第7話:ロサリアの戦い

 緊迫した空気の中、ロサリアにはジャレッドがどんな顔をしているのかが見えない。けれども、声色から相当怒っているのは分かった。いつも優しく柔らかな声で名前を呼んでくれたジャレッド。その彼が殺意と敵意を込めた声で凄んでいるのを聞いたのはもちろん初めてだった。

「お、お兄様……?」

「大丈夫だよ、ロサリア」

 いつもの調子で答えると、ジャレッドはロサリアを振り返る。ジャレッドの顔は優しい笑顔を見せていた。彼の笑顔を見た途端、ロサリアは安心していた。きっとジャレッドに任せておけば大丈夫だろう。

 けれども、任せっきりでいいのだろうか。

 そうも考えてしまう。

 わたくしは弱い。

 一番逃げていたのはわたくしではありませんの?

 もっと強くなりたいですわ!

 震える手を握りしめて、ロサリアはやっとのことでベンチから立ち上がる。

 ふと空気が変わるのをジャレッドもリリアーナも、そして、レオンハルトも感じていた。

 もう大丈夫ですわ。

 だって、お兄様がいますもの。

 枯れかけていた黒薔薇が大輪の花を咲かすように、ロサリアの顔から怯えの感情が消えていく。その姿にリリアーナは目を見開いて驚いていた。

 そこには何にも屈せず、社交界を支配し続けてきた黒薔薇姫の姿がある。キッと睨みつけるのだが、ロサリアは余裕の笑みでリリアーナの黒く澱んだ感情を軽く受け流した。

「フェリシモ男爵令嬢。わたくしもあなたに決闘を申し込みますわっっっ!!!」

 覇気の戻った顔で、ロサリアはビシッと右人差し指をリリアーナに向けて宣言した。やれやれと言わんばかりにジャレッドは口元を綻ばせている。一番驚いていたのはリリアーナだろう。皇太子を奪い、世間の評価もズタズタにしたはずだ。

 策略は上手く行き、もう立ち上がれないほどに完膚なきまでに打ちのめしたはずだった。だと言うのにどういうことだ。ロサリアはまた立ち上がり、あまつさえ決闘を申し込んできた。

「な、何を……私がどうしてあなたなんかと決闘をしなくてはならないんですか!?」

「わたくしが──ロサリア・フォン・エルディアンだからですわ」

「はぁっ!? 意味がわからないのだけど!?」

「エルディアンは膝を折ってはならない。誰にも屈してはならない。やっとお父様の言葉を理解出来ましたの……わたくしのエルディアンとしての心が叫んでおりますわ──あなただけには決して屈してはならないと!」

「──っ」

 リリアーナは言葉を失っていた。

 こんなはずではなかった。

 もう勝負はついていたはずだったと言うのに、どうしてここまで立ち直れるのか。いや、違う。以前に増してロサリアからは覇気を感じられる。誰にも負けない、負けてはならないと言う確固たる意志がロサリアにはあった。

「ロジィ、決闘は僕に任せていいんだよ?」

「いいえ、お兄様。わたくしはわたくしの不始末にケリをつけますわ。そうでなくては、わたくしは恥ずかしくてお兄様の隣に立てませんもの!」

 ああもう、ロジィが健気可愛すぎて辛い。

 緊迫した空気の中、ジャレッドの顔はへニョへニョににやけている。こんな状況でなければすぐにでも抱きしめて口付けをしたいくらいだ。

「けれども、どうやって決闘をするのかな、ロジィ?」

「……」

「まさか考えて──」

「わ、わたくしとてエルディアンの名を持つ者ですわ。相手の得意なものでも正面から打ち破ってみせますの!」

「あ、うん。そうだね、ロジィ」

 全く考えていなかったんだろうとジャレッドは微笑ましくロサリアを見つめていた。だが、ロサリアのポンコツぶりに気づいていないのかリリアーナは親指の爪をガリガリと噛みながらロサリアを睨みつけている。だが、ふっと悪巧みでも考えついたのかリリアーナは笑みを見せ、口を開いた。

「では、詩で決闘をしましょうか?」

「……望むところですわ!」

 勝ったとリリアーナは確信していた。

 国内の詩の品評会でリリアーナは最優秀賞を貰った実績がある。これが彼女の中で絶対的な自信のひとつだった。負けるわけがない。

「では、勝敗は誰に判断してもらいましょうか?」

 リリアーナは不敵な笑みを浮かべている。宮廷に仕える詩聖や詩人たちは彼女の手の内にあった。既に宮廷内への彼女の売り込みと根回しは既に済んでいる。故に、勝ちは揺るがない。どれだけ完璧な詩作ろうとも判定は決まっているのだから。

「私が立会人をしよう」

 予想外の言葉をかけられて、リリアーナは振り返った。するとそこには灰色の髪の青年が静かに佇んでいる。そして、彼の後ろにはやんちゃそうな顔をした青年が付き添っていた。

「ヴィートリヒ第一皇子に、ユージーン第三皇子……何故殿下たちがここに……!?」

 ユージーン第三皇子は、紫水晶のように輝く目には常に好奇心といたずら心が混じり、何か新しい冒険を探しているような輝きを放っている。灰色の髪は短く切り揃えられているが、まるで風に逆立つかのように無造作に立っており、そのスタイルが彼の奔放さとやんちゃな性格を際立たせていた

 どこか落ち着きがなく、常に動き回っているような印象を与える彼は、まるで永遠に少年の心を持ち続けているかのようだ。しかし、その背後には、皇族としての誇りと知恵が垣間見え、彼の表面的なやんちゃさとは裏腹に、状況を鋭く観察する冷静さも持ち合わせていた。

「おいおい、ここはオレたちの家でもあるんだぜ? なぁ、ヴィート兄?」

「ええ。私たちの家の中で喧嘩するなら叩き出すのですが……決闘となれば見届けるしかあるまい」

「──っ兄上、これは私たちの問題だ! 口を挟まないでくれ!」

「レオ兄、あんまり調子乗ってっと──寝首かくぞゴルルア!」

「──っ兄に向かってその口の聞き方はなんだ!」

「ふふふ、それはお前もだよ、レオンハルト? お前も口の利き方がなっていないのではないかね?」

 レオンハルトは焦っていた。

 あれが病気で死にかけていたヴィートリヒなのだろうか。堂々とした佇まいは、父である皇帝を思わせるほどだ。このままではまずいとレオンハルトは冷や汗が頬を伝うのを感じた。

 リリアーナの詩は最優秀賞を取るほどの実力がるだろう。だが、前回の品評会で一番宮廷の詩人たちを騒がせていたのは──ロサリアの詩だった。それが気に入らなくて、レオンハルトは圧力をかけてリリアーナの詩を最優秀賞にさせたのだ。

 確かにリリアーナはそこらの木っ端詩人より実力がある。けれども、品評会の時、レオンハルトでさえロサリアの詩に心動かされてしまったくらいだ。このまま決闘立会人が買収できない兄弟になってしまえばどうなるか分からない。

「レオンハルト、お前が選んだ女を信じられないのかね?」

 煽るような口調のヴィートリヒに、レオンハルトは奥歯を噛み締めた。そうやって人を見下すような目は皇帝にそっくりで、レオンハルトは嫌悪感を顔に出している。

 ヴィートリヒやユージーンと違い、自分だけが妾の息子だ。けれども、最終的に皇太子の席を勝ち取ったのは自分だと言い聞かせると、落ち着きを取り戻して告げた。

「リリアーナがあんな女なんかに負けるはずがない。いいでしょう、兄上たちに任せます」

「では、話は決まったな。ジャレッド、君もそれでいいな?」

「ええ、ロジィの実力は誰よりも僕が知っていますから」

 ヴィートリヒは「よろしい」と頷くとロサリアたちに向き直る。決闘の場がこの庭園だと言うのは実におあつらえ向きだとヴィートリヒは感じていた。

 彼はふと庭園の花に目を向ける。

 全盛期を過ぎた薔薇が静かにその役目を終えかけ、かれ始めていた。その隣では、今まさに百合の花が誇らしげに咲き乱れ、その純白の花弁が風に揺れている。しかし、その中にひときわ目を引く蕾があった。遅咲きの薔薇が、今まさに開花の時を迎えようとし、ロサリアが再び咲き誇るのを待つかのように、慎重にその蕾をふくらませていた。

「では、どちらから詩を発表してもらおうか?」

「私からでよろしいでしょうか、お義兄様?」

 リリアーナに義兄と呼ばれてヴィートリヒは僅かに口元がぴくりと動く。だが、直ぐに気にした様子もなかったようにリリアーナに告げた。

「了承した。では、リリアーナ・フェリシモ男爵令嬢が先手だ」

 自分の実力を疑わないリリアーナはほくそ笑むと、朗々と即興で詩を披露し始めた。


 ──玉座の上で君臨する者よ

 その輝きは太陽にも劣らず

 私たちを導く光のよう

 あなたの言葉は剣となり

 すべての敵を薙ぎ払う

 私の心は忠誠を誓い

 あなたに捧げられる

 その力、権力、栄光を

 共に歩む者として


 だが心の中で

 本当の愛を求める声が

 静かにささやき続ける

 何も求めず、ただ側にいたいと──


 力強い詩に、レオンハルトは満足した様子だ。ヴィートリヒも納得したかのように深く頷いている。だが、ユージーンだけは眠そうでつまらなさそうな顔をしている。まるで、オレが聞きたい詩はこんな皇室を礼賛するような表現じゃないとでも言いたげだ。

 ユージーンの様子に不快感を覚えながらも、負けるわけがないとリリアーナは得意げな顔をしていた。これで、精神的に脆いロサリアはきっとミスをするだろう。そこまで加味しての先手をとったのだ。

「では、続いてロサリア・フォン・エルディアン公爵令嬢」

「はい、殿下──」


──私は嵐の中の一輪の黒薔薇

 暗闇に咲き、孤独に揺れる花

 多くの者がその棘を恐れ、

 誰もが触れることをためらう


 けれど、あなたは違った

 私の棘をも愛し、その花弁を優しく包む

 私の孤独を解き放ち、

 その手で温かな光を与えてくれた


 あなたがいるから、私は咲く

 あなたがいるから、私は生きる

 私はもう一人ではない

 あなたという太陽に照らされて、

 私はもっと強く、美しく咲くことができる


 私の愛する人よ

 あなたのためなら、私はどこまでも強くなれる

 この心は、永遠にあなたのもの──


 ロサリアが詩を詠み終わると、あたりは静寂に包まれていた。美しくセイレーンが歌うかのような声で詠う彼女の瞳からはダイヤモンドのように煌めく涙が伝っている。

「ロジィ……僕は……ぐすっ……幸せすぎて死にそうだよ」

「わたくしも、ですわ」

 男泣きをするジャレッドにロサリアはハンカチを渡しながら微笑んでいた。

「うん、これは決まりだな。オレはエルディアン公爵令嬢に一票」

「ああ、私も文句なしのロサリア嬢に一票だな」

 オーケストラの演奏を聴いたあとのような満足感を覚えながら、彼らは迷うことなくロサリアの勝利を告げていた。だが、それに納得するわけもなくレオンハルトは声を荒らげている。

「馬鹿な! そ、そうか、エルディアン公爵! 貴様が兄上たちを買収したんだな!?」

「兄上、みっともないぜ? オレは誰の賄賂も受け付けねぇ。真に美しいものにこそ価値があるんだからなぁ」

「──っ、兄上もどうしてあんな女の方を選ぶんですか!?」

 立会人が二人になってしまったが、逆に言えば意見が割れると再戦になる。勝つか再戦しか頭になかったレオンハルトは焦りに焦っていた。浅はかにも彼は必ず勝てると思っていたが、ロサリアの詩によって真っ向から打ち砕かれてしまっている。

「どうしてロサリア嬢なのか……答えは明白だ。残念ながら、フェリシモ男爵令嬢はお前のことを皇族であるレオンハルトとして詩を送った」

「それの何が悪いんですか!?」

「悪くはない。だが、ロサリア嬢の詩はただひとえにジャレッドに対して向けた詩だ。エルディアン公爵でもなく、ただのジャレッドと言う男に向けた、な」

「そ、そんなことで……私が負けだと言うのですか!?」

 ヒステリックに声を上げるリリアーナにヴィートリヒもユージーンも心底不快そうな顔をしている。

 負けるはずなんかない。

 誰よりも努力をして人に好かれるように勉強して皇太子妃と言う立場も自分の手で手にしたのだ。こんな努力のの字も知らないような女に、生まれながら全てを持っていた女に負けるのか。

 そんなのはありえない。

 怒りに歯を食いしばり、拳を握りしめるリリアーナの顔は酷いものだ。だが、そこにユージーンが追い打ちをかけるかのように告げた。

「お前の詩は表面しか見ていない。愛を理解していないんだよ。真の愛を知るエルディアン公爵令嬢には逆立ちしても勝てるわけがないさ」

「──っ何が真の愛ですか! わ、私だってレオを愛しています!」

「そうか、その言葉、違えるなよ?」

「も、もちろんですお義兄様!」

 これで勝負がついてしまうのか。

 レオンハルトは追い詰められていた。

 このままでは終わらせないと腰に携えた剣の柄に手を伸ばし、ロサリアに向かって行く。この女さえいなければ、勝者さえいなければリリアーナの勝ちだと彼は錯乱し始めていた。

 鞘から刃が抜かれ、振り下ろされる。

 だが、その凶刃がロサリアに届くことはない。

「レオンハルト殿下、相手を間違えてはいないだろうか?」

 レオンハルトの剣はジャレッドに止められていた。

 ジャレッドは剣を抜くこともなく、斬りかかったレオンハルトに肉薄し、彼の剣を持つ右腕を掴んで止めている。

「さて、ヴィート。今度は僕とレオンハルト殿下の決闘の立会人も引き続き頼んでもいいかな?」

「もちろんだとも、友よ。だが、忘れていたことがあってだな。決闘は何かをかけてもらわねばならないだろう? 誇りだけでなく、何かを」

「でしたら、わたくしを賭けますわ。ですわよね、お兄様?」

「──っ絶対に負けられなくなったな。まぁ、元より負けるつもりはない。僕が負けたらロサリアを諦め、僕は国外追放でもなんでも受け入れるよ」

「公爵家当主が国外追放は困るな……」

「じゃあ、エルディアン公爵令嬢はオレが貰うでいいだろ?」

「──話を勝手に進めるな、ユージーン!」

「黙れよ卑怯者。今すぐオレが叩っ斬ってやってもいいところをジャレッドが決闘してやろうっつってんだ。勘違いしてねぇか?」

「……クソ!」

「では、君が勝った場合、何を望む?」

 ヴィートリヒに問われるが、ジャレッドの答えは最初から決まっていた。

「婚約破棄の件に関して、真実を公表してもらおうか──!」

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