第二話 「女神」
仕立ての良い服装に身を包み、増えた所持金にやや口角を上げながら、少年は歩いていた。
しかし、服装は小綺麗になったものの、それ以外は、長年裏の世界に住み着いていた影響でどうしようも無く不潔であった。
悩んだ末に、視界に飛び込んで来た宿屋の看板を見て、水浴びをさせてもらおうと考えた。
少年は文字を読む事は出来ないが、看板にベッドと鍋の絵柄が施されていたので、宿屋だと理解する事が出来た。
今日寝る場所も確保していない少年にとっては渡りに船だった。
◇◇
宿屋を経営する老夫婦は、少年の姿を認めるなり眉をひそめた。服装な小綺麗なのに着ている人間は不潔と言う、少年の鎮具破具な格好が老夫婦にそうさせた。
少年は老夫婦に宿代を聞くと、困惑しながらも、一日二食付きで大銅貨一枚だと言われた。
少年は会計が面倒だったので、もう一人の少年から奪った財布の中身をそのまま渡し、庭の井戸から汲み上げた水で水浴びをする許可を得た。
汲み上げた水に反射する少年の姿は、確かに鎮具破具で歪だった。
無造作に肩まで伸ばされた蓬髪は夜の闇を落とし込んだかのような漆黒で、瞳は無機質にしかものを映せない昏く濁った黒目。肌は長年陽の射さない裏の世界にいた影響で白磁器のように白い。
そしてそれらが全体的に薄汚れていて、臭いも強い。
しかしその割には綺麗な服装を身につけている。
老夫婦が訝しむ訳である。
文字通り十年来の汚れを洗い落とすべく、少年は渡された布で体を擦った。
擦る度に垢がつく布に辟易しながら、時折桶の中の水を変えて体を清めた。
蓬髪も一緒に洗い流し、溜まった
その工程を何度か繰り返し、満足のいく結果になると、漸く少年は服を着直してその場を後にした。
再び宿屋を出ていく少年の姿を見た老夫婦は、その変わり様に目を剥いた。
この世界には女神が居る。
宗教の教典に示された一節などでは無く、そう称される存在が物理的に存在しているのである。
天を覆う程の大きな瞳。それが今日も青空に存在している。
その姿は神秘的で、猟奇的である。
何も映していないようで、全てを見透かしているような、少年と同じ黒い瞳。
そんな美しく壮大な瞳が空に浮かんでいるのだから、それを女神と呼称してしまうのは無理もないだろう。
表の世界の住人たちは、空に浮かぶ大きな瞳に一切違和感を持たない。
しかし、裏の世界の住人である少年には何ともおかしな光景であり、それに全く違和感を持たず生活している表の世界の住人たちを気狂いだとすら思った。
今も自分たちを見下ろす黒い瞳に言いようの無い恐怖を感じ、少年は上を見上げるのを辞めた。
かつて自分に盗賊の伊呂波を仕込んだ男が、この瞳からは逃げられないと酒を飲みながら呟いていた事を少年は思い出した。
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