三十六 トラはシローの親じゃない
「よいか、よく聞け。
六月に結婚に結婚すると幸せになれる、と言われるが、その由来はジューンブライドの名の如く欧米からの説じゃ。
ジューンブライドには三つの説があってな・・・・」
トラはシローに説明した。
ローマ神話の女神が六月を守っているというローマ神話の女神を由来とする説。
ヨーロッパでは、三月、四月、五月の三ヶ月間は農作業が大変忙しくなる時期で、六月は農作業が落ち着き、結婚が解禁になる月だったという説。
ヨーロッパでは、六月が一年間でもっとも雨が少なく、天気の良い日が多い時季にあたり、六月の気候と時季が結婚式に最適な説。
「日本の六月は梅雨の時期じゃ。結婚式に向いているとは思えんぞ。
それに、わしらの季節は春じゃ。初春じゃ。
シロー。聞いとるのか?」
シローはトラの話を聞いていない。トラはシローの頭に、コツンと猫パンチの真似事をした。
「イテッ!」
「聞いておるのか?」
「きいてるよ~」
シロの子だっちゅうが、違うじゃろう・・・。それとも、父親の性格を受け継いだっちゅうことかいな・・・。
そうなると、シロは、子どもの世話で苦労するぞ・・・。
さなえと真介もおるゆえ、わしはどういう立場で動けばいいのやら・・・。
さなえは、入籍はすぐするといっとったが式を上げるとはいわなんだ。
ということは、籍だけ入れてジューンブライドはありで、入籍披露はなしかいな・・・。指輪もせぬのか・・・。まあ、ふたりとも大学があるから、そうするしかないのかのう・・・。
それにしても、最近のワカイモンは、いや子どもは何を考えとるのかわからん。親の顔を見たいもんじゃと思ったら、母親はシロじゃったな。ほんまにシロの子どもかいな?
まあいい・・・。
「わしは帰るぞ。シロ!子どもをしっかり教育しろよ。もっといろいろ学ばせろ。今までの猫では、この先、世の中についてゆけんぞね。
シロ。聞いとるんか?」
「あら、トラはシローの親じゃないわ。あたしに命令するなんてできないわ」
「そうか。わかった。シローの父親と仲良くやってくれ・・・」
「言われなくたって、いい相手を見つけるわ。
だいたい、猫のアンタが、なんでヒトの心配なんかするのさ?おかしいだろうに?」
「わしの家族に、なんてことをいうんだ?サナも真介もわしの家族ぞね。
わしの飼い主で、孫・・・、ではなかった。
ナンチュウカそのう・・・、前世では、孫のような・・・。
ええいっ、説明が面倒じゃ。とにかく、わしゃ、帰る!
どこぞで会っても声をかけるなよ。
鮭の猫マンマをくれ、なんていうなよ!」
「いうわけないでしょ。あたしたちはキャットフード派よ」
「もう、過ぎたことだ。わしゃ知らん。では、さらばじゃ」
わしはシロの家のベランダから、ヒラリと芝生に舞い降りた。バラの植え込みの間を走り抜け、フェンスを跳び越え、柘の垣根を潜って、さなえが通っている大学構内の芝生を走り、樅の木陰へ走り、そしてまた大学の芝生を走り、フェンスを跳び越えてブロック塀の上を走り、猫しか通れない路地を走り、アパートの雨樋に絡みついた蔦をつかんで、キャットウォークを登って二階に着いた。
「トラ。ご飯だよ。どこへ行ってたの?手と足を洗ってきてね・・・。
どうしたの?涙目だよ・・・」
さなえが、窓から戻ったわしに昼ご飯を示した。
「シロに子どもがおった・・・。わしの子どもではない・・・」
わしはさなえにそういった。わしは寂しい目でさなえを見ていたのだと思う。さなえはわしを見て、
「えっ?あらそうなの・・・。もうすぐ、しんちゃん帰るから、ご飯を食べよっ」
驚いた様子じゃったが、知らぬ振りをした。さなえなりの気遣いがわかった。
わしは浴室へ行って、湯と水のコックをチョンチョンと押して洗い桶に湯を入れ、手と足を洗って浴室を出た。
浴室でザブザブやっている間に、真介が帰っておった。
「爺ちゃん。ただいま。お見合いするか?」
真介は洗面所で手を洗っていた。
「急になんぞね?」
わしはタオルで足と手を拭いて真介を見た。真介は顔を洗っている。
「昼飯を食いながら話そうか・・・」
「わかった。ほれ。タオルじゃ!」
わしはタオルを真介に渡した。もちろん、真介用ので、わしが使ったタオルではない。
「だが、急にどうして、見合いなどというんじゃ?」
真介は顔を洗ってタオルで拭き、ダイニングへ移動した。わしは真介の足元にくっついてダイニングへ移動した。
「爺ちゃんにも愛妻が必要だ。シロでは不足だろう?」
「ああ、まあな・・・」
「さあ、二人ともご飯を食べよっ。
今日はウナ丼だよ。大学生協販売部で買った、浜松産の国産ウナギだよ。
トラのはタレをたっぷりかけたよ!」
真介はテーブルに着いた。トラはダイニングテーブルの下の定位置に座った。
「いただきまーす」とさなえ。
「ところで、わしの相手をどうやって探すんじゃ?」
ウナ丼を食べながら、わしは真介に訊いた。
「一階の大家の息子の伊藤涼太が猫を連れてきてる。ここはペット居住可だからね。
涼太が猫の引き取り手を探してるんだよ。会ってみるか?」
「親子か?」
「そうだよ」
「会ってみたいのお。わしもちぃっとは、気がまぎるよってに・・・」
「元気が出たか?」
「まあな・・・」
とはいうものの、わしは真介のはからいで、落ちこんていた気持が急変した。まあ、いい加減な性格といえばそれまでじゃな・・・。
「あとで涼太の予定を確認しておく。飯を食って大学に戻る。
さなえは午後から講義は?」
「物理化学と音楽だよ。早く昼ご飯食べて、講義を受けよう」
さなえはちょっと急いでウナ丼を食った。今日六月一日水曜は教養科目の日で午後から物理化学概論と音楽史だと言って。
わしはウナ丼を食いながら、ダイニングのテーブルの真介に言った。
「真介。わし、窓越しに、見合い相手、見にいっていいかのお?」
大家の息子、伊藤涼太の部屋はここの真下だ。
「いいけど、どうやって部屋を覗く?」
そう言って、真介はウナ丼を頬ばりながら、わしを見おろしている。
「庭木の枝から、中を見下ろすさ。樫の庭木があるじゃろ」
わしはウナ丼を食いながらそう言った。
「カーテンが閉ってるぞ」
「カーテンを開けるように知らせるさ。ところで名は何と言うのじゃ?」
「母親はミケ。子どもはアルファ、ベータ、ガンマ」
「見合い相手はミケか?」
思わずわしは真介を見た。ミケはわしの母親の名だ・・・。それに、子供たちの名から判断して、みな、雄らしい。
「どうしてそう思う?」
「子供たちは、雄じゃろうに」
「見合い相手はアルファだ。生後半年の雌だよ。
ごちそうさん。うまかったよ。
ひと目見れば、爺ちゃんも、納得するよ」
真介は立ち上がって箸と丼とお碗と野菜サラダの皿をシンクへ入れた。さなえはまだウナ丼を食ってサラダを食って、吸い物を飲んでいる。
「そうか・・・。ごちそうさん。うまかったよ。サナ」
「トラ。吸い物が残ってるよ。サラダも。ビタミン不足になるぞ」
さなえがじっと、ダイニングのテーブルからわしを見下ろしている。
「はいはい。サラダも食います。吸い物も飲みます・・・・」
わしはサラダと吸い物を平らげた。こんなに食ったら、急性メタボのわしは樫の庭木に登れるかいな?
「爺ちゃん。木から落ちるなよ」
真介がわしの思いを見透かしてそう言った。
「真介も、何を言いおる?」
「食いすぎじゃなくって、アルファだよ。見たら、爺ちゃん、たまげるぞ」
わしはこの時、正直言って真介の言葉を冗談だと思っておった。
「サナ!ごちそうさん。うまかったぞね!急性ではのうて、真正のメタボになってしまいそうじゃ・・・」
昼飯が終った。アアッ、なんという満足ぞね・・・。わしそういって顔の周りを毛繕いした。
「トラ、たくさん食べたね。よかったね。メタボにならないよう、運動してね」
サナはそういって真介といっしょに後片づけしている。
片づけが終った。サナはリュックを背負い、真介はショルダーバッグを肩にかけた。
わしは二人の足元にすり寄った。
「じゃあ、トラ。行ってくるからね。気をつけて留守番しててね」
サナはわしの喉を撫でている。
「はいよ。いっといで。わしゃ、しばらく食休みをするよってに・・・」
「目が覚めたら、アルファに会うといいよ」
真介はわしの首筋を撫でた。
「じゃあ行ってくるよ」
「はいよ」
ふたりは部屋を出ていった。
ドアをロックする音がして靴音が遠ざかった。
わしはソファーでしばらく食休みした。
ウナ丼で腹がふれて動くのがおっくうだ。外は六月一日の初夏から梅雨への変わり目の空だ。曇っている。暑くもなく寒くもなく、昼寝日和だ・・・。
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