第3話:ベッド・イン・ウィズ・シスター
──妹と寝てしまった。
ベッドに腰掛けたまま、仮面を外したジャレッドは頭を抱えている。ベッドでは酔いつぶれた艶やかな黒髪の女性がすやすやと寝息を立てていた。
ベッドの上で眠る仮面舞踏会で出会った令嬢が、いや、妹が身動ぎをしてしまい、慌てて彼はまた仮面をつけたが逆さまだ。
そのまましばらく様子を窺うが、彼女はまだ夢の中らしい。
ジャレッドは安心するとため息をひとつついた。
そして、仮面舞踏会なんかに参加するんじゃなかったと言う後悔と、参加してよかったと言う充足感の中でのたうち回っている気分だ。
上級貴族の中でも婚約者のいない男女が参加する舞踏会だった。
つまり、身分を、顔を隠して行うお見合いのようなパーティーだ。
最初は気が乗らなかったが、ジャレッドはパーティー会場の端で小さくなっている令嬢が目に入った。どこか所在なさげで、場に馴染めないその令嬢の姿が、どこか幼い頃に養子として連れてこられた妹と似ているように感じた。
ジャレッドは迷うことなくその令嬢に声をかけることにした。
「レディ、一緒にお話でもいかがですか?」
ビクリと身を震わせる彼女の姿に、ジャレッドは何となく彼女の事情を察した。
と言うのも、不安そうな様子から見るに、どうやらこういう場に慣れていない様子だ。
もしかしたら、この令嬢は友達にでも連れてこられたのかもしれない。
「僕は友人に誘われて来たんだが、君も?」
「えっと……その、いえ、私は自暴自棄になりまして……それで、来たんです」
「自暴自棄? 何があったのかお聞きしても?」
これも何かの縁だ。
話くらいは聞いて、俺も時間を潰して適当に帰ろうと彼は考えていた。
ジャレッドはその令嬢に手を差し出して、バーカウンターへと案内する。そして、甘く、度数が低く、飲みやすい酒を頼もうとした。
「マティーニ。オリーブを三つでください……」
「──っ!?」
「なんですか? 似合わないって言いたいんですか?」
「結構強いお酒ですが、大丈夫ですか?」
「それなりに酔いたい気分なんです」
「そうでしたか……」
苦笑いしながらもジャレッドはバーテンにシングルモルトのウイスキーをロックで頼む。二人の手元に酒が届くと、静かにグラスを傾けて乾杯をした。
「それで、何があったんですか? お聞きしますよ」
「笑わないでくださいね?」
「もちろん、笑いませんよ」
「……婚約破棄されました」
「──っ」
ジャレッドは笑うに笑えなかった。
養子として公爵家に迎えられた彼の妹も、王太子との婚約破棄をされていたからだ。しかも、それはまだ三日前のことだった。
「どうしましょう……私、家に居場所がなくなりました……」
ジャレッドも婚約破棄がもたらすものがどんなものかを理解しているつもりだ。
自由恋愛よりも政略結婚が主流な世間だ。
彼女の言うとおり、家での立場を失ってしまう。その相手の地位が高ければ高いほどだ。これだけへこんでいる様子から見て、彼女の家門よりも高い地位の男が婚約者だったのだろう。
「実は、私の妹も先日婚約破棄されてしまいましてね……」
「そう、だったんですね……」
「でもね、妹は私にとって大切な人なんです。だから、私は何があっても守ると決めたんですよ」
「そのお方が羨ましいです」
「あなたは、頼れる伝手はないんですか?」
「ありません。私は両親から売られたも同然なので……帰る場所もないんです」
「でしたら、私のところに来ますか?」
「冗談はよしてください」
「あははは、そうですよね。まだ出会ったばかりですし、こんなパーティーでは顔も分からないのに」
「そうですよ。多分、私なんかに声をかけてくださるなんてあなたはきっといい人です。でも、兄様が仰ってました。男は狼なのだそうです」
この時のジャレッドは自分と同じように、妹の身を案じるやつがいるんだなくらいにしか考えていなかった。
そのうち酒も進み、二人はいい感じに出来上がっていく。
「ほんと、浮気だなんて最低れす!」
「その通りだ! レディの言う通りだ!」
ほとんど人がいなくなったバーカウンターに二人の文句がたれ流されていく。
そんな中、申し訳なさそにバーテンダーが二人に声をかけた。
「恐れ入りますが、そろそろパーティーもお開きなのですが……」
「だそうれすよ?」
「なんだ、もう終わりか。最後にもう一杯だけいいかな?」
「分かりました。もう一杯だけですよ」
そういうと、バーテンダーは二人の注文の通りに酒を用意する。グラスを手にすると、ジャレッドたちはもう一度乾杯をした。
「クソッタレな世界に──」
「かんぱぁ〜い!」
グイッと二人は一気に酒を呷る。
すると、限界が来たのか令嬢は空になったグラスをカウンターに置くと突っ伏していた。
「はぁ……お客様、責任をもって連れ帰って頂けますね?」
「ああ、それは仕方ない。飲ませすぎた俺の責任もあるしな」
「それだけではなく、分かりますね?」
「──っ、俺にそんな気は……」
無くはないか。
この数時間、彼女と一緒にいたのだが気を張る必要もなく自然と話が弾んでいた。お互いに顔と身分を隠す仮面舞踏会という性質もあるだろう。けれども、それ以上にジャレッドはこの令嬢が気になり始めていた。
最初は憐れみから話に付き合っていたというのが本音だ。それに、友人を待つのにも時間を潰せてちょうど良かった。
しかし、妹もきっとこうして悲しんで、苦しんでいるのだろうと考えると、彼女を捨て置けなかったのも事実だ。せめてもの気持ちで彼は何があったのか、聞いているうちに遅い時間になってしまった。
「レディ、帰りますよ」
「まだ……帰りたくない。もう嫌……あの家に帰りたくないです……」
さっきまでご機嫌だったというのに、令嬢はメソメソと泣き出してしまう。
「仕方ないな……バーテン。この近くに休憩できる場所はあるか?」
「もちろんございます。なんと言ってもここは帝都一の色街ですからね」
「──っ」
「ご存知なかったのですか? 娼館はもちろん連れ込みが出来るサロンもありますよ」
「そうじゃなくて……はぁ、彼女を休ませられるならどこでもいい。案内を用意してくれ」
「かしこまりました」
その後、案内役に連れて来られたホテルのような一室に入るとジャレッドは令嬢をベッドに寝かせた。そして、その場を後にしようとするが、グイッと袖を引かれて引き止められていた。
「……起きていたのですか?」
「ごめんなさい……」
「支払いは私が持ちます。朝まで休んでいて──」
「行かないでください……私、覚悟を決めてるんです」
「顔も知らない相手なのに、ですか?」
「顔も知らない相手だから、です」
「婚約破棄されたのに、男と寝たと知れたらどうなるか、分かってるのですか?」
「分かってます」
「じゃあ──」
「私はもう、妾として好色な貴族の元に送られるのが決まっているんです。だから、最後の抵抗……なんです」
ジャレッドはぐっと拳を強く握りしめていた。
帝国で好色な貴族と言えば一人しかいない。
それはイロスキー・ヘンタイン伯爵だ。
そんな相手に、少しでも心を動かされた女性を奪われるのは嫌だ。
知的で、強かで。
でも弱い。
そんな彼女を守りたい。
妹のロサリアと同じように自分の手で守りたいとジャレッドは決意を固めていた。ほんの数時間話しただけ、しかも顔の分からない女性だ。
──責任をもって連れ帰って頂けますね?
バーテンの言葉が脳裏に浮かぶ。
(取ってやろうじゃないか。ロサリアを守ると決めたんだ。一人二人増えたところで俺の決意は揺るがない!)
振り返るとジャレッドは令嬢をベッドに押し倒していた。熟れた果実のように柔らかく甘そうな唇だ。
「レディ、私も覚悟を決めました。いいんですね?」
「はい……初めてはせめてあなたに──」
みずみずしい唇に、ジャレッドの唇が触れた。こんなに柔らかいのかと彼は初めの感触に心臓が痛いほどに脈打っている。と、同時に妹、ロサリアの顔が頭に浮かぶ。きっと、ロサリアの唇もこんなに柔らかいのだろうと考えてしまい、ジャレッドは頭の中からロサリアの姿を追い出した。
それでも、彼女の肌に触れる度、唇を重ねる度にどうしても思い浮かんでしまう。ロサリアのことを重ねてしまい申し訳なく思いながらも、ジャレッドは仮面の令嬢に触れ初めて感じる満ち足りた気分になる。
だが、事件が起きたのだ。
登山に例えると、山に登るための準備運動を始め、徐々に山道を登る。
そして、最後の山頂で朝日を眺めようと言うところで、あろうことか令嬢の仮面が外れてしまったのだ。
そして、彼は賢者タイムを迎えるどころか、もはや大賢者、いや、仙人とでも呼べば良いだろうか。見知った顔の令嬢に覆いかぶさったまましばらく固まっていた。
そして、直ぐに自分が仮面をつけているかを確認した。
仮面が落ちていないことに安堵し、ロサリアの様子を窺う。すると、義理の妹は安堵したのかそのまま眠りに落ちてしまっていた。
ジャレッドは誰とどこで何をしてしまったのかを改めて理解して冒頭に戻る、である。
ロサリアは目を覚ますと、ベッドの上だと気づく。酷い頭痛を覚えながら何があったのか思い出そうとして赤面した。
──私が、君を守る。
何度も情事の最中に顔も知らない男が耳元で囁いてくれたのだ。
ふらつく足取りでロサリアはベッドから降りると、テーブルの上のメモ紙に気づく。そこには信じられないことが書かれていた。
──すまない。用事が出来たので先に出る。
ロサリアはメモ帳を手から落とし、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
そして、裏切られたのだと彼女は崩れ落ちてしばらくの間立ち上がることも出来ずに涙していた。
普通に考えれば当たり前のことだ。
見知らぬ女性の面倒を最後まで見るなんて有り得ない。そういう場、そういう雰囲気だからあの男も優しい言葉をかけてくれただけなのだ。こうなることは分かっていたつもりだった。
「……どこに行けばいいんですの? もう、帰る場所なんてありませんわ」
誰に言うでもなく自嘲的な笑みを浮かべて呟いた。
目が覚めると彼女の仮面は外れていた。
いつ外れてしまったのかは覚えていない。それほどまでに、ロサリアは夢のような時を過ごしたのだ。だが、きっとあの仮面の男はわたくしの顔を見て逃げてしまったのだろうとも考える。
世間的には不貞で婚約破棄されたとなっているのだから。
ロサリアはバスルームで体を流し、身支度を整えると部屋を後にした。既に太陽はてっぺん近くまで上っている。
ロサリアは行くあてもなくフラフラと色街を後にした。その後は公爵家の屋敷に帰るでもなく、目的地があるわけでもなく帝都の中をしばらく歩き続けた。
そして、疲れ果てたロサリアは帝都の中央広場の噴水の前のベンチに腰掛けた。
彼女は何をするでもなくぼんやりと辺りを見つめている。今日は休日なのだろうか。随分と親子連れが多い。両親と手を繋ぎはしゃぐ子供。走り回ってコケてしまい、母親に叱られながらも慰められる子供。誕生日なのだろうか、買って貰ったプレゼントを両手に抱えて笑顔でスキップしている子供。
羨ましい。
今まで両親に愛されていた事があったのだろうか。
もしかしたらあったのかもしれないが、ロサリアはひとつも覚えていない。教育も愛情のひとつだと言う話も聞いたが、ロサリアを教育したのは金を貰っている家庭教師だ。
公爵に教えられたのは、迷惑をかけるな、恩を忘れるな、役に立てくらいしかない。
もうダメだ、とロサリアはベンチの上で横になる。二日酔いの頭痛は酷いし、食べ物や飲み物を買う金を持ち合わせていない。そもそも、予算を割り当てられたこともなかった気がする。もうこのまま野垂れ死にでもするしかないと思っていたところ、近づいてくる令嬢がいた。
プラチナブロンドの髪をそよ風が舞いあげる。一見おっとりとして見えるが、彼女の自信に満ち溢れた紺碧の瞳は強かさを秘めている。誰もがその令嬢に目を引かれ立ち止まっている。その美しい見た目にと言うだけではない。大人びた立ち振る舞いの割には背丈が小さな令嬢だったというのもあるだう。
「ロサリア様、ロサリア・フォン・エルディアン公爵令嬢様、ですね?」
「誰、ですの?」
「誰って……まあ、三度もお茶会を断られましたし、私に興味無いのも分かっていましたよ」
そこにいたのはつい先日開かれたお茶会の主催者だった。名前は確か──。
「シェリーメイ・フォン・フリューア侯爵令嬢……」
「あらあら、覚えていてくださったんですね〜」
「北部の異民族から帝国を守った英雄の家系で、今は軍部の中枢を担う家門で──」
「……大丈夫ですか?」
「──はっ、だ、大丈夫ですわ」
気づけば家庭教師の授業で教えられたフリューア侯爵家の歴史をロサリアは口走っていた。それほどまでに疲弊して、ロサリアは何も考えられなくなっている。
その様子に、シャリーメイも顔を顰めた。とにかくこの場所にロサリアを放置しておく訳にも行かないだろう。
「大丈夫ではないですね。ランドルフ、ロサリア様をお連れして」
「はっ、シェリーメイお嬢様」
シェリーメイの隣に控えていた燕尾服を身に纏う屈強な男は「失礼します」と声をかけるとロサリアを持ち上げた。まるで、執事と言うよりは護衛の兵士のようだ。
気力ゼロのロサリアは抵抗する気もなくそのままシェリーメイに連れ去られることに甘んじたのだった。
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