第6話:迎えに来たよ
ついに旅立ちの日になってしまった。
ロサリアはもう二度と帰ってこないつもりで馬車に乗り込む。隣には新しく出来たシェリーメイと言う友人が座っているおかげか少し気分が落ち着いた。
「いいんですね、ロジィ?」
最終確認をするかのようにシェリーメイが声をかけてくる。ロサリアは「もちろんですわ」と寂しげな笑みを浮かべて答えた。
馬車は走り出し、街道を南へと向かう予定だ。そこから関所を抜けて国外へと向かう。
一ヶ月と言う長い度になる。
窓から見える景色を眺めながら、ロサリアは今までのことを思い返していた。
落ち込んで一人で部屋に籠って泣いている度に、二階の窓からジャレッドが慰めに入ってきたこと。
夕食で嫌いなにんじんをこっそりとジャレッド食べてくれた。けれども、見つかって二人して怒られたのも思い出す。
毎年、誕生日にはジャレッドが新しいドレスと靴をプレゼントしてくれた。好物のレモンケーキも焼いてくれたが、失敗して丸焦げで、
どの思い出の中にもジャレッドの姿がある。
けれども、もう二度と会えない。
会えなくなる。
我慢していたのに塞き止めようとしても涙が溢れ、嗚咽が止まらない。
やっと分かった。
──きっと、わたくしはお兄様のことを愛していたんですわ。
胸が締め付けられるほど苦しくなって、それでも彼の笑顔を見る度に幸せを感じた。
苦しくて悲しくてロサリアは両手で顔を覆いながら声を上げて泣いていた。
シェリーメイは宥めるように優しくロサリアの背中を擦りながらも怒り心頭だ。ロサリアを愛していると言いながらも出立の時間も伝えたのにあの男は迎えに来なかった。
最低なクズ男だ。
ロサリアにもそのことを落ち着いた時に、いや、一生伝えない方がいい。
あんな男なんか忘れて、ロジィは幸せになるべきだ。
突然、馬車が止まり外がにわかに騒がしくなる。護衛たちが馬車を護るように取り囲んでいく。もしかして、馬車強盗かとシェリーメイは焦っているが、御者席の小窓が開けられて、御者が声をかけてきた。
「お嬢様、進路上に仮面をつけた変な男がいるんですが……その、ロサリア様を迎えに来たと……」
「変な仮面……? まさか……」
シェリーメイは護衛に止められるのも聞かず、馬車から飛び出すように降りた。すると、確かに御者の言う通り──シェリーメイ曰くセンスのない──黒い布仮面をつけた男が青毛の馬に乗って進路を塞いでいる。
なるほど、そういう事でしたか。
シェリーメイは納得していた。
ロサリアは仮面舞踏会で一夜を共にした男にも逃げられたと嘆いていたが、正体を明かす訳にいかない事情を察した。仮面をつけていて知らなかったにしても、義理の妹に手を出したのだ。けれども、ロサリアに対する愛よりも世間体を取ったジャレッドにまた怒りがふつふつと湧いてきた。
「あなたたちはここで待機。あの方は間違いなく私がお呼びましました」
「しかし、お嬢様!」
「白馬……ではないですが、王子様がお姫様を迎えに来たんです。邪魔するのは野暮ですよ」
「お、王子? え? お嬢様ぁ!?」
混乱する護衛を無視して、シェリーメイは彼女いわくクソダサ仮面の王子様の所へと向かう。そして、開口一番、彼に告げた。
「仮面のセンスは最低ですね。さっさと外したらいかがですか?」
「そうはいかないよ、フリューア嬢。と言うか、そんなにセンスないかな?」
「ええ、ありませんね。公爵閣下は素顔が一番素敵ですからね」
「えっ……ああ」
「何してるんですか? 着いてきてください。それとも、お姫様を歩かせるつもりですか?」
「──っそうだな。僕が迎えに行かなければな」
シェリーメイに伴われて、ジャレッドは馬車へと向かう。馬から降りると、彼は大きく深呼吸して心を落ち着かせた。
そして、馬車のドアを開ける。
そこには泣き腫らした顔のロサリアが座っていた。
ジャレッドはその顔を見て泣きそうになる。ここまでロサリアを悲しませてしまった罪悪感と、自分自身の不甲斐なさが腹立たしい。ロサリアを傷つけた僕に泣く資格はないと自罰的に涙をこらえた。
「あ、あなたは……」
「すまない、遅くなってしまった」
「どうして……どうして、今さらなんですの……?」
ロサリアが声を絞り出すようにして呟く。彼女の目にはまだ涙が浮かんでおり、唇は震えている。
仮面をつけたジャレッドは、一歩、彼女に近づく。しかし、その一歩が彼にどれほどの勇気で踏み出したか、彼女は知らないだろう。
「君に、どうしても伝えたいことがあるんだ」
彼の声は低くどこか沈んでいる上に、声が震えている。それでも、その言葉には強い決意が感じられた。
「あなたは……誰ですの?」
ロサリアは不安げに尋ねる。仮面の男の声にどこか聞き覚えがある気がするが、動揺と涙のせいで確信が持てない。
ジャレッドは答えず、彼女の手をそっと取り、唇に軽く触れるように口づけをした。その瞬間、ロサリアは自分の心の中で何かが震えた。ロサリアは一瞬、驚きに目を見開いたが、すぐに首を振った。
「まさか……いえ、そんなはずは……」
ジャレッドはもう片方の手で仮面に触れ、ゆっくりと外した。その瞬間、ロサリアは息を飲んだ。彼の顔が仮面の陰から現れると、そこには彼女がずっと慕い、そして愛してきたジャレッドの顔があった。
「お兄様……」
ロサリアは呆然としたまま、彼の顔を見つめる。彼が自分の前に立っていることが信じられず、目の前の光景が夢か幻かのように感じられた。
ジャレッドは優しく微笑み、彼女の手をしっかりと握り直した。
「僕だよ、ロジィ。君を迎えに来た」
ロサリアは彼の顔に触れようと手を伸ばし、震える指先で彼の頬を撫でた。ジャレッドの目に浮かんだ涙が、彼の頬を伝って落ちた。
「どうして……なんでお兄様が……?」
「本当にごめん。僕は……君を守りたかったけど、君を失うことが怖かった。だから、逃げていたんだ」
「そんな……それでは、わたくしはずっと一人で……」
ジャレッドは彼女を強く抱きしめ、耳元で囁いた。今度こそ手放さない。今度こそ逃げ出さないと心に決めて。
「ロジィ、愛している。僕が君を絶対に幸せにする。君が望むなら、何度でも誓うよ」
ロサリアはその言葉を聞いて、再び涙を流したが、その涙はもう悲しみのものではなかった。彼女は静かに頷き、ジャレッドの背中に手を回して彼に寄り添った。ジャレッドは彼女を離さず、さらに強く抱きしめた。
「お兄様……わたくしも愛しておりますわ……!」
「ロジィ……君がそばにいる限り、僕はもう何も恐れない。これからは二人で、未来を歩んでいこう」
馬車の外でシェリーメイは二人の姿を見守り、静かに微笑んでいた。彼女は護衛たちに手を振って合図し、そっとその場を離れた。今この瞬間だけは、二人のものにさせてあげたかった。
ジャレッドはロサリアの手を取り、外に連れ出した。青毛の馬が彼らを待っている。ジャレッドは彼女を馬に乗せ、自らもその後ろに乗り込んだ。ロサリアは振り返り、ジャレッドを見上げた。
「さあ、行こうか」
「ええ、お兄様。わたくしは、あなたと共にどこへでも行きます」
馬はゆっくりと動き出し、二人は新たな未来へと進んでいった。
「はぁ……全く、世話のやける兄妹ですね」
シェリーメイは二人の姿を見送った後、静かに深呼吸をした。彼らが馬に乗って進んでいくのを見つめながら、心の中で新たな決意を固めていた。自分もまた新たな旅路へと向かうのだ。ロサリアとジャレッドの幸せを願う気持ちを胸に、彼女は一人、再び馬車に乗り込んだ。
「羨ましいわね。私も迎えに来てもらえばよかったわ」
彼女はそう呟きながら、肩を竦めていた。
・
「すまない、ロジィ。帰る前に少し宮殿に寄る用事があるんだ」
ひとまず帝都に着くと、ジャレッドは申し訳なさそうに声をかけた。なんの用事があるのかは分からないが、ジャレッドが宮殿へ向かう時は大事な話があるときだ。ロサリアとしてはあまり近寄りたい場所ではないが、黙って頷いた。
王宮へ到着すると、ジャレッドは謁見の間へと向かっていく。ロサリアは致し方なく庭園でしばらく待つことにした。
庭園は、宮殿の中でも特に美しい場所として知られている。石畳の小道が幾何学的に整えられた花壇を縫うように走り、色とりどりの花々が咲き誇っていた。バラやチューリップ、ユリといった高貴な花々が風に揺れ、その香りが穏やかなそよ風と共に漂っている。
庭園の中心には大理石でできた噴水があり、透明な水が涼やかに流れ落ちる音が静かな空間に響く。噴水の周りにはベンチが配置され、ロサリアはそこに腰を下ろしてジャレッドの帰りを待つ。噴水の向こうには、手入れの行き届いた緑の芝生が広がり、庭師たちが丁寧に手をかけた植え込みが点在している。庭園全体が、まるで絵画の中の一場面のようだった。
しかし、その美しい景色に包まれても、ロサリアの心は安らぐことはない。
過去にこの庭園でレオンハルトと共に散歩をした記憶が蘇る。その時、レオンハルトは形式的にエスコートし、笑顔を見せてはいたが、その瞳にはどこか冷たい光が宿っていた。ロサリアもまた、その微妙な距離感を感じ取り、心から楽しむことはできなかった。その日のことを思い出しながら、ロサリアは不安と共に庭園の静けさを感じ取る。
周りの美しい自然とは対照的に、彼女の胸の内には複雑な感情が渦巻いている。ジャレッドが謁見で何を話しているのか、何が決まるのか、その結果次第で自分たちの運命が大きく変わるかもしれない。そう考えると、庭園の穏やかな風景もどこか落ち着かないものに感じられた。
ロサリアは噴水の水音に耳を澄ませながら、ジャレッドの無事を祈りつつ、彼の帰りを待ち続けていると会いたくない人物たちが近寄ってきていた。
「こんなところで何をしているんだ、ロサリア?」
そこにいたのは、仲睦まじく腕組みするレオンハルトとリリアーナだった。もしかしたら出会ってしまうかもしれないと危惧していたが、嫌な予測が当たってしまい、ロサリアは息が詰まる思いだ。
「レオ、衛兵を呼んで追い出しちゃいましょうよ。婚約破棄されて信用も信頼もないこんな女がこの場にいるのは虫唾が走るわ」
「そうだな。おい、ロサリア。何か言ってみろよ。弁解があるなら聞いてやるぞ?」
「わ、わたくしは……」
「聞こえませんねぇ。はっきりと申したらどうですか? ほら、いつもの澄まし顔はどうしたんですぅ?」
あの黒薔薇姫が弱々しく目に涙をためているのを見てリリアーナは気分がいい。最初は本当に憧れていたが、いつしかその憧れは醜く変わってしまった。羨みから嫉妬に変わり、最後には憎悪へと燃え上がった。
ただ運良くエルディアン公爵家に生まれただけで優遇されて皇太子の婚約者になるなんて許せない。与えられるだけ与えられて何も努力をしていない生まれだけの女に負けるつもりはなかった。憎悪のこもった目でリリアーナはロサリアを睨みつける。
そして、手を振りあげた。
今は私の方が上なんだと分からせるために。
だが、振り下ろそうとした右腕が動かない。
振り返ると、がっしりと腕を掴まれていた。
視線の先にはジャレッドが立っていた。
彼の紅玉の瞳はは冷たく光り、普段の落ち着いた表情とはまるで別人のようだ。顔つきは鋭く険しく、まるで氷の刃のような冷徹さが漂っている。リリアーナの腕を掴む手は、まるで鉄のように固く、逃れることは不可能だった。
「何をしようとしたんだ、フェリシモ嬢?」
ジャレッドの声は低く、だがその言葉には怒りがにじみ出ていた。その音に込められた冷たい怒りは、まるで周囲の空気を凍りつかせるかのようで、リリアーナは瞬間的に怯えを覚えた。
「聞こえなかったのか? お前は、何をしようとしたんだと聞いているんだ」
ジャレッドが冷たく問いかける。
彼の声には、怒りが抑えられないほど沸き上がっており、リリアーナはその視線に怯んだ。彼の目には明確な敵意が宿り、リリアーナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「私はただ……!」
リリアーナは言い訳しようとするが、ジャレッドの視線がそれを許さないかのように鋭さを増す。彼はリリアーナの腕をさらに強く掴み、力の込められたその手は彼女の動きを完全に封じていた。
「ロサリアに手を上げようとしたことを、許すと思うか?」
ジャレッドの声には明らかに警告の色が濃く、リリアーナは言葉を失った。彼の瞳には、容赦のない決意が浮かび、彼が本気で怒っていることを誰の目にも明らかにしていた。
その瞬間、リリアーナは初めてジャレッドがどれほど恐ろしい存在であるかを理解した。彼の圧倒的な存在感と冷酷な怒りが、彼女を追い詰め、逃げ場を完全に失わせたのだ。
「放せ、エルディアン公爵! 私の婚約者を傷つけるのは許さない!」
「何が婚約者だ。貴様の婚約者はロジィだったはずだ。何故こんな売女とすり変わっているんだ?」
「売女だと!? リリアーナを侮辱するなら──」
「するなら、なんだ?」
「くっ……」
ジャレッドはリリアーナを鋭く睨みつけた後、振り返るとレオンハルトに向き直った。彼の表情には、これまでに見たことのない激しい怒りが燃え上がっていた。
レオンハルトは口を開こうとしたが、その瞬間、ジャレッドは手にしていた手袋を勢いよく投げつけた。手袋はレオンハルトの胸に正確に当たり、そのまま地面に落ちた。ジャレッドの動作には、怒りに満ちた決意が込められており、その場にいた全員が息を飲んだ。
「貴様に決闘を申し込む」
ジャレッドの声は低く、だが確固たる決意が滲んでいた。
「貴様がロサリアに対してしたこと、その代償を払わせてもらう」
レオンハルトは一瞬、驚きの表情を見せたが、それはすぐに冷静さを取り戻した。彼はジャレッドの目を真っ直ぐに見返し、緊張が走る空気の中、手袋を拾い上げた。
「……っ受けて立とうじゃないか!」
レオンハルトは静かに応じたが、その声は微かに震えていた。彼もまた、ジャレッドの怒りを感じ取っていたのだ。
その場に沈黙が訪れる。
ジャレッドの目には決して消えない怒りの炎が燃え続けており、彼がこの戦いに全力を尽くす覚悟を決めていることが明らかだった。レオンハルトもまた、逃げることなくその挑戦を受けるつもりだった。
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