裕に満ちていた。
「そん、な……レオ! 何をしているです!? 早く立って──」
「もう、勝負は決しましたわ。こういうのもなんですが、レオンハルト殿下はお兄様の温情で生きているに過ぎませんのよ」
「何よそれ! あなた、そうやって人を見下して、バカにして!!!」
「わたくしがあなたをバカにしたことはありませんわ。けれども、あなたに何もしなかったのも事実。それだけは謝罪致します……」
「何よ……今さらそんな……」
「そうですわね。わたくしたちは今さらですわ。何もかもが……」
寂しげに呟くと、ロサリアはジャレッドの元に駆け寄った。そして、彼を力強く抱きしめる。二度と離さないと言わんばかりに。
やっとのことで、ジャレッドの肩からも力が抜けていく。これできっとロサリアの名誉は挽回されるだろう。
ジャレッドは最初からレオンハルトたちを疑っていた。常に彼はロサリアを見てきたのだ。不貞なんかする暇はないと確信している。あとは、レオンハルトの口から真実を広めて貰うだけだ。そして、ロサリアに謝罪をするべきだ。
「レオンハルト殿下。真実を話してもらおうかな?」
「私は……」
地面に膝を着いたまま、レオンハルトは俯いて肩を落としている。いっその事、刃を止めずにそのまま喉を貫いてくれた方が良かったと思うくらいだ。
だが、約束は約束だ。
「私はロサリアと婚約破棄するために嘘をついた。彼女の強く出られない性格を利用して……」
「レオ……」
「リリアーナは関係ない。私が全て独断で──だから、金鉱山も公爵に返そう」
「ああ、そうだった──あれは別に返してもらわなくて結構」
途端にリリアーナが顔を上げるのをジャレッドは見逃さなかった。レオンハルトが計画したのか、それともリリアーナなのかはもはやどうでもいい。それに、金鉱山はジャレッドなりの抵抗の証でもあったからだ。
「ちなみに、その金鉱山は既に枯れてるからね」
ニヤリと笑みを見せるジャレッドをリリアーナは睨みつけている。けれども敗北者の負の感情なんか彼にはどうということはないしどうでもいい。それよりもロサリアに愛されていると言う事実の方が重要だ。
「さて、皇太子レオンハルト。申開きはあるか?」
ヴィートリヒの声に、やっとのことでレオンハルトは顔を上げる。その目は憎しみに染まり、腹違いの兄を睨みつけていた。
「……」
「ないなら良い。では、私から皇太子レオンハルトに沙汰を下す」
「何の話だ、兄上!?」
「お前は廃嫡とし、国外追放に処す」
「ま、待て! 何故兄上がそんなことを……私は皇太子だぞ!?」
「いいや、お前は皇位継承権を失った。これも父上からの命だ」
「そんな……馬鹿な……」
「では、ジャレッド、ロサリア嬢。二人には話がある。着いてきてもらえるか?」
「もちろんです、ヴィートリヒ皇太子殿下」
ジャレッドの言葉にレオンハルトは耳を疑った。
病弱で余命幾ばくもないと聞いていたヴィートリヒが皇太子に選ばれるなんてありえない。きっと間違いだと驚愕して目を見開きながらもジャレッドたちの背中を見送った。
後に残ったのは呆然と立ち尽くすリリアーナと、両手を地面についたまま顔面蒼白になったレオンハルト。そして、やれやれと言わんばかりに呆れ顔をしたユージーンの三人だった。
「ったくよ、兄上様も馬鹿だな」
「ユージーン……!」
「オレもさ、ついさっき知ったけど、ヴィート兄はお前に皇位継承権を譲るつもりだったんだぜ?」
「は……?」
「だから、ずっと病気のフリまでしてさ」
「なんでだ……なんでそんなことを……!?」
「分からないかなぁ? それとも忘れちまったのか? まぁ、忘れちまったらしょうがねぇな。とにかく、お前は調子に乗って勝手に自滅した。それが今の現実だ」
「……」
ユージーンは哀れみの目を向けてレオンハルトを見ていた。昔は腹違いだのなんだのと関係なく仲のいい三兄弟だったはずだ。もし、皇室や貴族のように跡取りのしがらみのない家に生まれていれば、そんなことを考える。だが、ユージーンは無駄な事だなと考えるのをそこでやめた。
そして、呆然と立ち尽くすリリアーナに目を向ける。彼女は失意の中「嘘よ」だの「そんなはずはない」だのとブツブツと呟いていた。
こりゃもうダメだな。
レオンハルトが本当に可哀想で惨めで哀れに思えてくる。本当にレオンハルトを愛しているのなら、まずは彼の身を案じるものではないだろうか。
きっとオレならそうするな。
好きな人が悲しんでいたならばそばに寄り添う。
それは男だろうと女だろうと変わらないのではないか。
リリアーナが案じているのは自分の身の上だけのようで、ユージーンは見ていられなくなった。
「なぁ、フェリシモ男爵令嬢。さっきヴィート兄の言葉を覚えてるか?」
「何の話ですか……!?」
「はぁ……レオのやつが皇太子じゃなくても変わらずに愛していられるかってことだ」
「……」
「どうやら、お前は
何も答えられずにリリアーナは口を噤んでいた。
もう全て終わってしまったことだ。
一度水瓶からこぼれた水が戻らないように、壊れたグラスが戻らないように全てが手遅れなのだろう。
ずっとユージーンはレオンハルトに負い目があった。
それはヴィートリヒも同じのようだ。
だから、人一倍努力していたレオンハルトになら皇太子を、そして、玉座を任せられると思い、ヴィートリヒは病人の振りをし、ユージーンは遊び人の振りをしていた。これもレオンハルトに負い目を感じさせないためだったのだが全て失敗だったようだ。
「兄上様よ、オレは残念だ……」
そう言い残すとユージーンは庭園を出ていく。そして、最後に取り残されたのは敗北した二人だけだ。
レオンハルトの視線はどこか虚ろで、まるで夢から覚めたばかりのようだった。今まで信じてきた全てが崩れ去り、彼の中で何かが壊れてしまったのだ。
「もう、終わりにしよう、リリィ……」
立ち上がると振り返らずに歩き出した彼の背中は、もう二度とリリアーナを振り返ることはなかった。
残されたリリアーナは、地面に崩れ落ちて泣き出すことしかできなかった。全てが終わったのだ。レオンハルトも、彼女も、そして彼女が夢見ていた未来も。
「さよならだ、リリアーナ」
レオンハルトのその言葉は、冷たく響き渡った。彼女の涙は止まらず、その声も届かない。すべてを失った二人は、やがて静かにその場から姿を消していく。
数日後、レオンハルトは廃嫡になり、国外へ留学と報じられた。リリアーナも同じく留学という体裁の国外追放が決まってしまう。二人が二度と戻って来ることはない。野心と共にそのうち存在すら忘れ去られるだろう。
ジャレッドとロサリアが新たな未来に向かって歩み出す一方で、レオンハルトとリリアーナの物語は、静かに幕を閉じたのだった。
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